ランチ会開催
掘りごたつ式の広い和室で、それぞれの飲み物とともに「焼きそば」や「お好み焼き」を食した。個室なので他の客のことはまったく気にならず、大声で和やかなひとときを過ごした。
どの顔も満足感に溢れていたことは言うまでもない。
(令和7年4月3日 5:32)
自分を知ることから始めよう
自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやり過ごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。
なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。幼少時から「神童」として名を馳せ、24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
精力的に執筆していた頃、出版した本は売れず、途中から自費出版だったようだ。父親は幼い時に失くした。母親との関係はうまく行かず、妹とも。求婚するも断られ、45歳で発狂した(ニーチェは梅毒を病んだと言われるが、梅毒の末期症状としては脳実質が広く冒され、妄想や記憶障害、思考力の低下などの精神神経障害が現れることがある)。途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、最後の10年は執筆も叶わず、55歳で生涯を閉じた。
一般に「哲学者は難解で抽象的な事柄を思索して説く人」というイメージを持つが、ニーチェはそうではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残ると思われる。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が新しい価値を生み出そうとする刺激を受けるからだ。
自分を知るとは自分の長所や短所、価値観や目標などを明確にすることで、「自分とは何者か」を理解することである。自己分析や自己理解を深めることで、自分と客観的に向き合うことができ、人生を豊かに過ごすことができるだろう。
自分を知ることがなぜ大切なのか。理由は簡単だ。自分のことをよく知れば知るほど、人生のさまざまな場面で良い選択ができるようになる。例えば、自分の得意なことが分かれば、それを活かせる仕事や趣味を見つけやすくなる。また、自分の価値観がはっきりすれば、本当に大切にしたいものが何かが分かる。自分を知ることは、人生行路の地図を手に入れるようなものだ。この地図があれば、自分らしい道を歩むことができるだろう。
自分を知ることは、幸せで充実した人生を送るための第一歩だ。自己理解を深めることで自信が持てるようになり、より良い決断ができ人間関係も良くなる。自分を知るには日記をつけたり、他の人に意見を求めたり、新しいことにチャレンジしたりするなどの方法がある。その際、完璧を求めすぎたり、変化を恐れたり、他人と比べすぎたりしないように注意することが必要だ。自分らしさを大切にしながら少しずつ自己理解を深めていけば、きっと自分らしい素敵な人生が待ち受けるはずである。
(令和7年4月3日 4:46)
疲れたらたっぷり眠れ
自己嫌悪に陥ったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。
ギャンブル? 宗教? 流行のリラックス療法? ビタミン剤? 旅行? 飲酒?
そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。
目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
疲労回復の三原則は、昔から「栄養」「入浴」「睡眠」と言われてきたが、その中でも「睡眠」が一番である。睡眠不足が、体に最も堪える。十分に睡眠をとることが大事である。
望ましい睡眠を確保するためにも、静寂な寝室や清潔な寝具など環境を整えることも大切となる。朝陽が差し込むようならよりよい。また、日中の適度な活動(運動)も欠かせない。加えて、就寝前の飲食やスマホなどの使用を控えるなどの配慮も欠かせない。
精神的な疲労の場合は、なかなかぐっすり眠るというのは困難となるだろう。専門医師のアドバイスも必要だろう。
(令和7年4月2日 4:59)
これで3月を以て「解散」の支部は三つとなった。他でも会員数の減があるように聞くし、80名程度の減になるのではないか。4/14の支部長会で判明する。
本日付で、町社会福祉協議会でも人事異動があり、局長が退任され後任として局長補佐が昇任された。本連合会の直接の担当となる局長補佐には、係長が昇任となった。
退任となった前局長には、大変おせわになった。心から御礼を申し上げる。また新局長・局長補佐とも、これまでからお世話いただいている方であり、本連合会としてはありがたい人事だ。これからもよろしくお願い申し上げたい。
昨日、会計監査も終了した。
(令和7年4月1日 4:56)
好奇心に振り回されない
身の回りや世間で起きているいろいろな事柄に、その都度ごとに首を突っ込んでいると、結局は自分が空っぽになってしまう。あるいは、自分の空虚さをなんとか埋め合わせるために、あらゆることに顔を向けている人もいるくらいだ。
好奇心は、自分の能力を発火させるためには大切だが、世界のすべてを見聞きできるほど人生は長くは続かない。若いときに自分が関わる方向を着実に見定め、それに専念していくほうが、ずっと賢く、自分を充実させていくことができる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
好奇心が旺盛なことは、一般には望ましいことだ。とりわけ高齢者にとっては、老化にブレーキをかけるための秘訣となろう。
しかし、若い人にとっては度が過ぎると、結局は何も成果を上げることができずに終わってしまう危険性がある。人に与えられた時間には限りがあるからだ。ニーチェの言われるように、人生はそう長くはないのである。
綿密に目標を定め、実現に向け注力し、専念するほうが賢明だ。
(令和7年3月31日 4:25)
「~のために」行うことをやめる
どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。
誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。 けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えも出てくることはない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
私だけかも知れないが、つい「~のために」と思ってしまうことが少なくない。
ニーチェは、「それが失敗したと思えるときには何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれる」と指摘する。
純粋に深く考えてみれば、すべてのことは自分のために行っているように思える。「~のために」と思ってしまうのは、心のどこかに「驕り」や「慢心」が隠れているからに違いない。
(令和7年3月30日 5:32)
自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目のない所でも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よく振る舞う。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることが分かったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。
このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
陰日向の無い行動は、人としてとても大事なことである。信用信頼に係わる。しかしながら、人の眼がないと行動が緩みがちになるのが人の常である。
中国の古典『大学』や『中庸』に、「慎獨(しんどく)」という言葉がある。「君子は必ず其の独りを慎むなり」と。自分一人のときでも行いを慎み、人倫の道を守ることを意味する。
最近はさすがに見かけないが、大分以前には車の窓からゴミや吸い殻を捨てる人が居た。とんでもない行為だ。学齢に達するまでに、あのような行いは人として恥ずべき行為だと子どもたちに躾けることが求められる。
「慎獨」は、まさにニーチェの言われる「一片の嘘もつかない」ということだろう。
後ろめたいことであっても、人が見ていないところではついやってしまうかもしれない。人間誰しも起こり得ることだ。「慎独」は、その状況でこそ自分を律することができるかを問う。
人が見ていなくても、見られている時と同じような行動が取れるかである。他人が見ていないということは、その状況を誰かに言わなければ自分だけしか知らないことだ。少しくらいならいいではなく、自分の行ないを慎み、人としての道を外れないようにできるかである。まさに自分しか証人のいない試練だ。
自らの行いや自身を律することができるかどうかの基準は、誰か他の人が見ているかどうかで決めるべきではないだろう。あくまで自身の問題として捉えるべきだ。人の眼があるかどうかは関係なく、自分の持つ倫理観に背く行いであればやらないことだ。
この積み重ねが、「我が身を正す」につながる。
(令和7年3月29日 4:17)
献身は目に見えないこともある
献身は、道徳的に尊い行為だと思われている。弱者や病人や老人の身の周りの世話をすること。自己を殺して仕えること。自身の命の危険をかえりみずに他人を助けること。医師も看護師も救急隊員も弁護士も、献身することが仕事になっている。
しかし、よく考えてみよう。他の仕事の多くも、実は献身の一つの形なのではないだろうか。宗教や直接の人助けとはまったく関係がなくても、結局は人を助けるために自分を犠牲にした仕事ではないだろうか。農業も、漁業も、運ぶ人も、オモチャを作ることも。
さらには、思慮深くなされたあらゆる行為さえも、献身ではないか。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの言わんとすることが何かを、きちんと認識できているかどうか自信がない。
人の行為の内、「自らのためだけに為されている」ものを除けば、「すべての行為は献身ではないか」と言われているのか。
すべての行為が献身につながっているのであれば余計に、私たちは一つひとつをおろそかにせず精一杯に努めることが大事だ。
振り返れば、惰性に流れていい加減に過ごしていることが何と多いことか。
論語に「生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り」(衛霊公第十五)とある。命を惜しがって仁徳をそこなうことなく、時には命を捨ててでも仁徳を成し遂げる、という意味である。
親から貰った命を粗末にすることがあってはならないが、時と場合によってはそれくらいの覚悟で事に当たれということだろう。
(令和7年3月28日 4:52)
感覚を愛しなさい
感覚や官能を、下品だとか、不道徳とか、脳の化学反応にすぎないと言って、自分から無理に遠ざけてしまわないように。
私たちは感覚を愛してもいいのだ。
感覚はそれぞれの程度で精神的なものになるし、人間は昔から感覚を芸術化し、文化というものをつくってきたのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェが「感覚や官能」と言っているのは、性的欲求と読み替えてもよいのだろう。
欲求すべてに言えることだが、いつも欲求を充足しようとするとときには問題を生じさせる。無理に遠ざけることはないが、理性を働かせる必要は常にある。
理性が的確に働くとき、人は正常な社会生活を営むことができるというわけだ。
(令和7年3月26日 4:50)
矜持(きょうじ)を持て
ほとんどの孔雀は、人の前でその麗しい尾を隠す。これは、孔雀の矜持と呼ばれている。
孔雀のような動物でもそうなのだから、私たちは人間として、いっそうの慎みと矜持を持つべきだろう。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「矜持」とは、自分の能力を信じていだく誇りである。
自分の持っている能力や技術、長年の経験などが拠り所となって、他者との比較でも揺ぎ無い確固たる自信につながっている。一方、プライドは、他者との比較や周りからの評価などを拠り所としている。
「孔雀の矜持」は、「能ある鷹は爪を隠す」とは意味合いが微妙に違う。希少価値を出す、もったいぶるといった打算や策略は一切ないだろう。そこにあるのは、そう簡単に自分の切り札は見せないという純粋な想いだと思う。
自尊心は「自分をかけがえのない存在として、肯定的に受け止めている感情」だ。周りからどう思われるかよりも、「自分はどう思っているか」が重要になる。自尊心とプライドの大きな違いは、「ありのままの自分を受け入れているかどうか」である。自分をありのままに理解しているのが自尊心、高く見積もっているのがプライドだと言えよう。
自分をどう思っているかを大切にするのが自尊心、他者と比較して自分が優位だと感じるのがプライド。また、自分の弱さを受け止めているのが自尊心、強い部分だけ見ているのがプライドである。
(令和7年3月25日 4:28)
自分の眼で見よう
スイスのジュネーブから見るモンブラン周辺の山々は美しく、表情の豊かさに溢れている。それなのに、「モンブランは最高峰で天然美に包まれている」という観光的な知識のせいで、人々の眼はモンブランのみに注がれる。
これでは、自分の眼を本当に楽しませることはできない。
知識ではなく、自分の眼が今とらえている美しさを認めるようにしよう。
「ニーチェ・「ニーチェの言葉」から」
マッターホルン登頂への起点となるヘルンリ小屋からの山々の展望の見事さは、筆舌に尽くしがたい。今でも眼に浮かぶ。登山計画を立てる際、あれこれとガイドブックなどを読み漁る。だが圧倒的な景色を前にして、事前得た知識に頼ること少なかった。
案外、頂上からの景色は記憶に薄いものだ。ガイド無しの単独行だったので、登頂した喜びとは裏腹の、無事下山できるだろうかの不安がそうさせたのか……。
ニーチェは、「知識ではなく、自分の眼が今とらえている美しさを認めるようにしよう」と言われる。否定できるはずがない。
(令和7年3月24日 4:34)
3/13の西宮市生涯学習大学「宮水学園」における講演の際は、横浜から甥(妹の長男)が駆けつけ写真や動画の撮影を行ってくれた。感謝している。
動画は、YouTubeに掲載してれた。「谷口利広」で検索すれば出てくる。
若い時から写真を趣味とし、なかなかの腕前だ。学生時代は、ライフセービング部に所属し活躍した。結婚の際は、縁あって私たち夫婦が仲人をした。息子のようなものだ。
(令和7年3月22日 8:32)
美しく見る眼を持つ
ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。
たとえば、親しい友人らと一緒にいるときよりも、彼らから離れ、独りで友人らのことを想うとき、友人らはいっそう美しい。音楽から離れているときに、音楽に対して最も愛を感じるように。
そんなふうに遠くから想うとき、いろいろなことがとても美しく見えてくるのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
近くにばかりいると、その本質が見えないときがあるだろう。
離れて見ると見えるものがある。
何であっても、近視眼的になることは極力避けたい。
「親思う心にまさる親心」とは吉田松陰の遺した有名な言葉だ。自らが親の立場となったときに、また親を亡くしたときに初めて親心の尊さというものが分かるだろう。「三年父の道を改むる無きは、孝と謂うべし」(「論語)学而第一、里仁第四)
(令和7年3月22日 5:03)
若い人たちへ
自由な高みへと君は行こうとしている。しかしながらそういう君は、若さゆえに多くの危険にさらされてもいる。
しかし、私たちは切に願う。君の愛と希望を、決して捨て去ったりするな、と。 君の魂に住む気高い英雄を捨てるな、と。
君の希望の最高峰を、神聖なるものとして保ち続けてくれ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
若い人たちの前途は洋々である。まさに「後世畏るべし」だ(「論語」子罕第九)。
常に夢と希望、高い志をもって突き進んで欲しい。努力を積み重ねることの大切さを忘れずに……。そして、「人を立て、人を達す」(論語)も。
(令和7年3月21日 5:05)
春分の日である。快晴だ。
朝の気温は、マイナス2度だと。霜が降り周りのスレートの屋根は白く、庭の瓶には氷が張った。
ラジオ体操のとき風が全くなかったので、とても気持ちがよかった。令和6年度では(昨年4月から)、最高の気持ちよさだったと私は感じた。こういったさわやかさを感じられるのも、早起きしている者の特権だ。銭では買えない心地よさである。最高だ。ただ掲揚している国旗は、風がないので翩翻といった様子には程遠い。
2~3日前から開花し始めたハクモクレンも、本日は開花の速度をぐんぐん上げるだろう。3~4日後には見ごろになると思われる。センバツも始まった。いよいよ本格的な春の到来だ。
(令和7年3月20日 7:19)
自分の中にある高い自己
高い自己に、ふと出会う日がある。いつもの自分ではなく、もっと澄み切った高級な自分自身が今ここにいるのだということに、恩寵のように気づく瞬間がある。 その瞬間を、大切にするように。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
そういった瞬間だと確信できたことはないが、それに近い経験はある。
確信をもって「今がその瞬間だ」と思える日が訪れるように日々努めたい。努力を積み重ねる中で、必ず訪れることを信じて。
(令和7年3月20日 4:45)
賢さを見せつける必要はない
自分の賢さを不用意に見せつけたりすれば、遅かれ早かれ有形無形の反発や抵抗を味わうことになる。何か良いもの、気分を良くさせるものなどを得ることなどできない。
だから、ふつうの人々と同じように喜怒哀楽をみせ、たまには一緒に興奮などしたほうが賢明というものだ。そうすれば、目立つような賢さを隠せるし、賢い人に特有の、一種の鋭敏な冷たさや考え深さによって他の人々を傷つけることもなくなる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
周りから「神童」と言われ、24歳でドイツの名門大学の教授となったニーチェならではの経験知だろう。孤高に陥らず、多くの友と自然に交わることの大切さを説いていると思われる。
凡人の自分には関係ないと受け取らず、より望ましい交流の秘訣と受け止めたい。
(令和7年3月19日 4:22)
冷静さには二種類ある
仕事はもちろん、おおよその物事に対しては冷静沈着であるほうがうまくいく。ところでこの冷静さには、内容の異なる二種類のものがある。
一つは、精神活動が衰えているがための冷静さだ。何事にも無関心で、多くの事柄を自分から遠く感じているために、傍目からはいかにも冷静に見える。
もう一つは、自分の衝動や欲望に打ち克ってきたあげくに得られた冷静さだ。この冷静さを持っている人は的確な対処ができ、多くのことに理解を示し、一種の快活さを感じさせるという特徴がある。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「冷静沈着」であることは大事である。言うまでもない。
「自分の衝動や欲望に打ち克って得られた冷静さ」が真に望ましい冷静さだと、ニーチェは言われる。この望ましい「冷静沈着」によって、物事に対する的確な対処が為されるのである。
私はジタバタとはしないタイプだが、短気な性格から事を急ぎ過ぎるきらいがある。対応が遅いのは問題だが、拙速は禁物だ。
(令和7年3月18日 4:56)
考えは言葉の質と量で決まる
ふだん私たちは、自分の考えや感情を心に思ったり、誰かに喋ったりしている。そのときに、自分の考えや言いたいことは大体表現できていると思っているばかりでなく、相手に対しても、全部とは言えないかもしれないが、まぁほとんど伝わっているだろうと楽観的に思いがちだ。
けれども、私たちはいつも自分が持ち合わせている言葉で考えを表現しているのだ。つまり、持ち合わせの言葉が貧しければ、表現も貧しくなっているし、考えや感情を本当は充分に表しているとは言えない。同時にまた、その言葉の質と量が自分の考えや心を決めてもいる。語彙の少ない人は、考えも心の持ち方もがさつになるという具合にだ。
だから、優れた人々との会話や読書、勉強によって言葉の質と量を増やすことは、自然と自分の考えや心を豊かにするということになるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェが言われるように「人は自分が持ち合わせている言葉で考えを表現しており、言葉が貧しければ表現も貧しくなるし、考えや感情を充分に表しているとは言えない」のである。
優れた人に積極的に接し、質問することにより教えを乞う。広いジャンルにわたっての読書や学習によって言葉の質を高め、語彙を増やすことが求められる。そういった日々の実践により、自然と自分の考えや心を豊かにしていくのだ。
(令和7年3月17日 4:26)
話し合いの効用
対話、それも、たわいのない世間話や噂話の応酬といったものではなく、何か決まった事柄についてのじっくりとした話し合いはとても大切だ。
なぜならば、そういう話し合いによって、自分が何を考えているのか何を見落としているのかがはっきりと分かってくる。また、問題の重要な点がどこなのか今までになく見えてくるからだ。そうして、一つの考えというものが形としてまとまってくる。
独りでぐずぐず考えてばかりだと、とめどがないばかりで何もまとまらないものだ。
だから、話し合いは、互いに考えの産婆となって助け合うことでもあるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。幼少時から「神童」として名を馳せ、24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
精力的に執筆していた頃、出版した本は売れず、途中から自費出版だったようだ。父親は幼い時に失くした。母親との関係はうまく行かず、妹とも。求婚するも断られ、45歳で発狂した(ニーチェは梅毒を病んだと言われるが、梅毒の末期症状としては脳実質が広く冒され、妄想や記憶障害、思考力の低下などの精神神経障害が現れることがある)。途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、最後の10年は執筆も叶わず、55歳で生涯を閉じた。
一般に「哲学者は難解で抽象的な事柄を思索して説く人」というイメージを持つが、ニーチェはそうではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残ると思われる。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が新しい価値を生み出そうとする刺激を受けるからだ。
しかし、いつもそれだけでは発展性がない。何かテーマを決めて、じっくりと話し合うことはとても大切だ。そういうことのできる仲間が真の友人だ。
そのような対話の中で、ニーチェの言われる「自分が何を考えているのか、何を見落としているのかがはっきりと分かってくる。また、問題の重要な点がどこなのかが見えてくる」のだろう。
(令和7年3月16日 4:18)
独創的になるためには
まったく新しく突飛なものを見つける特殊な感覚を持つ少数の人が独創的なのではない。
すでに古いとみなされたもの、誰でも知っているようなまったくありきたりのもの、多くの人が取るに足りないと思って安易に見過ごしてきたものを、まるで新しいものであるかのように見直す眼を持つ人が、独創的なのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの「独創的」という言葉の捉え方は興味深く、まさに独創的だ。
「古いとみなされたり、ありきたりのもの、見過ごしてきたものを見直す眼を持つ人が独創的なのだ」は、なるほどと思ってしまう。『眼から鱗(うろこ)』だ。
(令和7年3月15日 4:32)
待たせるのは不道徳
連絡もなしに人を待たせるのはよくない。マナーや約束の次元だけの問題ではない。待っている間にその人は、あれこれと良からぬ想像をめぐらせ、心配し、次には不快になり、だんだんと憤慨してくるものだ。
つまり、人を待たせるのは、何も使わずにその人を人間的に悪くさせてしまう不道徳きわまりない方法なのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
時間を守らないのは、人として失格だ。結果として、ニーチェの言われるように「人を人間的に悪くさせてしまう不道徳きわまりない方法」となる。
時間を守れない人は怠惰であり、遅刻の常習者は道徳観念がきわめて薄いと言えよう。
子どものときに何かで読んだが、ソクラテスは毎日決まった時間に散歩するなど、「時間を守る人」だったらしい。町の人はソクラテスの行動を時計代わりにしたという。
(令和7年3月14日 3:41)
「論語講演会」
本日(3/13)、西宮市民会館において「宮水学園(みやみずがくえん)」(生涯教育大学)教養講座の今年度の修了式が開かれた。その『記念講演』の演者に招かれ、「今を生きる指針に『論語』に学ぶ」をテーマにお話をした。
午前800名以上、午後から700名以上の受講があった。このような大人数の前で講演できたこと、とても有難く思っている。午前午後の2回の講演はとてもハードだったが、今は充実感に浸っている。
「宮水学園」は、55年も続く歴史ある生涯教育機関である。歴史の1ページに名を刻むことができたことは、名誉なことである。
1/25の中之島図書館での講演は、私としては不出来だった。自己採点すれば、65点といったところか。反省に基づき、今回は念には念を入れて最大限の準備した。その甲斐あってか、85点くらいは……。
甥(妹の長男)が横浜から駆けつけてくれ、写真やビデオ撮影などに尽力してくれた。とても感謝している。
「宮水学園」
今後も「依頼要請」があれば、スケジュールが許す限り全国どこへでも出かけるつもりでいる。今回も自分から売り込んだものではなく、西宮市の担当者がネットで探し当てた結果だ。
(令和7年3月13日21:22)
短気は人生を厄介なものにする
愛し合うときでも、戦いをするときでも、また尊敬し合う場合でも、両者のうちの一方だけが、いつも煩わしいことを引き受ける役割を担うことになるものだ。
その人たちの特徴は共通している。つまり、短気なのだ。
短気な人は、どういう場合や状況にあっても、物事が中途にもかかわらず短絡的に反応し、そのつどの感情を破裂させ、過剰な言動をしてしまう。そのため、まったくふつうのことすら、手のかかる煩わしい事柄になってしまうのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「短気は人生を厄介なものにする」、そのとおりだ。
自慢にはまったくならないが、私は短気について人後に落ちない。これまでの人生において、短気な性格によって失敗しどれだけ損をして来たことか。
ニーチェは言われる。「短絡的に反応し感情を破裂させ、過剰な言動をしてしまう。まったくふつうのことすら、手のかかる煩わしい事柄になってしまう」と。
まったくそのとおりである。日ごろから自戒はするのだが、「三つ子の魂百まで」、繰り返してしまう。
(令和7年3月13日 4:23)
多く持ちたがる人々
夫の職業や地位が、まるで自分の手柄であるかのように言いつのる妻がいる。彼女はさらに、子どもの通う学校の特長、飼い犬の賢さ、庭の木々の見事さ、住んでいる都市の美しさまでが、自分の功績であるかのように言い立てる。
また、政治家や官僚は、自分たちが時代全体の歴史を左右しているかのような物言いをする。たいていの人は、自分が知っている事柄までをもあたかも特別に価値あるものかのように引き立てる。知っていれば、持っているのと同じことだとすら思っている。
このように彼らは、物や知識について言っているようでいて、本当は自我とその所有欲がどこまで肥大しているかを示しているのだ。それどころか、人は過去や未来までをも持とうとしている。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
私も自宅の庭について、つい自慢してしまう。成木(大きく出来上がった木)を植えたものはごく僅かで、ほとんどは小さな苗木から育て、剪定や薬剤撒布、施肥など、日常の手入れを業者にまったく頼らず自らの手で49年丹精込めて来た。自慢はダメだと思うが、その成果を見て欲しいという気持ちからのものだ。
ニーチェの言われる「多く持ちたがる」「知っていれば持っているのと同じことだとすら思っている」とは一線を画すと自分では思っているが、そのように好意的にはなかなか思ってくれないだろう。「美しいものは皆にご覧いただきたい」との単純な考えだが、人の受け取り方は千差万別となる。
私の場合は、「どう思われようがいいじゃないか」の気持ちが強い。気にしないのである。
(令和7年3月12日 4:55)
怠惰(たいだ)から生まれる信念
積極的な情熱が意見を形づくり、ついには主義主張というものを生む。大切なのは、そのあとだ。
自分の意見や主張を全面的に認めて貰いたいがために、いつまでも拘っていると、意見や主義主張は凝り固まり、信念というものに変化してしまう。
信念がある人というのは何となく偉いように思われているが、その人は、自分のかつての意見をずっと持っているだけであり、その時点から精神が止まってしまっている人なのだ。つまり、精神の怠惰が信念をつくっているというわけだ。
どんなに正しそうに見える意見も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければならない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
信念をもつ人は尊敬に値すると思う。ブレる人よりは、はるかにだ。
しかしニーチェは、主義主張にこだわる人は「自分のかつての意見をずっと持っているだけであり、その時点から精神が止まってしまっている人なのだ」と手厳しい。「どんなに正しそうに見える意見も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければならない」とも言われる。
ニーチェの言われるとおりかも知れない。変化する時代の中で、自らの主張も凝り固まらせず、変化に対応して微調整を余儀なくすることが求められるように思う。しかし、見落としてならないのは、「どんなに時代が変わろうとも変わらぬ本質というものがある」ことだ。それが「不易(ふえき)」だろう。
難しい課題である。よってニーチェの言われる「精神の怠惰」を、何度も反芻(はんすう)したいと思うのである。
(令和7年3月10日 4:29)
エゴイストの判断には根拠がない
エゴイスト、すなわち利己主義の人は、何事についてもあらかじめ損得計算をして自分に得かどうかを計っているように見える。
しかし実際には、自分に近いものを重要とみなし、自分から遠いものを軽くしか判断しないという。単純で近視眼的な計算をしているだけだったりする。
しかも、エゴイストの考える遠近は、本人が勝手にそのつど判断する距離だ。その意味で、エゴイストの計算は綿密なものではなく、また事実を照らしたものでもなく、どちらかと言えば感情的な判断によるものだ。つまり、エゴイストの判断は根拠のないものなのだ。よって、エゴイストは感情的で、信用するには足らない人々だということになる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ものごとの判断基準を、損得勘定して「自分の業務がふえるかどうか」「自らの利益になるかどうか」などに置く人が多い。残念なことだ。皆にとって、公にとってよいことならば、自らの負担が増えたとしても進んで汗をかくことが求められるのだが……。
「人を立て、人を達す」「他者のために汗をかく」という気持ちを、幼いときから育みたい。両親・祖父母をはじめ、周りの大人たちの責務である。
(令和7年3月9日 4:25)
強くなるための悪や毒
天高く聳えようとする樹木、そういう木々が成長するために、ひどい風や荒れる天候なしにすますことができるだろうか。
稲が実るために、豪雨や強い陽射しや台風や稲妻はまったく必要ないのだろうか。
人生の中でのさまざまな悪や毒。それらはないほうがましで、ないほうが人は健全に強く育つのだろうか。
憎悪、嫉妬、不信、冷淡、貪欲、暴力。あるいは、あらゆる意味での不利な条件、多くの障碍、これらは大抵疎ましく、悩みの種になるものだが、まったくないほうが人は強い人間になれるのだろうか。
いや、それら悪や毒こそが、人に克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
幼いときから何の苦労もすることなく、挫折の経験も全くなく、40歳、50歳を迎えたとする。
そのような人が、それ以後に大きな挫折を味わうことになったとき、それをうまく乗り越えることができるだろうか。一般的には、なかなか難しいのではと思う。
苦労や挫折は。精神的に人を強くするだろう。そういった経験が、痛みの分かる人間へと成長させるだろう。
ただあまりにも苦労ばかりの人生を送っていると、世の中や人間自体を怨むことになるのかも知れない。なぜ自分ばかり不幸なのかと……。
(令和7年3月8日 4:36)
お喋りな人は隠している
自分についてしきりとお喋りをしてやまない人は、結局は自分の本性、本心、正体について隠し事をしている。
特に、噓をついている人は、ふだんよりも饒舌となる。それはたくさんの瑣末な情報を与えることで相手の注意と意識を他にそらし、発覚を恐れている隠し事へ視線を向けさせないためなのだ。
(ニーチェ・「ニーチェ言葉」から)
嘘をついている人はお喋りになるとは、よく言われることだ。ニーチェの指摘のように「相手の注意と意識を他にそらそうとしている」のだ。
ふだんどちらかというと寡黙な人がよく喋るときは、注意を要する。
(令和7年3月6日 4:47)
持論に固執する人ほど反対される
持論というものを強く主張すればするほど、より多くの人から反対されることになる。
大体にして、自分の意見に固執している人というのは、裏側にいくつかの理由を隠し持っていたりする。たとえば、自分一人のみがこの見解を思いついたと自惚れている。あるいは、これほど素晴らしい見解にまでたどり着いた苦労を報いて貰いたいという気持ちがある。あるいは、このレベルの見解を深く理解している自分を誇りにしている。というふうな理由だ。
多くの人は、持論を押す人に対して、以上のようなことを直感的に感じて、そのいやらしさに生理的に反対しているのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
右顧左眄(うこさべん)でなく、持論をもつことは大事なことだ。
しかし、持論に固執するあまり、賛同を求めて押し付けようとすることは避けなければならない。行き過ぎた行為は、賛同者を失うことにつながる。
しかし、自分の意見を持たず優柔不断というのも始末が悪い。
私は頑固だ。どちらかと言うと持論に固執するタイプである。思い起こせば、そのことにより評価を得られなかったことも少なくない。だが、筋を通す頑固さもときには必要であろう。
仁や徳を備えているかどうかが大事だ。「徳は孤ならず、必ず隣有り」(「論語」里仁第四)である。
(令和7年3月5日 4:29)
人を辱めることは悪だ
誰かを恥じ入らせることは、明白な悪の一つだ。
悪人は人を辱める。盗みも殺しも、人を辱めることだ。暴力はもちろん、小さな喧嘩においてさえ、相手を辱める言葉を使うものだ。
自分が悪を行えば、それは自分を辱めるばかりでなく、恋人を、親を、友人をも辱めることになる。さらに、人間存在そのものを辱めている。
だから、本当に自由に生きている人間とは、どんなふるまいをしても恥じ入らない境地に達した人間のことだ。彼はもちろん他の誰をも辱めることもない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人との交際において、相手の人格を最大限に尊重することが求められる。ところが、人は往々にして相手の尊厳を傷つけてしまうことがある。
人を辱める行為は、自らを辱めていることにも気づかなければならない。人を立て、人を達することの大切さを常に心することが大事だ。が、つい忘れがちになる。自戒している。
(令和7年3月3日 3:36)
人を辱めることは悪だ
誰かを恥じ入らせることは、明白な悪の一つだ。
悪人は人を辱める。盗みも殺しも、人を辱めることだ。暴力はもちろん、小さな喧嘩においてさえ、相手を辱める言葉を使うものだ。
自分が悪を行えば、それは自分を辱めるばかりでなく、恋人を、親を、友人をも辱めることになる。さらに、人間存在そのものを辱めている。
だから、本当に自由に生きている人間とは、どんなふるまいをしても恥じ入らない境地に達した人間のことだ。彼はもちろん他の誰をも辱めることもない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人との交際において、相手の人格を最大限に尊重しなけれはならない。それは当然のことだ。
ところが、人は往々にして相手のプライドを傷つけるようなことをしてしまうことがある。
人を辱める行為は、自らを辱めていることに気づかなければならない。人を立て、人を達することの大切さを常に心しなければならない。が、つい忘れがちになる。自戒する。
(令和7年3月3日 4:27)
盛況の論語塾
中之島図書館 論語塾で講師を務めている。4月から10年目に入る。
はじめの5年間は月2回の開催だったが、6年目からは運営企業の都合で月1回となった。コロナ禍でやむなく中断もあったりしたので、これまで147回の開催だ(令和7年3月1日現在)。奈良でも開いており(以前は富田林市でも)、すべてを合わせると660回を超えた。これまで「論語」全編20章512章句を3回講義し、現在二つの塾でそれぞれ9章、10章までを。生涯講義回数千回をめざす。
受講希望者、殺到
中之島図書館 論語塾は1年半期ごとの募集であり、今年度後期は昨日が最終講義で受講者は72名だった。来年度前期の募集(定員70名)は2月17日に始まったが、昨日で79名となり16時に締め切られた。10日あまりで定員満杯となった。全国の情報に疎いが、国内に数多ある塾や教室の中で50名を常時超えるものは、中之島図書館以外では東京に一つだけと聞く。受講者数は日本一ということになる。
初めからこのように盛況ではなく、開始から5年間は13名から20名程度だった。現在の盛況の理由は幾つか考えられるが、私の講義が卓越したものであるということではない。
分かりやすく、易しく
理由として先ず挙げられるのは、会場の立地条件と会場自体の持つ魅力が抜群ということだろう。しかし、中之島図書館では他のジャンルの教室がいくつも開かれているが、その受講者数は20~30名だと聞く。「論語塾」が抜きんでている。立地条件と会場の魅力だけでは受講者が集まらないことを示している。
理由の二つ目は、「講義内容がやさしい」ということだろうか。「仮名論語」という全文に送りガナを振った墨書のテキストを使った「分かりやすいやさしい論語」に徹している。また素読(朗誦)を大切にしていることも特徴だ。毎回、最低3章を、ときに4章を全員で読む。句読点で切りながらゆっくりと大きい声で読むように指導している。当然だが、講師の私が手抜きをせず大きい声を出す。通釈・解説は、「仮名論語」の執筆者伊豫田 覺先生のものを基本に、吉川幸次郎氏・貝塚茂樹氏らの著書を参考にしている。孔子やその高弟たちが言わんとすることを、「できるだけ分かりやすく」解説することを旨としている。
私の朗誦については、南河内照隅会の副会長(毅朴会 会長)のT氏から「安岡先生をはじめ、多くの先達の朗誦を耳にしてきたが、その中でも谷口のが聞き取り易い」の評価をいただいている。光栄だ。私自身も数多く朗誦しているとの自負がある。
和らぐ雰囲気の醸成
三つ目の理由は、毎回導入部分で季節の話題や趣味の庭いじりについて、またマラソンや駅伝、大相撲などの話を織り込んでいることだろうか。ときに脱線して長くなることもあるが、固く(難く)なりがちな論語講義を和やかなものにしていることは間違いない。最近は、募集のチラシに「肩ひじ張らぬ講義」と記している。繰り返しになるが、とにかく全体を通して「できるだけ分かりやすくやさしく、和やかに」を心がけているのだ。
好事魔多し、調子に乗らずさらに精進を
こういったところが人気の秘訣かも知れない。が、好事魔多し、調子に乗らず、さらに高みをめざして精進しなければならない。今月中旬に西宮市から招かれ、午前午後合わせて1600人近くの人を前に講演の機会を得ている。私から売り込んだのではなく、ネット情報から私の活動にヒットしたようだ。その講演に向け準備をしているところだ。私のささやかな活動が、論語普及の一助になればうれしいかぎりだ。
(令和7年3月2日 8:28)
小心者は危ない
不器用で、かつ小心な者は人を殺しかねない。彼は、自分を適度に防御する方法を知らないがために、また沈着に対処するということを欠いているがために、敵とみなした相手を抹殺する以外の打開策が分からないのだ。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「敵とみなした相手を抹殺する以外の打開策が……」、怖い話だが本質を突いていると思う。
信じられないような凶悪犯罪の犯人は、捕まってみれば例外なく小心者である。ニーチェが言われるように、まさに「自分自身を適度に防御する方法を知らない」のだろう。
成長期に(子どものときに)、スポーツや文化的活動を問わず、他の人との協働作業の経験が極端に乏しいのではないだろうか。そういった中では、「我先に……」の自己中心的な考えばかりが沸き立ち、「人を立てる」「人を達す」などの思いが育たない。
両親や祖父母など、周りの大人たちの責任は重い。
(令和7年3月2日 5:01)
笑い方に人間性が表れる
どんなふうに笑うか、どんな場合に笑うか、そこには人間性がはからずも表れている。たとえば、人の失敗を貶めて笑っているのか、意味合いのおかしさを笑っているのか、洗練された機知をおもしろがっているのか、ということだ。
さらに、笑い声の響き方に、その人の本性が洩れ出ている。 だからといって、笑いに臆病になる必要はない。他のやり方でも、私たちは自分の人間性を表している。私たちの人間性が変われば、笑い方も自然に変わるのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「笑い」は健康によいと言われるが、笑う場面ではないだろうと思うときに笑う人がいる。失敬だなと思ってしまう。そういったとき、本人は自分が笑っていることにほとんど気が付いていないように見える。
「先ほどは笑っていたが、気づいていたか」と尋ねたことがある。ハッとされ、「失礼した。営業職が長かったせいか、つい笑ってしまう。癖になっているのだ」と。やはり無意識のうちに笑っていたのだ。
怒った顔よりもよいという受け取り方もあるが、へらへらされるのは感じがよくない。
(令和7年3月1日 4:12)
早すぎる成功は危険だ
あまりにも歳若いときに成功したり功績を上げてもてはやされたりすると、その人は傲慢さと感覚の狂いから、年配の人間や地道に努力している人への畏敬をすっかり忘れてしまうものだ。
それだけにとどまらず、成熟することの意味が分からなくなり、成熟によって保たれるような文化的環境から自然と離れてしまうようになる。他の人は時とともに成熟し、仕事に深みを増していくのに、それは為し難く、そして、いつまでも子どもっぽく、かつての成功や功績を看板にするだけの人間になってしまう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
傲慢や不遜は、人間として恥ずべき態度だ。
歳若く功成り名を遂げたりすると、とかく天狗になってしまいがちだ。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を忘れず、終生、謙虚でありたい。
(令和7年2月28日 5:05)
心理を考えて伝える
人に物事を伝えるときにはコツがある。新しい出来事や相手が驚きそうな事柄を伝えるときは、いかにもそれが周知の少し古い事柄であるかのように話して伝えるのだ。すると、相手はすんなりと受け取るようになる。
こうしないで新しい出来事を伝えると、相手はそれを自分が知っていなかったことに劣等感を覚え、そこから来る怒りを相手にぶつけるようになる。こうなると、相手に伝えなければならない事柄もまともに受け取ってもらえなくなるのだ。
このコツを知っているかどうかで、コミュニケーションの質が大きく変わってくるし、共同で仕事をする場合は、その成否にさえ関わってくる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの言わんとすることは「なるほど」と思う反面、「少し古い事であるのに、自分はそんな事も知らなかったのか」と逆に自虐的に捉えないだろうか、とも考えてしまう。対処を違えると、そのことにより人間関係がギクシャクしてしまうかも知れない。
どちらにしても相手の受け取り方、捉え方によって変わるので、こちら側ではどうしようもない面もあることは確かだ。機微をどのように捉えて対処していくかは、経験を要することである。
とにかく、ここでも相手を思いやる気持ち(心)が大事であることは言うまでもない。
(令和7年2月27日 4:54)
人のことをあれこれ考え過ぎない
他人をあれこれと判断しないこと。他人の値踏みもしないこと。人のうわさ話もしないこと。
あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。
そのような想像や考えをできるだけ少なくすること。
こういう点に、よき人間性のしるしがある。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人のことをどうのこうのと値踏みする人に限って、大したことができていないことが多い。いつも自戒をしている。
誰かがその場にいない人のことを悪く言ったとき、相槌を打っていると自分が悪口の張本人にされることがある。気を付けたい。
「論語」の中で孔子は、軽々に人の評価をしがちであった弟子の子貢を窘める場面が幾度かある。また同じく、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」(学而第一)ともある。世の中には優れた人が多く存在することを知ることが求められる。
常に謙虚でありたい。
(令和7年2月26日 4:35)
昨日の大阪マラソン、鈴木健吾は2時間06分18秒で8位(日本人5位)だった。不運や故障が重なり低迷が続いたが、やっとトンネルを抜け出したと言えよう。
鈴木は終始トップ集団を形成し、35キロ過ぎには外国勢3人と競り合った。日本人トップとなり、「このまま優勝するのでは」と思わせる場面もあった。40キロ直前の所で声援を送ったが、この時点ではトップから少し遅れをとってしまった。しかしながら最後までよく粘り、8位入賞を果たした。タイムもまずまずである(自己3番目の記録)。
パリ五輪出場の最後のチャンスとなった昨年の東京マラソンでは故障も癒えない中、失速してしまった。その時点で、ここまで復活するとは正直思わなかった。大したものである。大会前、メディアは鈴木が日本記録保持者なので優勝候補の一人として挙げていたが、内心は「ピークを過ぎた選手」と思っていただろう。今夏の世界陸上への出場は叶わないが、今回の復活の走りでロス五輪への新たなスタートを切ったと言えよう。
私も復活劇に大いに刺激を受け、まだまだ努力が足りないと叱咤激励された一日となった。大きな感動を味わわせてくれる後輩に、感謝するばかりだ。20名以上の方にメールなどを送り応援を求めた。コース上で、テレビ観戦で、それぞれの立場で声援を送っていただいた。そういった方々も感動の輪の中に入っていただけたことと思う。
たかがマラソン、されどマラソンである。健吾よ、感動をありがとう。
(令和7年2月25日 4:38)
(令和7年2月24日 4:26)
人間の二タイプ
大きな称賛が与えられる。
そのとき、こちらの一人はとてもはにかむ。
もう一人のほうは、いよいよもってあつかましくなる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
謙虚に生きなければと思うが、できていないことが多い。
有徳の人をめざすが、道は遠い。
「徳は孤ならず、必ず隣有り」(里仁第四)、有徳の人は必ず支持される。
「論語」には名言が数多い。
(令和7年23日 4:33)
ニセの決断
一度口にしたことは断固として行う。それは立派な潔さのように思われている。男らしく決断力があるようにも見える。また、意志の強い人のように思われたりする。なんだかその行為が正しいようにさえ見える。
でも、よく考えてみよう。一度口にしたことは断固として行うというのは、一種の頑固ではないか。感情的な行為ではないか。強情の表れではないか。また、そのように行動することに、名誉心のようなものと虚栄心が隠されているのではないだろうか。
言動の善し悪しは、もっと別の理性的な視点から、その行為が本当によいかどうか見極めたうえで為されるべきではないだろうか。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「男に二言は無い」などと言って、一度口にしたことは断固として行う。それは立派な潔さのように思われてきた。
ニーチェは、そういった行為は「頑固であり、強情のあらわれではないか」と疑問を呈している。「名誉心のようなものと虚栄心が隠されているのではないだろうか」とも。
鋭い指摘だ。確かに、何度も振り返って誤った言動と反省するならば、修正することは正しいと言える。
孔子は『過ちて改めざる。是を過ちと謂う』(「論語」衛霊公第十五)と。「過てば即ち改むるに憚ること勿れ」(学而第一、子罕第九)とも仰った。ブレないことは大事だが、間違ったと思えば面子などに拘らずすぐに改めるのが正しいのである。
(令和7年2月22日 4:20)
危険なとき
車に轢かれる危険が最も大きいのは、一台目の車をうまくよけた直後だ。
同じように、仕事においても日常生活においても、問題やトラブルをうまく処理して安心から気を緩めたときにこそ、次の危険が迫っている可能性が高い。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
確かに、「問題やトラブルをうまく処理して安心から気を緩めたときにこそ、次の危険が迫っている可能性が高い」と言える。
天災、人災、何事も「気の緩み」が致命傷となることを肝に銘じなければならない。
気の緩みに関することわざには、「油断大敵」「浅い川も深く渡れ」などがある。また物事を最初から最後まで気を抜かず、手抜きもせずにやり通すことを意味する四字熟語に「慎始敬終(しんしけいしゅう)」がある。
こういった言葉を身近に置いて、常に緊張感を保つようにすることも危機管理の一つの方策になるのかも知れない。
(令和7年2月20日 4:41)
組織をはみだす人
みんなが考える以上によく考えて広い思考の幅を持っている人は、組織や派閥に属する人間として不向きだ。なぜならばそういう人は、いつの間にか組織や党派の利害を越え、いっそう広く考えるようになっているからだ。
組織や派閥というものは、考え方においても人を枠にはめておくのがふつうだ。それはドングリの集合体のようなものであるし、小魚の群れのようなものでもある。
だから考え方の問題で組織に馴染まなくなっても、自分だけがおかしいと思う必要などない。それは、組織の狭い世界を越えた広い次元に達したということなのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「三人寄れば派閥ができる」と言われる。人間は「群れる生き物」だ。
親近感のある人とのつながりを深めたい。仲間を増やして集団内での「居場所」を確保したい。力の強い者の庇護下に入って、身の安全を確保したい。このような人間の本能に根差して生れる。
派閥の短所としては、ニーチェの指摘するように「考え方を枠にはめてしまいがちになる」ということが挙げられる。「個性や独創性の抑制を余儀なくされる」ことにつながるかも知れない。
一方、長所も少なくない。 派閥に入ることによって、上層部との関係もつくりやすくなるし、横断的な人脈も手に入る。組織全体の状況をより深く理解できるはずだ。仕事を進めるうえで有効だ。派閥が健全な緊張関係にあれば、派閥間で議論を戦わせることで、より高次な問題解決の方法を生みだすことも期待できる。派閥が互いに牽制し合うことによって、組織全体が極端な方向に走らず、バランスのとれた経営を実現しやすくなるという側面もある。
もちろん、派閥同士が足の引っ張り合いをするような、非建設的で敵対的な関係になると大きな問題を引き起こしかねない。しかし、だからといって派閥の存在そのものが「悪」という捉え方をするべきではない。問題なのは「派閥」ではなく、「派閥のあり方」である。
このように記すと「派閥礼賛者」のように聞こえるだろうが、自らの現役時代を振り返るとき、派閥には属さずどちらかと言うと独自路線を歩んできた。そのことでいわゆる「冷や飯」を食らうことも少なくなかったが、ここまで媚び諂うことのない人生を送ることができたと思っている。
(令和7年2月19日 4:59)
批判という風を入れよ
キノコは、風通しの悪いじめじした場所に生え、繁殖する。
同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ずや腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。
批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
批判を浴びることを好む者はめったに居ない。批判の矢面に立つことは、楽しいことではないからだ。
傷を舐め合うような組織に、明日はない。仲間同士で切磋琢磨し合うと共に、外部からの意見も積極的に取り入れる。それらのことにより、組織は活性化する。
外部からの批判的な意見は、その組織・団体に興味をもっているからこそのものだ。筋の通ったまともな意見で、すぐに実現が可能なものであれば間髪入れず実行する。的を得た意見でもすぐに実行が困難なものについては、「時間をください」と返答する。自分たちの組織だけの力ではできないことは、その旨をきちんと説明する。
とにかく対応を求められたとき放って置かず、できる・できるが時間を要する・できないの分類をして、すぐに応えることが大事だ。小事が大事になるのは、初期対応のまずさである。
リーダーには、日ごろから範を示すことが求められる。
(令和7年2月18日 4:53)
見かけに騙されない
道徳的な振る舞いをする人が、本当に道徳的であるとは限らない。
というのも、道徳に服従しているだけかも知れないからだ。自分では何も考えず、世間体のためだけに単に従っているのかも知れない。
つまり、道徳的な行為そのものが道徳的だと決めつけることなどできないのだ。要するに道徳は、その行為だけでは本物かどうかなかなか判断できない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「道徳的な振る舞いをする人が、本当に道徳的であるとは限らない」は厳しい見方だとも言えるが、本質を的確に指摘しているとも言える。
道徳とは一言で言えば、人々が善悪を弁えて正しい行為を行うために守り抜くべき規範だ。この場合の「規範」 とは、行動や判断の基準となるべき原則のこととなる。
「徳」とは、その人の身に備わった品性を意味する。「人徳」「徳を積む」「徳が高い」などと使われる。「徳がある」とは、豊かな人間性を指す。人間性における豊かさとは、幅広い価値観を肯定的に捉える力である。人のあらゆる行動に付随する。「徳」の本質とは、「自己の最善を他者に尽くし切る」こととも言える。
ニーチェの言われるように、「道徳は、その行為だけでは本物かどうかなかなか判断できない」のである。
「徳」を、儒教では「五常」で言い表す。すなわち、仁・義・礼・智・信である。根底には、すべて「仁」がある。思いやりの心だ。
(令和7年2月17日 4:45)
あらゆる人から好かれなくてよい
生理的嫌悪を持っている相手に対していくら丁寧に接しても、その場で見直して貰えることはない。そして結局は、慇懃無礼な奴だと思われてしまう。
誰からも好かれるのが当然だとは思わず、ふつうに接していたほうが余程いい。
(ニ-チェ・「ニーチェの言葉」から)
誰からも好かれたらよいだろうが、それは無理というものだ。
それどころか、八方美人的な振る舞いは、信用・信頼を失いかねない。
孔子が仰ったように、「己れの欲せざることを人に施してはならない」、「怨みを匿して人と付きあうこともない」のである。常に自らの言動を振り返り、誤りがあれば直ちに改める。迷惑をかけたのであれば素直に詫びる。
ニーチェが言われるとおり誰からも好かれようとは思わず、為すべきことを為しふつうに接していけばよい。
(令和7年2月16日 4:48)
安定志向が人と組織を腐らせる
類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認め合って満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
また組織の年長者が自分の考えと同じ意見を持つ若者ばかりを引き立てるようになると、その若者も組織も、確実にだめになってしまう。
反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向うような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に退廃と破滅を促すことになる。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
組織が衰退する代表的な例を、ニーチェが指摘している。まさに言われるとおりだろう。
ただ考えを異にするのは、「互いを認め合って満足していると……」のところである。
それぞれの意見や考えを忌憚なく出し合い、優れた点を認め合う。切磋琢磨する中で、よりよきものを築き上げていく。そうした組織風土の中で、明るい展望が開けていくのだ。
その際、忘れてならないのは「長幼の序」である。ただ、「長幼の序」の本来的な意味の中には、「年長者が若者を育てる」が含まれていることを忘れてはならない。
(令和7年2月15日 4:43)
世間を超えて生きる
世間にありながら、世間を超えて生きよ。
世の中を超えて生きるとは、まずは、自分の心や情のそのつどの動きによって自分があちらこちらへと動かないということだ。情動に振り回されない、自分が自分の情動という馬を乗りこなすということだとも言える。
これができるようになると、世間や時代のそのつどの流れや変化に惑わされないようになる。そして、確固たる自分を持ち、強く生きることができるようになるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「情動に振り回されない」ことは、とても大事なことである。
漱石の小説「草枕」の冒頭に、「情に棹させば流される」という一節がある。これは「他人の感情を気遣っていると、自分の足をすくわれる」という意味である。流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。
この前段部分に「智に働けば角が立つ」とある。これは、「社会で生きていくうえで、理知のみに割り切っていたならばこのことで他人と衝突する」という意味だ。後段には、「意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と続く。「草枕」は、文豪漱石が37歳のときの作品である。
深く学び続けることにより、ニーチェが言われるように確たる信念を築く。それを基に、力強く生きることが求められるのだ。
(令和7年2月14日 4:45)
同類からのみ愛される
自分を称賛してくれるのは、自分と似たりよったりの人々だ。自分もまた、自分と似たりよったりの人を称賛するものだ。
自分と同類の人間でないとうまく理解できないし、よしあしもよく分からない。また、自分とどこかで似ている相手を称賛することで、なんたか自分も認められているような気になるものだ。
つまり、人間にはそれぞれのレベルというものがある。そのレベルの中で、理解や称賛、迂回した形での自己の認め合いが行われているというわけだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの言われることは分かる部分もあるが、賛成しかねる。
自らの信念を曲げてまでも、称賛してほしいとは思わない。自分と考え方の近い人ばかりとつきあうことが、よいことだとは思わない。
意見が違っても相手の言わんとすることの理解に努めることは大事だ。自分の意見がなかなか受け入れられないとき、すぐに諦めるのではなく、振り返って筋が通っていると思うならば、いろいろと手段を変えて理解して貰えるように努めることが大事だと思う。
組織においても、同意見の者ばかり集めて業務を進めて行けば、いつか行き詰まってしまうだろう。リーダーたる者は、異なる意見を持つ人をうまく束ねながら業務推進を図ることが求められる。
イエスマンばかり集まっている組織は、やがて破綻へと向かう。
(令和7年2月13日 5:14)
必要な鈍さ
いつも敏感で鋭くある必要はない。特に人との交わりにおいては、相手の何らかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
また、言葉をできるだけ好意的に解釈することだ。そして、相手を大切な人として扱う。しかし、こちらが気を遣っているふうにはけっして見せない。相手より鈍い感じでいる。これらは社交のコツでもあるし、人へのいたわりでもある。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「知らぬふうでいるような一種の偽りの鈍さが必要だ」、さすがである。社交の極意と言えよう。
繊細さを欠いた先走っての発言は、一理あって百理無し。「尋ねられたら応える」という間の取り方が求められる。
少しニュアンスが違うが、孔子は「先ず行う、其の言は而る後に之に従う」(為政第二)と仰った。
敏感なことは悪いことではないが、適度の「鈍さ」も必要だ。
(令和7年2月11日 4:44)
土足で入る人とはつきあわない
親しくなれば相手の私事に立ち入ってもかまわないと考えているような種類の人間とは、けっしてつきあわないことだ。そういう人は、家族のようなつきあいと称しながら、結局は相手を自分の支配下と影響下に置きたがっているのだ。
友人関係の場合でも、互いを混同しないような気遣いと配慮は大切だ。そうしないと、友だちでいることもできなくなる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェは少し細かすぎるという気もする。良識ある友人に恵まれなかったのか。「親しくなれば相手の私事に立ち入ってもかまわないと考える」ような無神経で図々しい人は居るだろうか。
「仲良くなっても、互いを混同しないような気遣いと配慮は大切だ」は当然のことであり、実際上、そのような人は居ないだろうというのが本音だ。
そういったことがいつも気になるような友人関係は、「さぞかししんどいだろうな」と思うのである。
(令和7年2月11日 4:48)
感覚を愛しなさい
感覚や官能を、下品だとか、不道徳とか、偽りだとか、脳の化学的反応に過ぎないとか言って、自分から無理に遠ざけてしまわないように。
私たちは、感覚を愛してもいいのだ。
感覚はそれぞれの程度で精神的なものになるし、人間は昔から感覚を芸術化し、文化というものをつくってきたのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
官能と聞けば、私などは官能小説とか官能映画とか邪(よこしま)なことを考えてしまう。辞書を引けば、官能とは「生物の諸器官、特に感覚器官の働き」「肉体的快感、特に性的感覚を享受する働き」とある。上品ではないので、2つ目の意味が先に浮かぶのかも知れない。
ニーチェの言われる前段部分も、2つ目を指しているのだろうか。
どちらにしても、「人間は感覚・官能のそれらを芸術化し、文化を創造してきた」ということだろう。
(令和7年2月9日 4:37)
偉大なる労働者
偉大なる人々は、発案にすぐれていたばかりではない。偉大な人々はみな偉大な労働者でもあった。
というのも、彼らは彼らの仕事において、捨てたり、選び出したり、力を振るったり、整えたりすることに余念がなく、そういう労働を弛むことなく続けて来たからである。そういう努力と労力が、ただ他の人には見えないだけなのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
大きな事業が成し遂げられたとき、発案や企画力が喝采を浴びることが多い。実際に現場で携わった者に対しての評価は、二の次になる。やむを得ないところもある。
ニーチェは、「偉大なる人々は発案にすぐれていたばかりではなく、偉大な労働者でもあった」と。
事業成就の陰には、さまざまな困難があるが、それらを乗り切るための指揮は誰かが執らなければならない。すべての事を到底一人の人間が捌けるはずはなく、総指揮者の下に副司令官を、そしてその下に何人かの特定分野に長けた者を置く必要がある。副司令官がそれらを束ね、総指揮者が決断するのである。
それほど大きくない事業では、突出した能力を持つ一人のリーダーが仕切る場合もあるが、大きな事業では組織力が求められる。指揮者には、人間力や胆力が必須であることは言うまでもない。
(令和7年2月9日 5:15)
心の生活習慣を変える
毎日の小さな習慣の繰り返しが、慢性的な病気をつくる。
それと同じように、毎日の心の小さな習慣的な繰り返しが、魂を病気にしたり、健康にしたりする。
例えば、日に十回自分の周囲の人々に冷たい言葉を浴びせているならば、今日からは日に十回は周囲の人々を喜ばせるようにしようではないか。
そうすると、自分の魂が治療されるばかりでなく、周囲の人々の心も状況も、確実に好転していくのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
地域での「ラジオ体操会」は、令和7年9月末で開始から10年となる。台風による暴風警報発令に伴う2回の中止以外、一度も休み無く続けて来た。早寝早起きが基本となる早朝からの「ラジオ体操」の習慣は、参加者にとっては何よりの健康法だ。みなさん頗る(すこぶる)元気である。
ほとんどが80歳以上(90歳以上2名)だが、「ラジオ体操会」の参加を生きがいの一つとされている。「ラジオ体操の出席無くして、何の己の人生かな」といったところだ。もちろん、私自身そう思っている。
「心の健康」の維持にもつながっていると思われる。そしてそのことは、周りの方々にも好影響を及ぼしていると言える。
(令和7年2月8日 4:24)
人間であることの宿命
この生の時間の中で多くの体験をした挙句、私たちは人生を短いとか長いとか、富んでいるとか、貧しいとか、充実しているとか空しいとか判断している。
しかし、自分の眼がどこまでも遠くを見ることがないように、生身の体を持つ私たちの体験の範囲と距離は、いつも限られているのだ。耳も、すべての音を聞くことはない。手も、すべてのものに触れることはできない。
それなのに、大きいだの小さいだの、固いだの柔らかいだの、と勝手に判断している。つまり、最初から限界があるのに、自分たちの判断が間違っているかも知れないということに気づかないでいる。これが、人間であることの大小さまざまの宿命なのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人間の独断と偏見、不遜が、世の中に充満していないか。
例えば、「雑草」という草花は無いにも拘わらず、大部分の人間の好みに外れているという理由(だと思うが)で「雑草」と呼ばれている草花が在る。おかしな話ではないか。
人間の判断力には限界があるのに、他のことでも勝手に判断していることが少なからずある。ニーチェは、「自分たちの判断が間違っているかも知れないということに気づかないでいる」と言われるが、そうは思わない。
「地球上に存在する生物の中で一番優れた資質を持っている」という不遜な気持ちが、そのようにさせているとしか思えない。今回の武漢ウィルスの感染拡大も、起因のひとつはそういったことにあると思う。
(令和7年2月7日 4:41)
AIチャットGPTがよく話題に上るが、数カ月前、遊びで「論語と谷口」で検索してみた。すると即座に、12ポイントの活字でA4用紙12枚の長文が出て来た。おもしいので最初の部分だけ抜粋して紹介する。
「『論語』は、孔子とその弟子たちの言行録であり、中国の古典的な儒教の教典です。一方、谷口利広は、日本の哲学者であり、主に倫理学や政治哲学に関する著作で知られている、谷口は『論語』について多くの研究を行っており、『論語』の中に含まれる孔子の教えや思想を解釈し、現代社会における倫理的・政治的課題に応用する方法を提案している。例えば、谷口は『論語』の中で孔子が強調した『仁』という概念を重視し、仁によって社会がより公正で平等なものになると主張している。総じて言えることは、谷口は『論語』を重視し、それを現代社会においても有用な哲学的・倫理的指針として捉えていることだ……」。<原文のまま>
といった感じである。
哲学者の一員に加えていただいたことは光栄だが、面映い気持ちだ。あとはわりと的を得た文章となっている。
生に強く向かうものを選べ
すべて良いものは、生きることを促している。或いは、生きることの刺戟となっているのだ。
死を題材にしている書物でさえ、生への刺戟となっている良書がある。生命をテーマにしていながらも、生を矮小化する悪い書物がある。
言葉にしても、行動にしても、生に強く向かっているものは良いのだ。もちろん、活き活きと生きることは周囲に良い影響を与え続けることになる。自分がそういう良いものを選ぶことで、すでに多くのものを生かすことにもなるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
それぞれに事情があるのだろうが、自殺をする人が絶えない。残念至極だ。特に「後世畏るべし(こうせいおそるべし)」と思われる若者が、自ら命を断つことは堪え難い。とにかく、命を粗末にしてはならない。
曽子(孔子の弟子である曽参<そしん>)が遺したとされる「孝経」の中に、孔子の教えとして「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。敢て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とある。身体は髪の毛一本から爪先に至るまで、すべては父母から授かったものだから、粗末にしてはいけないという意味である。曽子は死の直前自らの弟子たちに、「私は終生、これを守り通したと言われた。
絵画でも書でも、彫刻でも、そして文学などでも、生への刺戟となる生命力や躍動感の溢れる作品は、鑑賞する者を元気づける。
自らの日々の活動が、周りの人を少しでも元気づけることができれば、至上の喜びとなろう。
(令和7年2月6日 4:22)
人生を最高に旅せよ
知らない土地で漫然と行程を消化することだけが旅行だと考える人がいる。買い物だけをして帰ってくるのが旅行だと思っている人もいる。
旅行先のエキゾチックさを眺めるのをおもしろがる旅行者もいる。旅行先での出会いや体験を楽しみにする旅行者もいる。一方、旅行先での観察や体験をそのままにせず、これからの自分の仕事や生活の中に生かして豊かになっていく人もいる。
人生という旅路においてもそれは同じだ。その都度そのつどの体験や見聞をそのとき限りの記念品にしてしまえば、実人生は決まりきった事柄の繰り返しになってしまう。
そうではなく、何事も明日からの毎日に活用し、自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
長寿の家系ではないが、今の健康状態からしてあと15年くらいは生きられそうだ。交通事故など、アクシデントが無ければの話しだ。想い起こせば、さまざまなことに挑戦できた幸せなこれまでの人生だった。
今現在も、平凡に過ごしておれば経験できないような場面に立つことができそうな状況にある。両親から貰った「丈夫な体」と「健康」があるからだと感謝に堪えない。加えるならば、長距離走のトレーニングで育んだ不撓不屈の精神力が為せる所業である。
ニーチェは言われた。「何事も明日からの毎日に活用し、自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ」と。至言である。
今後も、飽くこと無く可能性を求めたい。
(令和7年2月5日 4:40)
恐怖心は自分の中から生まれる
この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きている。
恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、なおまた苦しんでいるのだ。それどころか、未だ体験していないことにすら恐れ苦しんでいる。
しかし、恐怖心の正体というのは、実は自分の今の心のありようなのだ。もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。自分自身の心なのだから。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「論語」に「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず」」(憲問第十四)<思いやりの心を持っている人は内に疚しいところがないので憂えない、知者は道理を弁えているので迷わない、勇者は義を貫く意志が強いので何事も恐れない>とある。
「あなたの恐怖心は何か」と問われても、一般には明確には答えられないだろう。人から「勇者」と言われる人はそう多くは無いだろうし、誰もが何がしかの「恐怖心」を持っているのではないか。
逆説的に言えば、「ゆえに慢心せず日常を送れている」ような気もするのである
(令和7年2月4日 4:52)
自分自身を見つけたい人に
自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えればよい。
これまで自分が真に愛したものは何であったか。自分の魂を高みに上げたものが何であったか。何が自分の心を満たし喜ばせたか。これまでにどういうものに自分は夢中になったか。
これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。
(ニーチェ・「ショーペンハウアー」から)
自分がどういう人間かと深く追究しようとする人は少ないだろう。私は深く思索するタイプではないので、ニーチェの「自分自身を見つけたい人に」を読むまで、考えたことも無かった。なるようにしかならないと、これまで気ままに生きて来た。
ニーチェの挙げた問いに向き合うならば、確かに自分というものの本質が明らかになるだろう。だが、たとえ明らかになったとしても、70歳代半ばに差し掛かった今、何をどう改善するかは悩ましい問題である
大きく舵を切ることは難しい。微調整を図りながら、ほぼ今までどおりに生きていくしかないのだ。
(令和7年2月3日 4:03)
楽しんで学ぶ
たとえば、外国語を学んでまだ少ししか話せない人は、すでに外国語に通じて流暢な人よりも、外国語を話す機会をとてもうれしがるものだ。
こういうふうに楽しみというものは、いつも半可通の人の手にある。外国語に限らず、やり始めた趣味は、いつも楽しくて仕方がないものだ。
そうであるからこそ、人は学ぶことができる。つまり、大人であっても、遊ぶ楽しさを通じて何かの達人になっていくのだ。
(ニーチェ・「ニーチェ言葉」から)
趣味の世界では、何でも楽しく続けることが大事だ。仕事もそうありたいが、毎日楽しく仕事が出来ている人はそう多くないだろう。私は望む職業に就けたので、幸せだった。
「論語」には、「之を知る者は、これを好む者に如かず。之を好む者は、これを楽しむ者に如かず」(雍也第六)とある。楽しく実践するから続くのである。続くから、上達するのだ。
何でも40年以上続けなければものにならないが持論だ。絵画でも、書でも、写真でも、すべてのことに通ずると思う。続けるためには、「楽しく」が大事なのである。
仕事も趣味も楽しく続けるならば、それこそ人生の達人と言えよう。
(令和7年2月2日 4:43)
所有の奴隷
人生には、金銭も快適な住居も健康で豊かな食事も必要だ。それらを手にすることによって、人は独立し、自由に生きることができる。
ところが、そういった所有が度を越すと、一転して人は所有欲の奴隷になってしまう。所有するために人生の時間を費やし、休息の時間まで交際に拘束され、組織に操られ、挙句の果ては国家にまで縛られてしまうのだ。
人生とは、限りなく多くの所有する競争のために与えられた時間ではない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
確かに所有欲が度を越すと、余程強い意志を持ち合わせていない限り、所有欲の奴隷になってしまう恐れがある。
所有欲を満足させるために人生の多くの時間を費やすことは、愚策である。人生は長くはない。もっと有意義なことに限られた時間を使うべきだ。
しかし度を越すとよくないが、他者が一見すると無駄なことも本人にとっては、よい息抜きになっていることも往々にしてある。
所有欲を適度に満たしながらも、「人を立て、人を達し」、節度をもった生活を送るというのが正解に近いのであろう。
(令和7年2月1日 4:37)
喜び方がまだ足りない
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあったたけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことはきもちいいし、体の免疫力だって上がる。
恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子どものように喜ぼう。
喜べば、くだらないことを忘れることがで゜きる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜びみ、嬉しがって生きよう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェは、父親を4歳のときに失くしたようだ。彼と母親や妹との関係も、うまく行かなかったと聞く。愛する人との結婚も出来なかった。
若くして精神を病み、恐らく心底から笑うようなことが少なかったのではないだろうか。
多くの著作を遺したが、若い時は売れなかったようだ。晩年、作品がベストセラーとなったとき、病が進みそのことも理解できなかったと。55歳の生涯だったが、最後の10年間は病のため執筆をしていない。神童として評判高く、20歳代半ばで有名大学の教授に抜擢されたが、けっして恵まれた人生とは言えなかった。
きっと子どものように無邪気に大笑いしたかっただろうが、なかなかそれも難しかっただろう。
ニーチェの言われるように、一度きりの人生、「恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう」。大いに楽しもう。「大いに笑えば体の免疫力が上がる」ことは、近代医学でも証明済みだ。
大いに笑って過ごしたいものである。
(令和年1月31日 4:57)
冬の蓮路苑
拙庭を「蓮路苑(れんじえん)」と呼んでいる。特に深い意味はなく、俳号の「蓮路」やペンネームの「伊豫於 蓮路(いよお れんじ)」から採った。
他の庭でも同じだが、今の季節「蓮路苑」は一見、殺風景である。落葉樹の裸の姿は味わいがあるが、分からない方も少なくないだろう。しかしそのような中、「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり」<論語 子罕第九>(としさむくして、しょうはくのしぽむにおくるるをしるなり)〚寒さが厳しくなってはじめて、松や柏の木のようにしぼまないのが分かる〛<人も苦しみにぶつかって、はじめて真価がわかるものだ>のとおり、黒松の凛とした姿が美しい。樹齢70年くらいと推定するが、寒暑を耐え忍んで来た重みを感じる。
黒松の手入れには年間数十時間をかけているが、日々そのかいがあると感じている。玄関先なので出入りする際、否が応にも眼に止まる。今年もきちんと手入れをしたい。
若い頃、高校の担任であった故 渡邊一生先生から「谷口君よ、20代後半で「松柏を友とする」とは大したものだ。引き続き精進を」と仰っていただいた。あれから45年以上の月日が流れた。黒松の樹格は圧倒的に向上したが、私の方はと言えば、齢を重ねたほどには成長できていない。愕然とせざるを得ない。
さて、目を凝らすとハクモクレンの花芽が日に日に大きくなってきたのが分かる。近年は、3月7~8日ごろの開花だ。花芽はまだまだ小さいが、少なくともその数1,000個は下らないと思われる。花どきが楽しみだ。もう少しすると、道路を行き交う人も花芽の成長に気づかれることだろう。ツツジ類の花芽も目立ってきた。
こうした樹木たちの春に向けての準備を感じ取ることも、「庭いじり」の醍醐味と言えよう。もう2週間もすると、今年1回目の殺虫剤散布をしようと思っている。害虫が動き始める直前の撒布が効果覿面なのである。
(令和7年1月30日 5:30)
絶えず進んでいく
「どこから来たか」ではなく、「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉は、その点から与えられる。
どんな将来を目指しているのか、今を越えて、どこまで髙くへ行こうとするのか。どの道を切り拓き、何を創造していこうとするのか。
過失にしがみついたり、下にいる人間と見比べて自分を褒めたりするな。夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこそこの現状に満足して止まったりするな。
絶えず進め。より高みを目指せ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
私がいつも考えていること、思いのたけを分かって貰い、ニーチェが代弁してくれているかのようだ。初めて『ニーチェの言葉』を読んだときに感じたものが、ここに凝縮されている。
人は「現状に満足して止まったりするな」「絶えず進め。より高みを目指せ」、まさにその通りである。80歳になっても90歳を超えても、怠惰に流されず昨日よりも今日、今日よりも明日と、強い向上心を持って最期の日を迎えたい。
「大したことは出来なかったが、自分なりに努力を積み上げた。少しは他者のために汗もかけた。思い遺すことは無い」と眼を閉じたいものだ。
(令和7年1月29日 4:48)
自分の中にある高い自己
高い自己に、ふと出会う日がある。いつもの自分ではなく、もっと澄み切った高級な自分自身が今ここにいるのだということに、神や主君からの恵みのように気づく瞬間がある。
その瞬間を、大切にするように。
(ニーチェ・「ニーチェ言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。幼少時から「神童」として名を馳せ、24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
精力的に執筆していた頃、出版した本は売れず、途中から自費出版だったようだ。父親は幼い時に失くした。母親との関係はうまく行かず、妹とも。求婚するも断られ、45歳で発狂した(ニーチェは梅毒を病んだと言われるが、梅毒の末期症状としては脳実質が広く冒され、妄想や記憶障害、思考力の低下などの精神神経障害が現れることがある)。途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、最後の10年は執筆も叶わず、55歳で生涯を閉じた。
一般に「哲学者は難解で抽象的な事柄を思索して説く人」というイメージを持つが、ニーチェはそうではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残ると思われる。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が新しい価値を生み出そうとする刺激を受けるからだ。
大成功を夢見たり、ぼんやりしているときに自分がすごく出世したり、凄い記録を達成したりした光景が浮かんで来たりした経験はないだろうか。恐らく、誰にでもあるのではないか。
そういった経験を「単に夢と捉えるのではなく、夢が現実となるように一歩でも近づけるように努めなさい」とニーチェは言われているのではないだろうか。
「努力は天才に勝る」、努力を積み上げることが求められる。コツコツと努力したい。「地位や富にこだわるな」と言われるが、ある程度の地位が無ければ、正論も述べても受け入れられない。真っ当な手段で富を得て、それを困っている人に分け与えてあげればよいという考え方もできる。
付け加えるならば、南洲翁が言われたように、「児孫に美田を遺してはならない」。
(令和7年1月28日 5:14)
現実と本質の両方を見る
目の前の現実ばかり見て、そのつどの現実に適した対応をしている人は確かに実際家であり、頼もしくさえ見えるかも知れない。
もちろん、現実の中に生き、現実に対応することは大切だ。現実は蔑視すべきものではないし、現実はやはり現実なのだから。
しかし、現実の向こう側にある普遍的なもの、抽象的なものが何であるのか、捕まえることのできる視線を持たなければならないのだ。あの古代の哲学者プラトンのように。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
流行を捕らえ、うまく対応することは悪いことではない。しかし、流行を追いかけているばかりだと、ものの本質を見失ってしまうこともあるだろう。
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で体得した概念として知られる「不易と流行」という言葉がある。いつまでも変わらないものの中に新しい変化を取り入れることを指す言葉である。また、新しさを求めて変化をすること自体が、世の常であるということも指す。
孔子の仰った『学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆うし』(為政第二)は、「不易と流行」の先取りだったと言えなくもないと思うのである。
(令和7年1月27日 4:55)
考えは言葉の質と量で決まる
ふだん私たちは、自分の考えや感情を心に思ったり、誰かに喋ったりしている。そのときに、自分の考えや言いたい事は概ね表現できていると思っているはかりでなく、相手に対しても全部とは言えないかも知れないが、まぁほとんど伝わっているだろうと楽観的に思いがちだ。
けれども、私たちはいつも自分が持ち合わせている言葉で考えを表現しているのだ。つまり、持ち合わせの言葉が貧しければ、表現も貧しくなっているし、考えや感情を本当は十分に表しているとは言えない。同時にまた、その言葉の質と量が自分の考えや心を決めている。語彙の少ない人は、考えの持ち方もがさつになるという具合にだ。
だから、優れた人々との会話や読書、勉強によって言葉の質と量を増やすことは、自然と自分の考えや心を豊かにすることになるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェ言葉」から)
ニーチェの言われる「持ち合わせの言葉が貧しければ、表現も貧しくなっているし、考えや感情を本当は十分に表しているとは言えない。同時にまた、その言葉の質と量が自分の考えや心を決めている。語彙の少ない人は、考えの持ち方もがさつになるという具合に」は、心底納得する。
「優れた人々との会話や読書、勉強によって言葉の質と量を増やすことは、自然と自分の考えや心を豊かにすることになる」にも疑いの余地は無い。
齢を重ねても家でテレビの番をするのではなく、学びの場を求めて外に出ることが求められる。「もう歳だから」ではなく、「生涯学び続けなければ」の気持ちを持ち続けることが大事だ。
亡くなる直前に、「年齢を重ねる毎に学びを大切にしてきた」と思えれば、喜ばしいことである。そのような人生にしたいものだ。
(令和7年1月26日 4:45)
遠くから振り返れ
今まで長く関わり続けて深く知っていると思うものといったん別れ、離れた場所から振り返ってみよう。すると何が見えてくるか。
ずっと住んでいた町から離れ、遠くに立ったとき、町の中心にある塔が家並みからどれほど高くそびえていたのかが初めて分かるものだ。それと同じことが起こるだろう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ずっと近くにいたり、長く関わっていると、本質が見えなくなってしまうことがある。離れたり、異なる角度から眺めると見過ごしていたものや、今まで気づかなかったものにも気づかされることがある。
慣れは怖い。常に新鮮な気持ちで接することが求められるというものだ。これは危機管理や安全管理などでも言えることだ。電車の運行などでの指差し確認なども、侮らず、おろそかにせず、きちんと実行することが大事だ。
(令和7年1月25日 5:05)
最短の道は現実が教えてくれる
数学では、最短の道は始点と終点を直線で結んだ道だと教えてくれる。しかし、現実における最短の道はそうではない。
昔の船乗りはこう教えてくれる。「最も都合よく吹いてきた風が、船の帆を膨らませて導かれた航路が最短の道だ」と。
これこそ、実際に物事を成し遂げようとする場合に通用する最短の道理論だ。頭で立てた計画どおりに物事は運ばない。現実の何かが、遠い道を最も近い道にしてくれる。それが何かは前もって分からず、現実に踏み出したときにようやく分かってくるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
最短の道を探ろうとするのが人の常である。正当な方法で探し、目的を達成できればそれに越したことはない。最短の道を探る努力が、人類の進歩を促してきたと言ってもよいだろう。
しかし、人間は強くない。目的達成のために近道ばかりを探り、挙句の果てにズルをしてしまうことが往々にしてある。そのことも肝に銘じなければならない。
「論語」に、次のような話がある。
孔子の弟子が仕官し、かなりの地位に就いた。その弟子に孔子が尋ねた。「立派な部下を得ることができたか」と。弟子が答えた。「よい男を得ました。この男は、けっして近道をしません。そして公用で無ければ、私の部屋を訪ねたりしません」と。日々の業務をコツコツと地道に努め、余計な願いで私の部屋を尋ねて来ることが無いといったのである。孔子は、「さすが私の弟子だ。日ごろ率先垂範出来ているのだろう」と感心した。
近道ばかりを求めず、王道を歩くべきだと思うのである。
(令和7年1月24日 8:27)
目標にとらわれすぎて人生を失うな
山登りをする。弛まず、獣のように、汗にまみれ、一心不乱に頂上を目指す。途中に幾つもの美しい眺望があるのに、ただ次の高みへと登っていくことしか知らない。あるいはまた、旅行であってもいつもの仕事であっても、一つの事柄だけに耽って他はすっかり忘れてしまう。そういう愚かなことが、しばしばなされている。
たとえば仕事の場合では、売り上げを伸ばすことだけがたった一つのなすべき目的のように錯覚してしまったりする。しかしそうすることで、仕事をすることの意味は失われてしまう。
けれども、このような愚かな行為はいつも繰り返されている。心の余裕をなくし、合理的に行動することを重要とみなし、その観点からのみ人間的な事柄までも無駄とみなして、結局は自分の人生そのものを失ってしまうようなことが頻繁に起きているのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「高み」をめざす山登りをしていた者の一人としては、「途中に幾つもの美しい眺望があるのに、ただ次の高みへと登っていくことしか知らない」については、痛いところを指摘されたような気がしないでもない。
周りから見ると。ただひたすら頂上をめざしているように見えるかも知れないが、結構、眺望やルートの側に咲く花なども鑑賞しているものだ。傍目以上に、楽しんでいる。
仕事も集中したが、私の場合、「他はすっかり忘れてしまう」などといったことはなかった。「心の余裕をなくし、合理的に行動することのみを重要とみなし、人間的な事柄は無駄とみなして、結局は自分の人生そのものを失ってしまう」と言われるが、それはあまりにも極端すぎる見方ではないか。
ある仕事に没頭してそれを仕上げたときの達成感や成就感は、とても大きい。それは、感動を味わうと言い換えてもよいだろう。
仕事でも趣味でも、目標を持って人生を送ることが大事であろう。
(令和7年1月23日 4:21)
計画は実行しながら練り直せ
計画を立てるのは楽しく、快感をともなう。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を創造したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。
しかし、楽しい計画づくりで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。
そして、計画が実行される段になると、さまざまな障害、つまずき、忿懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。
では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
計画実行に立ちはだかる障壁は、知恵を振り絞って排除することが求められる。その際、周りのアドバイスも素直に受け入れる。対応が効を奏さなければ、計画そのものの練り直しもやむなしである。適宜、的確に、かつスピーディーに対処することが大事だ。
周りの協力が得られるためにも、日ごろから自身も他者ために汗をかくことが必要だ。日ごろ他者への協力を惜しんでおいて、困ったときにだけ助けを得ようとするのは、虫が良すぎるというものである。
(令和7年1月22日 4:30)
職業がくれる一つの恵み
自分の職業に専念することは、余計な事柄を考えないようにさせてくれるものだ。その意味で、職業を持っていることは、一つの大きな恵みとなる。
人生や生活上の憂いに襲われたとき、慣れた職業に没頭することによって、現実問題がもたらす圧迫や心配事からそっぽを向いて引きこもることができる。
苦しいなら、逃げてもかまわないのだ。戦い続けて苦しんだからといって、それに見合うように事情が好転するとは限らない。自分の心をいじめ過ぎてはいけない。自分に与えられた職業に没頭することで心配事から逃げているうちに、きっと何かが変わってくる。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人生において悩み事は尽きない。気楽人間と言われる私も例外では無い、振り返れば、ちょっとした悩み事も仕事に没頭するとき、しばし忘れさせてくれたことが多かった。当り前だが、雇われの身では勝手はできず、今日は休みたいなと思っても許されない。
そういう意味では、職人として家で(作業場で)黙々と仕事を続ける人は凄い。休みたい気持ちを振り切って没頭する訳だから、私のような意志薄弱人間では、到底通用しないだろう。
どちらにしても、仕事にもそれなりに努めたから今があるのだ。悩み多き若い方も、明日のために乗り越えていただきたい。
(令和7年1月21日 4:46)
脱皮して生きていく
脱皮しない蛇は破滅する。
人間もまったく同じだ。古い考えの皮をいつまでも被っていれば、やがて内側から腐っていき、成長するなどできないどころか、死んでしまう。
常に新しく生きていくために、私たちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
勘違いをしてならないのは、「昔からの考え方」や「伝統」を捨てなさいとは言っていないということだ。 先人の叡智に習い、受け継ぎ守りながらも、時代に即応した新しいものを研究・研鑽により生み出し継ぎ足せということである。
『故きを温め、新しきを知る』だ。「不易」と「流行」とを考えよとも言える。「不易」とは、どんなに時代が変ろうとも本質は変わらないということである。
付け足すならば、「学びて思わざれば即ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し(『論語』為政第二・まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし)」だ。
昨日よりも今日、今日よりも明日と、向上心を持って混迷の時代を生き抜くことが求められる。
(令和7年1月20日 4:32)
求めるものはここにある
君の立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉は、その足下にある。
ここではない何処か遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に合ったものを探そうとする若者のなんと多いことか。
実は、自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足下にこそ、汲めども尽きさせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「灯台下暗し」というか、大事な物が側にあるのに、もっと大切にしなければならない人が近くに居るのに気づかないでいるということは往々にしてある。
特に若い時は、身近なものを軽視しがちだ。
自らの日々の生活全般を折に触れ見直し、大事なものを粗末に扱っていないか、見過ごしていないかを点検することは大事だ。
求めるものは、案外近くにあるものだ。
(令和7年1月19日 4:37)
日々の歴史をつくる
私たちは歴史というものを、自分とはほとんど関係のない遠く離れたもののように思っている。あるいは、図書館に並んだ古びた書物の中にあるもののように感じている。
しかし、私たち一人ひとりにも確かな歴史があるのだ。それは、日々の歴史だ。今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。
おじけづいて着手せずにこの一日を終えるのか、怠慢のまま送ってしまうのか、あるいは勇猛に挑戦してみるのか、昨日よりもずっとうまく工夫して何かを行うのか、その態度の一つひとつが、自分の日々の歴史をつくるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
人として生まれた限り、私たちは一日一日を大切に生きなければならない。
ニーチェの言うとおり、一日をどのように生きたかが「私たちの歴史」である。子々孫々に自らの「生きざま」「生きた証し」を遺したい。美田は無くとも、子々孫々に胸の張れる「仁」や「徳」に彩られた「歴史」を遺すことが求められるのだ。
(令和7年1月18日 5:29)
冷静さには二種類ある
仕事はもちろん、おおよその物事に対しては冷静沈着であるほうがうまくいく。ところでこの冷静さには、内容の異なる二種類のものがある。
一つは、精神活動が衰えているがための冷静さだ。何事にも無関心で、多くの事柄を自分から遠く感じているために、傍目からはいかにも冷静に見える。
もう一つは、自分の衝動や欲望に打ち勝ってきた挙句に得られた冷静さだ。この冷静さを持っている人間は確な対処ができ、多くのことに理解を示し、一種の快活さを感じさせるという特徴がある。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
物事に対して沈着冷静に対処することが大事であることは言うまでもない。考えることも無く短気で行動すると失敗することが多い。早とちりでの失敗は、誰もが経験することだ。
私は「瞬間湯沸かし器より速い」と揶揄されるほど短気で、失敗の例は枚挙に暇が無い。
孔子は、「先ず行う。その言葉は而る後に之に従う(まずおこなう。そのことばはしかるのちにこれにしたがう)」と仰った。<為政第二・先ず実行して、言葉はその後だ>。これは意味が違う。「言うばかりでは駄目だ。実行が伴わなければ」という意味である。
「ああでもない、こうでもない」と考えるばかりで行動が遅いのは困ったものだが、冷静さを欠いて取り返しのつかない失敗を犯してしまうことは避けなければならないのである。
(令和7年1月17日 4:23)
おじけづいたら負ける
「ああもう道はない」と思えば、打開への道があったとしても、道は見えなくなるものだ。
「危ない」と思えば、安全な場所はなくなる。
「これで終わりか」と思い込んだら、終わりの入り口に足を差し入れることになる。
「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処法が見つからなくなる。
いずにしても、おじけづいたら負ける。破滅する。
相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、状況があまりにも悪すぎるから、逆転できる条件が揃わないから負けるのではない。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
私は子どもの時から物事を悲観的には見なかった。「あいつに出来ることなら自分に出来ないわけがない」と思ってきた。そういう生き方をしてきた。
もちろんすべてのことが実現できたわけではないが、前向きにものごとを考えることはプラスに働いたと思う。
ニーチェの言うようにおじけづいたら負ける。チャンスを引き寄せることはできない。
死ぬまで前向きな気持ちを維持する覚悟だ。たとえ難病で余命が半年と宣告されても、その半年を積極的に精一杯生きる。
(令和7年1月16日 4:45)
自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目のない所でも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よく振る舞う。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることが分かったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。
このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
陰日向の無い行動は、人としてとても大事なことである。信用信頼に係わる。しかしながら、人の眼がないと行動が緩みがちになるのが人の常である。
中国の古典四書の一つ『大学』にも、「慎獨(しんどく)」という言葉がある。「君子は必ず其の独りを慎むなり」と。自分一人のときでも行いを慎み、人倫の道を守ることを意味する。
最近はさすがに見かけなかったが、大分以前には車の窓からゴミや吸い殻を捨てる人が居た。とんでもない行為だ。
学齢に達するまでに、きちんと子どもたちに躾けることが求められる。
昨日の郡生連会長会で、来年度の「社会見学」の日程は5月15日(木)と決まった。行き先については、これから協議していくことになる。
(令和7年1月15日 4:08)
自分を成長させる交際を求める
若い人が傲慢でうぬぼれているのは、まだ何物にもなっていないくせに、いかにもひとかどの者のように見せたがっている同程度の連中と仲間になっているからだ。
その甘い錯覚の中でいい気分になり、若き日の時間を浪費するのはあまりに大きな損失だ。できるだけ早く本当の実力によって昇ってきた人間、功労のあ人間を見つけて交際すべきだ。
すると、今までの自己満足的なうぬぼれや内容のない粋がりや見栄などたちまちにして消え失せ、自分として今は何をすべきかようやく見えてくるはずだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。幼少時から「神童」として名を馳せ、24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
精力的に執筆していた頃、出版した本は売れず、途中から自費出版だったようだ。父親は幼い時に失くした。母親との関係はうまく行かず、妹とも。求婚するも断られ、45歳で発狂した(ニーチェは梅毒を病んだと言われるが、梅毒の末期症状としては脳実質が広く冒され、妄想や記憶障害、思考力の低下などの精神神経障害が現れることがある)。途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、最後の10年は執筆も叶わず、55歳で生涯を閉じた。
一般に「哲学者は難解で抽象的な事柄を思索して説く人」というイメージを持つが、ニーチェはそうではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残ると思われる。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が新しい価値を生み出そうとする刺激を受けるからだ。
手厳しい指摘と取る方も多いだろうが、的を得ている。これは若い人に限ってのことではないと私は思う。
「実力で昇ってきた人と付き合いなさい」は、まさにそのとおりだ。しかし、そういう人を見つけ近づき親交を深めることは、容易ではない。であっても、そうすることが、時間の浪費を防ぐことになる。
(令和7年1月14日 5:10)
精神が高まるほど繊細なものを喜べる
精神がより高く。健康に育っていくほど、その人はあまり突飛な笑いや下品な高笑いをしなくなるものだ。軽率で破裂的な高笑いはほとんどなくなり、微笑みや喜びの表情が増えていく。
なぜならば、この人生の中にこれほど多くの楽しいことがまだ隠されていたのかと、発見のつど喜ぶようになっているからだ。つまり彼は、その微細なものを見分けることができるほど、繊細で敏感な精神の高みに達しているというわけだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
突飛な高笑いをしたり、会話の途中で意味無く笑う人が確かに居る(その人にとっては意味があるのかも知れないが、あまりに頻繁だとそうとは思われない)。私は、「意味無く笑うなよ」「営業笑いはやめなさい」と思ってしまうほうだ。尤も、気難しい顔をされるよりはよいという意見も多い。
ニーチェは、精神的に成長すれば高笑いは減り、微笑みが増えていくだろうと言われる。「隠されている多くの楽しいことを発見し、その度に喜ぶようになっているからだろう」と。
何年も前に「心の欲するところに従えども矩をこえず」の年齢に達したが、家人からは「気難しい顔をして……」と言われる。「繊細で敏感な精神の高み」に達していないのである。
(令和7年1月13日 8:24)
南河内照隅会
論語の勉強会である昨日の南河内照隅会(みなみかわちしょうぐうかい)は、「渋澤論語講義」の最終講義だった。山本正進 塾長(89歳)を講師として、大阪狭山市の「さやかホール」にて19年続けて来た。
昨日は講義の後、近くの「がんこ狭山茶寮」で新年会と慰労会を兼ねて祝宴をもった。平均年齢77歳くらいとかなり高齢だが有徳の同志、大いに盛り上がったことは言うまでもない。塾長には、会員からお祝いの記念品が贈呈された。
来月からは、「易経講座」が始まる。講師は、同じく山本塾長だ。昨日の参加者の何人かは、1/25の私の「論語講演会」にも出席していただけるようだ。有り難い事である。
本日は「成人の日」だ。「ラジオ体操会」から戻ったら、国旗を粛々と掲揚する。
(令和7年1月13日 5:14)
安易な人生を送りたいなら
この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。
だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。
そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
誰もがどこかに、安楽に生きたいと思う気持ちがあるのではないか。
私にも「まったく無い」と言い切る自信はない。70歳を過ぎれば、そういった気持ちが強くなるのがふつうであろう。
何も朝早く起きてホームページを更新したり、ラジオ体操に出掛けていったりすることもない。ゆっくり8時頃まで眠りたいという気持ちも無いとは言い切れない。どこかに弱い自分が。
しかしそうしないのは、たった一度きりの人生、少しでも有意義に過ごしたいと思うからだ。そして、少しでも人のためになれたらと思うからだ。それも、よくよく考えれば自分のためでもある。自己実現を図り、達成感や満足感を得ているのだ。それが生きがいとなっているのだ。
夜更かしをしてぬくぬくと遅くまで寝て居ては、そういった気持ちは味わえない。贅沢をさせて貰っているのだ。
(令和7年1月12日 4:59)
学ぶ意欲
本日の中之島図書館論語塾は、受講者が少し少なかった。
無理も無い。正月明けの寒い日。インフルエンザも流行しているし、そのような中、出席されるのは、「学ぶ意欲」が高い証拠である。私ならば、休んでいるかも知れない。
講義の中で三生連のホームページにも触れた。終了後、早速訪ね方を尋ねてくれた人が居た。訪問者がお一人でも増えればうれしい。それを糧にして努める。(令和7年1月11日 19:13)
自分流儀を貫く
私は若い頃から、仕事であろうが、私事であろうが、文章では「である」調を貫いて来た。「です。ます」調で記した記憶がない。ただ例外は、年賀状などの挨拶文である。もちろん、スピーチや挨拶、講義・講話などでは、「です。ます」調である。これは当然だ。
現役の頃も、先輩から「これまでの方は丁寧調だったけど、簡潔調でいいのかな……」などと好意での忠告もあったが、私の流儀を貫いた。最近も、『矍鑠』の巻頭言などについて、「丁寧調であるべきでは……」などの声がごく時折、間接的に聞こえて来るが、まったく聞く耳を持たない。その人からすれば生意気に聞こえるのだろうが、私からすれば「もっと勉強しなさい」である。 丁寧調であっても、その人の根底に「徳」や「恕」がなければ、文章に心の深奥が例外なく沁み出てしまう。いわゆる、「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」な文章である。
他の事でも媚び諂わず、自分流儀を貫く」と冷や飯を喰らう事が、世の中においては少なくない。読者諸氏も、恐らくご経験がおありだろう。私は「冷や飯」を何度も食べて来たが、後悔など微塵も無いのである。
(令和7年1月10日 13:25)
自分は常に新しくなっていく
かつてはこれこそ真実だと思っていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少し違うと思う。
それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らないほうがいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから、当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。
人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向っている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮を促すことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。
(ニーチェ・「悦ばしき知識」)
「人間は常に成長を続け、新しい生に向っている」と。だから、若かったとか浅はかだったとか、世間知らずだったと「自らを蔑む必要はない」とニーチェは言われる。
成長段階に応じて「真実だと考えることも微妙に変わるし、自らの信条が変ったとしても何の不思議もない」と言われる。ゆえに、「自己批判や他者からの批判にも耳を傾けることは成長を促すことになるのだ」と。
このように言われると、「君子豹変すもありだ」と心のもやもやが随分と晴れるような気がしてくる。
※「君子豹変す」は『易経』に由来する慣用句で、「人格者(君子)は過ちを速やかに改め、名誉を一新する」という意味である。
「豹変」は、ヒョウの毛が季節によって抜け替わり、斑文も美しくなる様子を人の態度が一変することになぞらえている。しかし、近年は「豹が小動物を襲うイメージからか、悪い方へと変わるときに『豹変』と表現する人が増えている」。そのため、この慣用句も「人格者の言動が急に悪化すること」という意味合いで使われることが多くなった。辞書にも本来の意味と新しい意味の両方載っており、誤用とは言えなくなっている。
(令和7年1月10日 4:56)
夢に責任を取る勇気を
過失には責任を取ろうとするのに、どうして夢に責任を取ろうとしないのか。
それは自分の夢なのではないか。自分の夢はこれだと高く掲げたものではないのか。それほど弱いのか、勇気がないのか。
それは自分だけの夢ではないのか。最初から自分の夢に責任を取るつもりがないのなら、いつまでも夢がかなえられないではないか。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「夢に責任を取る勇気を」とは、ニーチェ自身に言っているともとれる。
その証左として、他の自著でニーチェは「世界には、君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め」と言われている。また、「高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない」「心の中に未来にふさわしいビジョンを描け。そして、自分を過去の末裔であるという迷信を忘れるんだ。あの未来の生を思い巡らせば、工夫し、発明すべきものが限りなくある」とも。
根本にそういった考えがあるから、「夢に責任を」と主張するのだろう。
子どものときに描いた夢は、なかなか実現できないのがふつうである。私は中学2年のときに描いた夢を成就した。稀有なケースであろう。特に努力をしたという訳ではないのにである。運がよかったとしか言いようがない。ただ定年まで全うするまでには、紆余曲折があった。へこたれ、挫けそうになったこともあった。何とか乗り越えることができたのも、周りの支えがあったからだと感謝に堪えない。
今現在も。もちろん夢や目標がある、「夢は叶えるもの」とよく言われるが、実現するよう努める。叶えられなければ、どのように責任を取ろうか。
「夢に責任を取る勇気を」、含蓄のある言葉だ。
(令和7年1月10日 16:12)
日本ミツバチの蜂蜜
会報「矍鑠」30号にも蜂蜜について記したが、さらに調べてみた。
日本ミツバチの蜂蜜と西洋ミツバチの蜂蜜には、次のような違いがある。
・ 採蜜量:日本ミツバチは年に1~2回しか採蜜できないのに対し、西洋ミツバチは一年に何度も採蜜できる。
・ 蜜の収集方法:さまざまな花の蜜を集める「百花蜜」を作り、西洋ミツバチは特定の花から蜜を集める「単花蜜」を作る。
・ 味わい:花の香りや奥深い風味、ほどよい酸味が味わえる。西洋ミツバチの蜂蜜は、蜜源植物や地域によって香りや味わいが異なる。
・ 希少性:希少価値が高く、市場で売られているはちみつの0.1%と言われる。高額だ。 栄養価:滋養分が高いと言われている。
日本ミツバチは日本書紀にも登場するほど古くから日本にいる在来の野生ミツバチで、繊細で人間に管理されるのを嫌うため飼育がとても難しいとされる。
人間が初めて手に入れた甘味料とも言われる蜂蜜は、美味しさはもちろんのこと、その高い栄養効果から人類の歴史になくてはならない存在だ。だがそれは、精製、加糖、加熱などの加工されていない純粋な天然の蜂蜜の話である。蜂蜜はミツバチが花の蜜を集めただけのものではない。小さなミツバチが集めてきた花の蜜は、最初はさらさらしたものである。それを働き蜂たちが口から口へと移しながら体内の酵素の働きによりショ糖からブドウ糖・果糖へと濃縮しながら変化させていく。
そして、六角形の貯蔵庫に収められたあとも水分を飛ばすために、ミツバチたちは小さな羽を震わせて風を送り続ける。しっかり水分を飛ばし完熟した蜂蜜はロウで蓋をされやっと完成だ。こうして出来上がった蜂蜜には、ビタミン、ミネラル、アミノ酸の他に酵素やポリフェノールなど体にうれしい成分がたっぷり含まれている。それをそのまま体に取り入れることができるのが、天然の蜂蜜の素晴らしいところだ。早い製品化を望めば、加工処理が必要となる。安く、早く、それはどの分野でも同じように求められるかもしれないが、本物には時間がかかる。
完成した蜂蜜は、巣箱から取り出した巣枠を遠心分離にかけて採蜜される。その際、混ざってしまった巣のかけらなどを取り除くために濾過する。養蜂家の中には、この濾過に花嫁のベールに用いられるオーガンジー生地を使う人も居るようだ。布の中でも目が細かく、きれいにはちみつを濾せるそうだ。濾過しただけの純粋な蜂蜜には、花の香りと栄養がそのまま生きている。熟成した天然の蜂蜜のうっとりするようなひと匙は魅力的だ。
日本ミツバチは希少性が高いが、それは採蜜する時期が年に1~2回しかないことも大きく関係している。市場に多く出回っている西洋ミツバチの蜂蜜ツは1年に何度も採蜜することができることを考えると、年に1~2回という採蜜回数は非常に少ないことが分かる。
日本ミツバチの蜂蜜の採取時期は、主に秋である。この時期の蜂蜜は濃度も濃く、しっかり熟成したコク深い甘みが味わえる。また、日本ミツバチと西洋ミツバチでは養蜂の方法にも違いがあり、使用する道具も異なる。西洋ミツバチは枠組みのある巣箱に蜜を集め、それを遠心分離機にかけて蜂蜜を採取する方法が一般的だ。
日本ミツバチでは重箱式巣箱という巣箱を使う。また、日本ミツバチの巣は静養ミツバチの巣に比べて柔らかく壊れやすいため、採蜜に遠心分離機は使用できない。日本ミツバチの蜂蜜は巣をまるごと砕き、そこから自然と蜂蜜がしたたり落ちるのを待って採蜜する。こうした違いも、日本ミツバチの蜂蜜が希少で高価になる理由のひとつと言える。
日本ミツバチのハチミツのおいしい食べ方
日本ミツバチの蜂蜜本来の香りや複雑な味わいを楽しむためには、まずそのまま舐めるのが一番と言われるが、他の食材と組み合わせることでまたひと味違ったおいしさが楽しめる。
パンに塗る
蜂蜜とパンは定番の組み合わせだが、それぞれのおいしさをお互いが引き立て合う相性抜群の組み合わせと言える。また、トーストした熱々のパンに蜂蜜をさっと塗ると豊かな香りがより一層感じられる。
ヨーグルトにかける
蜂蜜ヨーグルトも定番の組み合わせのひとつだが、蜂蜜本来のおいしさと健康効果をしっかりと活かせる食べ方でもある。
蜂蜜に含まれる栄養素のなかには熱に弱い成分も含まれているため、加熱せずに取り入れるのが最も効果的だ。冷たい状態で食べる蜂蜜ヨーグルトは、蜂蜜を加熱しないため、蜂蜜本来がもつ栄養素を余すことなくそのまま摂取できる。また、ヨーグルトには乳酸菌やビフィズス菌などの善玉菌が含まれているため、腸内環境の改善にもより高い効果が期待できる食べ方と言える。
日本ミツバチの蜂蜜の賞味期限・保存方法
蜂蜜は長期保存が可能な食品として知られているが、日本ミツバチの蜂蜜も例外なく長期間の保存が可能だ。蜂蜜は雑菌が繁殖するのに必要な水分が少ないほか、抗菌作用もあるため、未開封の状態であれば基本的に腐ることはない。しかし、採蜜から時間が経つと、蜂蜜ならではの香りや風味は徐々に損なわれていく。そのため、日本ミツバチの蜂蜜本来のおいしさを味わうためには、賞味期限にかかわらずできるだけ早めに食べ切るようにするのがよい。
また保存方法としては、通常の蜂蜜同様、常温の高温多湿を避けた冷暗所での保存が望ましい。温度変化が大きい場所や直射日光が当たるような場所では劣化が進みやすく味が落ちる原因となるため、常温の中でも温度変化の少ない保存場所を選ぶのがよい。
蜂蜜と金属スプーン
金属スプーンは使用しないように言われることが少なくない。私はそれを守って来た。
最近の情報では、蜂蜜を金属製のスプーンで食べても、一般的に家庭で食べる程度であれば問題はない。市販の金属スプーンの多くはステンレス製で、蜂蜜をすくう程度の時間であれば金属が溶ける心配は無いと。
それでも蜂蜜と金属スプーンの相性が気になる場合は、金属以外の材質のスプーンを使用することをお勧めする。蜂蜜に使えるスプーンの材質には、次のようなものがある。
(以上、何人かの養蜂家が書かれたものを参考にした。何か情報があれば、ご教授いただきたい)
(令和7年1月9日 4:22)
快・不快は考え方から生まれる
快感と不快感は、何かが自分に与えてくるものだと私たちは思い込んでいる。けれども実際には、自分の考え方が動かしているものなのだ。
たとえば、何かをしたあとで私たちは「ああしなかったら、うまくいったのに」と不快感を覚える。逆に、「こうやったから結果が最上になった」と快感を覚える。
こういうふうに思えるのは、自分はやり方についてどちらの選択も選べる自由があるという前提から生まれた考えなのだ。
自分には選択の自由があったというその考えさえなければ、こうなったという現状に対して、快感も不快感も生まれる隙はないのではないだろうか。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
さすが哲学者だ。「何でもなぜだ」と思索するのだろう。言われればなるほどと思うのだが、単純な私には及びもつかない。
子どもの頃、無着成恭さんがラジオの「全国こども電話相談室」で「何でもなぜと考えよう」と言われていた。私が小学生の頃だったと思ったのだが、調べるとこの番組の開始は東京五輪の年であり、中学2年の時だった。私の記憶などあてにならない。
「自分には選択の自由があったというその考えさえなければ、快感も不快感も生まれる隙はないのではないだろうか」と。納得である。
(令和7年1月8日 12:41)
疲れたと感じたら、考えない。思わない。
いつものように毅然としていられなくなったら、疲れている証拠だ。疲れていると、私たちは溜め息をつき、愚痴を口にし、後悔を口にし、ぐるぐると似たようなことを考え、そのうち憂鬱なことや暗いことが頭の中を勝手に動き回るようになる。
それは毒を吸うようなことだから、疲れたと感じたら、考えることをやめ、休んだり寝たりするに限る。そして、毅然として活動できるように明日に向って備えよう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
確かに疲れたときはシャキッとできない。やる気も起こらず、いいアイデアなど浮かぶ筈がない。当然だ。
そのようなとき、昔から睡眠・栄養・入浴が大事と言われて来たが、その中でも睡眠をしっかりとるということが一番だろう。
風呂に入らなくても、旨いものを食べなくても(水分補給は必須)、ぐっすり眠れば「元気」「やる気」は回復する。
「やる気」が回復すれば、食欲は自ずと旺盛に向かう。風呂にも入りたくなる。
睡眠不足は万病の元だ。よい睡眠がとれるように、創意工夫をしたい。
(令和7年1月8日 4:05)
いつかは死ぬのだから
死ぬのは決まっているのだから、朗らかにやって行こう。
いつかは終わるのだから、全力で向かって行こう。 時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラの役者に任せておけ。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「芸術は長し、人生は短し」、人生には限りがある。たった一度の人生だから明るく朗らかに、そして何事にも全力で挑む。
「今やらなくていつできる。俺がやらなきゃ誰がやる」の気概を持って歩む。挑みたい、歩みたいではなく、「挑む、歩む」だ。
(令和7年1月7日 4:50)
ぽつりぽつりと
ぽつりぽつりと雨が降っている。これからもう少しだけ強くなるのかも知れない。ラジオ体操は久しぶりに自治会館内でを、余儀なくされる。雨は、昼前には止むようだ。今日は有志8名で、平群町の喫茶店において「新春ランチ会」を催す。庭木には恵みの雨だが、本日の雨は早く止んで欲しいと願う。
(令和7年1月6日 5:10)
誰もが喜べる喜びを
私たちの喜びは、他の人々の役に立っているだろうか。
私たちの喜びが、他の人の悔しさや悲しさをいっそう増したり、侮辱になったりしていないだろうか。
私たちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか。
他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
これは難題だ。競争や勝負事で勝てば相手は悔しいだろうし、相手の周りの方は悲しむ。相手の不幸や災厄に対して喜んではないが、結果として相手や周りの方を悲しませている。
だからと言って、手抜きをすれば相手に対して失礼となる。競争や勝負事では、全力を尽くすことが相手に対しての礼儀である。
ニーチェの言わんとするポイントは、「復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか」であると思う。「常に清廉潔白の心で臨め、競争であっても相手を敬う気持ちを忘れるな」と理解する。
(令和7年1月6日 4:17)
批判という風を入れよ
キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。
同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。
批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。幼少時から「神童」として名を馳せ、24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
精力的に執筆していた頃、出版した本は売れず、途中から自費出版だったようだ。父親は幼い時に失くした。母親との関係はうまく行かず、妹とも。求婚するも断られ、45歳で発狂した(ニーチェは梅毒を病んだと言われるが、梅毒の末期症状としては脳実質が広く冒され、妄想や記憶障害、思考力の低下などの精神神経障害が現れることがある)。途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、最後の10年は執筆も叶わず、55歳で生涯を閉じた。
一般に「哲学者は難解で抽象的な事柄を思索して説く人」というイメージを持つが、ニーチェはそうではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残ると思われる。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が新しい価値を生み出そうとする刺激を受けるからだ。
「イエスマンばかりでは組織として停滞する」とよく言われる。異なる意見には参考となるものも少なくない。ところが三流のリーダーは、周りにイエスマンばかりを配置しがちだ。耳障りの悪い意見を持つ者は、窓際に置いてしまう。そうなると、組織としての発展は滞ることになる。
リーダーたる者には、広い度量で異なる意見にも耳を傾けることが求められる。そしてリーダーは、人の見ていない所で汗をかかなければならない事は言うまでもない。
(令和7年1月5日 17;22)
朝起きたら考えること
一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日の間に少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思索することだ。
その喜びは、ささやかなものでも構わない。そうして、何とかこの考えが実現するように努めて一日を送ることだ。
この習慣を多くの人が身につければ、自分だけが得をしたいという祈りよりも、ずっと早く世の中を変えていくことだろう。
(ニーチェ「ニーチェの言葉」から)
自分が人からされて嬉しいことを人にしてあげることができれば、して貰った本人も喜ぶだろう。そうなると自分もきっと幸福な気持ちになれると思う。
孔子は「己の欲せざる所、人に施すな」(『論語』衛霊公第十五)と仰った。『論語』の黄金律とも言える章句である。
「目覚めたときに、他者に一つでも喜びを与えたいと思いなさい。そしてその実現に努めなさい」とは何と思いやりのある、徳のある言葉だろうか。「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」(『論語』雍也第六)と孔子が仰ったが、それと通じる。万人がそのような気持ちになるならば、世の中は幸福に満ち溢れたものとなるだろう。
(令和7年1月5日 5:19)
離れて初めて把握できる
モネが描くような点描画は、間近で見ても何がそこに表現されているのか分からない。離れた場所から鑑賞して初めてそこに描かれているものの輪郭が分かってくる。
物事の渦中にいる人も同じだ。近くにいると、何がどうなっているのか分からない。しかし、物事から離れて遠くから見ると、何が問題かがよく見えてくる。構成しているものの軸になっているものが、くっきりと浮き出てくるからだ。
この手法は、複雑なものを単純化するということだ。思想家と呼ばれるような人は、まずはこの方法を使って、こみいった事柄から太い枠になるものを取り出して単純化し、誰の目にも見やすくするのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
少し意味が異なるが、「灯台下暗し」「傍目八目」といった言葉がある。近くだとかえって見えないものもある。
何かよく分かりにくいなと思ったら、離れたり、しゃがんだり、或いは少し高い所から俯瞰すると、本質がよく分かるということが往々にしてある。
庭木の剪定でも、途中で手を止めて離れて全体を見るというのは、とても大事なことだ。
ニーチェは、「複雑なものを単純化する手法だ」と言われる。要するに、「離れて全体像を眺めることによって、核心に本質に迫ることができる」ということだろう。
(令和7年1月4日 3:55)
誰にも一芸がある
どんな人にも一芸がある。その一芸は、その人だけのものだ。
それを早くから知っていて、十分に生かして成功する人もいる。自分の一芸、自分の本領が何であるか、分からないままの人もいる。
それを自分の力のみで見出す人もいる。世間の反応を見ながら、自分の本領が何だろうかと模索し続ける人もいる。
いずれにしても、たくましく、果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸が分かってくるはずだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
中学生くらいになると自分の長所について考え、十分ではなくとも把握できると思う。しかし、それを自らの人生において、どのように活かしていくかについては20歳くらいにならないと分からないのが、ふつうのような気がする。
自分の一芸を生かして人生を送ることができれば、幸せであろう。だが、自らの一芸が分からず人生を終えてしまう者も者もいるだろう。
ニーチェは「たくましく、果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸が分かってくるはずだ」と言われる。同感である。
年齢に係わらず、飽くこと無く可能性を求めたい。
(令和7年1月3日 4:29)
解釈のジレンマ
物事はいかようにも解釈できる。
よい物事、悪い物事が初めからあるのではない。よいとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになることを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに人生を読み解いていくことのジレンマがある。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
「解釈」とは、辞書によると① 語句や物事の意味、内容などを説明すること。 解き明かすこと。 また、その解説。 ② 物事、特に表現されたものを、自分の経験や判断力などによって理解すること、とある。
私たちは、物事を「自分の経験や判断力などによって理解する」のである。ニーチェは、「人は解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになる」と言われる。言わんとするのは、「解釈は必要だが、それにとらわれず広い視点を持て」ということだろうか。
(令和7年1月2日 7:40)
低い視点から眺めてみる
たまには背をかがめ、或いはできるだけ低くなるようにしゃがんで、草や花、その間を舞う蝶に間近に接した方がいい。そこには、今までは歩く際に遠く見下ろしていた草花や虫とは別の世界の姿が広がっている。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
視点がいつも同じだと固定観念に陥ってしまう。大事なことを見過ごしたり、自らの誤りに気づかないことが多くなる。
時には視点を変えて、世の中を俯瞰することが大事だ。そうすれば、今までなかなか解けなかった課題の、解決の糸口が見つかったりすることもある。
写真撮影でも思いっ切り下の方から撮ってみると、これまでと違った新鮮な切り口になったりするものだ。「こうあるべきだ」をいったん捨てて見ることも必要である。
(令和7年1月2日 4:13)
学ぶ意志のある人は退屈を感じない
学び、知識を積み、知識を今なお教養と知恵に高め続けているような人は、退屈を感じなくなる。あらゆる事柄が以前にもましていっそう興味深くなってくるからだ。
他の人と同じように見聞きしていても、そういう人はふつうの事柄から教訓やヒントを容易に見出したり、考えの隙間を埋めるものを発見したりする。
つまり、彼の毎日は、謎解きとさらなる知識獲得のおもしろさに彩られ、意味のある充実で埋め尽くされることになるのだ。彼にとって、世界は興味の尽きない対象となる。植物学者がジャングルの中にいるようなものだ。
そういう風に毎日が発見と探索に満ちているのだから、とても退屈することなんてできないのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
好奇心の強い人と「学ぶ意志のある人」とは、かなりの部分一致するだろう。齢を重ねてもさまざまな事に興味を示し、学ぼうとする気持ちを持ち続けることは、心身共に若さを保ち続ける秘訣のような気がする。
107歳の長い生涯を貫いた木彫師・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)は、あと30年は制作し続けても余りある材を残した。100歳を越えても制作に傾ける情熱は衰えず、亡くなる直前まで制作意欲に燃えたという。98歳で家を新築したときも、アトリエがないのは寂しいと言って後からアトリエを建て増したと。また、亡くなる直前の床の中でも、裏にある木の径を測ってきてくれ、などと言われたとも。頭の中で次の制作の構想を練っていたのだろう。
平櫛は、『田中節』と言われるさまざまな言葉を遺した。
桃栗三年 柿は八年
梅はすいすいで 十三年
わしは九十九年 枯木の枝に
花はちらほら まだ実は見えぬ
あらし ふくなよ二十年 さきに
きっと実が成る この眼で見たい
きっと実が成る この眼で見たい
いまやらねばいつできる。わしがやらねばだれがやる
私のような凡人には平櫛の真似できないが、そういう方も居られたのだと知るだけでも、大いに参考になるというものだ。平櫛の辞書には、『退屈する』という言葉は無かったはずだ。
「わしがやらねばだれがやる」の気持ちを持ちたい。
(令和7年1月1日 18:58)
謹賀新年
会員の皆様には、恙なく新年をお迎えのことだろう。令和7年の幕開けを皆様と共に喜びたい。皆様にとりまして、本年も輝かしい一年になりますことを心から祈念申し上げる。
不安定で頼りない政治が続いており、心穏やかではない。今年こそ本県選出の高市氏が史上初の女性総理大臣に就任し、改革を推進していただけるものと期待して止まない。皆様も同様の思いだろう。思想や主義主張を異にする方も、まさか『恥』を海外にまで振りまいている「現首相でよいではないか」などとは思っておられないだろう。
友愛のつどい
さて、11月中旬に開催した恒例の「友愛のつどい」は、盛会裡のうちに終えることが出来た。女性部を中心に、本連合会の総力を結集した結果である。内容も、私の知る限りこれまでで最も多彩で充実していた。それは、参加された方全員の感想ではなかろうか。
町の文化祭
今年度の町の文化祭は、10月26日、27日の両日、開催された。「展示の部」の三生連からの出展は、最終的に151点にのぼり、全体の3分の1を超えた。本連合会の底力を示せたと言えよう。出展された方には、心から御礼申し上げる。
社会見学・ハイキング
恒例の秋のハイキングは、今年度も「社会見学」と併せた形で、12月5日に実施し、27名が参加した。『郡山城界隈』を歩いたが、雨に祟られた「春のハイキング」と違ってまずまずの好天に恵まれ、笑顔、笑顔の一日であった。
支部長会
11月1日に、支部長会を開いた。その中で、今後の「総会」について審議され、結果、来年度から「総会」は開催しないと決定した。理由は、連合会業務のスリム化という観点からであり、「総会」は「労多くして実り少なし」ということだ。ご存知のとおり、本連合会の最高議決機関は「支部長会」である。「決算」「事業報告」「予算」「事業計画」等は、これまでどおり、4月発行の会報に掲載する。
当日は開会前に、各支部へ今年度の助成金が交付された。この時期になってしまうのは、補助金の交付が、10月末になるからだ。
郡生連のカラオケ大会
恒例の郡生連のカラオケ大会は、「斑鳩ホール」にて11月28日に開かれた。当日は、4町から99名が出演し、自慢の喉を競った。安堵町の主管だったが、松井安寿会連合会長の指揮の下、見事な運営であった。大したものである。
県老連「ウォークラリー」
11月15日に、高市町連合会の主管で「県老連ウォークラリー」が開催され、實光・百原・萬治・谷口のメンバーで参加した。雨が心配されたが、何とかもってくれた。明日香村もコースの一部に入っており、秋の1日を楽しく過ごした。
残念ながら、上位入賞はならなかった。
藤原監事 「町民表彰」受章
長く本連合会の監事を務められている藤原佑二氏が、11月の文化の日に「町民表彰」を受章された。障害者福祉への貢献が受章理由である。
藤原氏の「町民表彰」受章は、二度目の快挙である。心から祝福申し上げる。
(会報「矍鑠」第30号(1/1発行)「巻頭言」から)
(令和7年1月1日 4:37)
テクニック以前の問題
説得力のある論理的な文章を書くためにいくら文章技術を学んだとしても、論理的な文章を書けるようにはならない。
自分の表現や文章を改善するためには、表現や文章の技術を取り込むのではなく、自分の頭の中を改善しなければならないからだ。
このことかすぐに分からない人は、理解力が足らないのだからいつまでも分からず、どこまでも目先の技術にこだわり続けることになるだろう。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
説得力のある文章を書くためには、「頭の中を改善しなければならない」、手厳しい指摘である。
「論理的に考える習慣を持て」ということなのだろうか。私たち凡人は、それがなかなかできないのである。論理的に考える習慣を育みつつ、基本的な文章の書き方を学ぶことが大事であることは理解できる。
「文章読本」などでは、「学者の書く文章は酷い」というのが定説だ。ダラダラと何が言いたいのか分からないということだろう。もちろん、例外もあるだろうが。
結論(言いたい事)を先に書き、一文を短くし起承転結できちんとまとめる。要するに、「習うよりも慣れよ」であり、「書く」ことを嫌がらずこまめに書く習慣を身に着けることが、文章上達の肝だと思うのだ。偉そうなことを記しているが、私も「説得力のある文章」を暗中模索しているのだ。
と私なりに結論づけて、令和6年の筆を置くことにする。令和7年も、懲りずに引き続きお付き合い願いたい。
(令和6年12月31日 11:37)
自分の生きた意見を持つ
生きた魚を手にするためには、自分で出かけて行きうまく魚を釣り上げなければならない。これと同じように、自分の意見を持つためには、自ら動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない。
そしてそれは、魚の化石を買う連中よりもましなことだ。自分の意見を持つことを面倒がる連中は、金を出してケースに入った化石を買う。この場合の化石とは、他人の昔の意見のことだ。
そして彼らは、買った意見を自分の信念としてしまう。そんな彼らの意見は生き生きとしておらず、いつまでたっても変らない。けれども、この世にはそういう人間が数多くいるのだ。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
難解で抽象的な事柄を思索して説いた人ではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残る。
ニーチェの哲学は決して難しくない。少し読んでみれば、興奮を覚えるだろう。自分の頭で考えるという生々しさに読者が刺激とインスパイアを受けるからだ。(「ニーチェの言葉」著者 白取春彦)
何事においても、自らの意見をもつことは大事だ。そしてニーチェが言われるとおり、「自分の意見を持つためには、自ら動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない」。
「学門をする」とは、先人の歩んだ道を、業績を、取り入れていくことだが、鵜呑みにするのではなくそれを咀嚼し、飽く無き研鑽を重ねる中でさらに肉付けしていくことだ。
「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち危し」(まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし)「学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味は分からない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥る」<「論語」為政第二>と孔子は仰った。
先人に学び、思索することが大事である。
(令和6年12月31日 9:40)
来年は明るい年に
令和6年は本日で終了。
今朝は寒さが緩み、本年最後のラジオ体操は気持ちよくできた。月末てもあり、皆勤賞などの表彰を行った。皆勤賞は5名、精勤は3名だった。皆勤賞獲得百回という驚異的な記録を達成した方が出た。6人目の出席回数3,000回達成者とともに、記念品を贈呈して称えた。
参加者の平均年齢は83歳だ。9年3ヵ月の間、一日も休み無しで続いている。ちなみに、私の皆勤回数は76回である。長男であり、これまで冠婚葬祭で故郷へ帰省する事がしばしばあった。
12/26に、ある支部から「今年度をもって廃会する」との報告があった。その支部の会員数は11名だ。4月の総会には支部長のみの出席で、今年度、行事への参加はゼロだった。支部長も体調が思わしくない。代わりを務める方も居ないという状態だ。大変残念だが如何ともし難い。本連合会はこれで16支部となり、来年度の会員数は700名を切ってしまうかも知れない。
今年は元日早々、能登で大地震が発生、大惨事となった。数日前には、近所で大火事が発生、広い範囲に類焼した。暗いニュースが続いた。が、明日の天気はまずまずという予報だ。神々しいご来光には、大きな元気を貰える。来年は、三生連にとって明るいニュースの多い一年にしたいものである。
(令和6年12月31日 8:15)
男たちから魅力的と思われたいなら
男たちからもてたいと思っているなら、自分の中身に何があるか見せないようにすればよい。
まるで純粋な仮面だけのような女で、しかも姿がうっすらとしか見えない幽霊のような神秘的存在でいればいい。
すると、男たちの欲望はこのうえなく刺激される。男たちは、彼女の中身をさがし始めるのだ。どんな魂を内に持っているのだろうかといつまでも探し続けるのだ。 この方法は、多くの人を魅了するのにも使える。もちろん俳優は、商売柄幽霊のような存在だから魅力的に映っているのだし、独裁者やエセ宗教の教祖は、この方法を最も悪どく、しかし効果的に使っている。
(ニーチェ・「ニーチェの言葉」から)
内面を見せないようにすれば、「神秘的な存在」になるだろう。人を魅了させる技術、悪く言えば人を騙すテクニックのひとつと言えよう。
しかし、隠してばかりいると不信感を生むことも事実である。その兼ね合いがなかなか難しい。
「徳は孤ならず。必ず鄰有り」(「論語」里仁第四)と言われる。内面を見せる見せないに係わらず、有徳の人の周りには自然と善人が集まって来るものだ。
(令和6年12月30日 4:25)
水遣りを
落葉樹はモミジにごく少数枯れ葉が残っているが、すっかり裸になった。本日がゴミ収集の年末最終だったので、昨日、サツキの上に乗っかかっていた葉や、植え込みの下に溜っていた葉を拾い集めた。
庭土がとても乾いていた。このところ風も強いので、乾きに拍車がかかっている。長期の天気予報を見ても1週間以上、雨は無さそうだ。
11時頃から、盆栽の水やりのついでに水遣りをした。主庭も前庭にも、20分以上かけてたっぷりと。風が冷たかったので、かなり着込んで臨んだ。いいタイミングで終わりがけ頃から日差しが強まり、庭木たちの喜びの声が聞こえて来るようだった。これは、庭を愛する者にしか味わえない醍醐味と言えよう。
サツキの花芽も目立つようになった。ツバキの花芽は日に日に大きくなっている。ハクモクレンは無数の花芽を、来季も大いに期待できそうだ。1月の末には寒肥を、2月末には1回目の薬剤散布を、3月に入ったら盆栽に肥料を、などと庭作業の予定に思いを巡らす。春には、2冊を上梓できそうだ。内にも外にもやる事がたくさんある。有難いことである。
(令和6年12月29日 14:12)
本能という知性が命を救う
食事をしないと体が弱り、やがて死ぬ。睡眠が足りないと、四日程度で体が糖尿病と変わらない状態になる。まったく眠らないでいると、三日目から幻覚を見るようになり、やがて死を迎える。
知性は私たちが生きていくのを助けてくれるが、私たちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。
そして私たちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実に私たちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。
だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。
(ニーチェ・「善悪の彼岸」から)
「本能の赴くままに生きることができれば幸せだ」と言われることがある。果たしてそうだろうか。
本能のままに生きるとは、人間の心にある五つの本能(生命・生殖・安楽・慈愛・信頼)から発生した欲望を追求して生きることを指すだろう。本能と理性の関係は、単なる生まれながらにして持っているものや100%間違いないというものを区別することにとどまるのではない。自らの行動そのものにおける違いを示している。理性は持続的で将来的なものを、傾向や本能は現在的なものを志向するとも言える。
本能行動を司る中枢は大脳の視床下部にあり、摂食行動や飲水行動、性行動、睡眠などや、怒りや不安など情動行動の中枢としての機能が知られている。
一般的に私たち人間は、「本能」と「欲望」が全く異なるものと認識しながら日々の生活を送ってはいない。自然発生的に心に浮かんでくる欲を、そのままに行動したり、時に自制したりする。欲のままに生きていれば場合によっては大変なことになるから、自制できることが優秀であるかのように思われる。
また、時には欲を持つこと= 怖いことと感じることがないだろうか。強い欲を持ったために暴力や罪を犯したり、競争相手を陥れたり、戦争を起こしたり……。それらを恐れて欲を持つことは良くないことだ、と思い込んでしまうこともある。
「本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう」といった境地には、なかなかたどり着けないのである。
(令和6年12月29日 4:48)
長所の陰に隠されているもの
そっと遠慮する。誰にも気を悪くさせないよう気遣う。できるだけ迷惑をかけないようにする。
そういう人は、周囲の人々のことを考え、公正な性質を持っているように見える。
しかしまた、その人が臆病であっても、同じようなふるまいをするものだ。
だから、長所に見えるものであろうとも、その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある。
(ニーチェ・「人間的な、あまりにも人間的な」から)
気配り、心配りのできる人は信頼されるが、それが臆病であることに起因していたり、慇懃無礼な言動ということであれば、周りから逆の評価を受けることになるだろう。ニーチェの言われるとおり、「その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある」。
孔子は、2,500年前に「仁」と「徳」を説いた。仁・義・礼・智・信である。後の世の人が、「五常(ごじょう)」と言い表した。
仁とは思いやりの心、義は正義であり、正しい言動、礼は慣習・しきたり・礼儀作法、智は知性であり、信は信用・信頼である。
有徳の人は信頼される。地位や財産は無くとも、周りからあの人は「徳のある人だ」と言われたいものだ。
(令和6年12月28日 4:32)
真実の愛に満ちた行為は意識されない
誰か他人に親切にしたあとは、快感を味わうことができるものだ。親切な行為や善行そのものが快感であるというわけではなく、その行為のあとに少しだけ聖人とか清い者とかに近づいたような気分を味わうことができるからだ。
しかし、ふだんの生活の中で私たちが友人や知人に親しくする場合には、それもまた善行だなどとは意識していない。まったく自然に良いことをしているし、そして、その行為によって自分が清い者になったような気分を味わうことすらない。
けれども、こちらの行為の方が、親切を意識した行為よりもはるかに真実の愛と心に満ち、上位にあるものなのだ。
(ニーチェ・「漂泊者とその影」から)
確かに、友人や知人に親しくする場合は、他人への親切ほどの快感を味わうことはない。しかし、「親切を意識した行為よりもはるかに真実の愛と心に満ち、上位にある」というニーチェの言われることは、実感する。
高齢者にとって残された人生において大事なのは、「生きがい(purpose of life)」と「人とのつながり(human relationships)」を持つことだろう。それが体をちょこまか動かすことにつながり、ひいては健康寿命(healthy life expectancy)の伸長に寄与することになるだろう。
運動をすることはよいことだが、やり過ぎはよくない。何事も程々にするのがよい。そういった点でも、高齢者にとって「ラジオ体操」は特に優れていると思うのだ。
(令和6年12月27日 4:53)
最大のうぬぼれ
最大のうぬぼれはとは何か。
愛されたいという要求だ。
そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。自分だけは特別に評価される資格があると思っている差別主義者だ。(ニーチェ・「人間的な、あまりに人間的な」から)
「誰もが愛されたいと思う」と考える。だがニーチェは、「愛されたいという要求は。最大のうぬぼれだ」と。また「自分は特別な存在だ」という声高な主張があるとも。加えて、「差別主義者だ」と強烈な指摘もしている。
考え過ぎではと思ってしまう。逆説的に推察すれば、ニーチェは愛に飢えていたのかと……。
ニーチェは、プロテスタントの厳格な家庭に生まれた。牧師だったニーチェの父親は、ニーチェが4歳のとき、怪我が原因で他界している。著書で父親を絶賛している。ニーチェは、実は精力的に執筆していた頃は、出版した本は売れず途中から自費出版だったそうだ。求婚するも断られ、45歳で発狂し精神を病み、途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、そのような状況のため最後の10年は執筆もできず55歳で生涯を閉じた。
小さい頃から「神童」と言われたニーチェは、牧師の家の子として生まれたこともあり、母親はニーチェにも牧師職に就くことを望んだ。そのため、ニーチェはボン大学(ドイツのエリート大学の一つ)「神学部」に登録するが、フリードリヒ・リッチュルらが教える、「古典文献学」の授業に惹かれる。
そして21歳の頃、リッチュルがライプツィヒ大学に転出したのを受けて、ニーチェも、ライプツィヒ大学に移ってしまう(ここで、神学から離れたことで、ニーチェが牧師になることを願う母親と揉めたようだ)。
「古典文献学」の師であるリッチュルはニーチェの才能に驚嘆し、学生のニーチェに論文の公刊を勧め、研究雑誌に掲載された。リッチュルがニーチェをスイスのバーゼル大学(スイス最古の大学)の古典文献学の教授に推薦し、若干24歳の若さで教授に就任した(当時の大学教授は、社会的地位が非常に高い存在だった)。ニーチェはこの際、プロイセンの市民権を放棄して、スイス国籍を取得しなかったため無国籍となった。
せっかく大学教授になったのだが、古典に対し独自の見解を発表したことに賛同を得られず、教授就任の約10年後には心身の絶不調で退職に至る。
(「Life&Mind」から)
(令和6年12月26日 8:04)
照 隅 師走に入って訃報が届いた。元理事で永きに亘って本連合会の会計を担当賜った安倍正明氏(美松ケ丘)がお亡くなりになられた。会計業務は煩雑で激務だが、それを7年も担われたのである。その貢献度は大なるものがある。享年85歳だった。ご冥福を心からお祈り申し上げる( 合掌 )▼町の公報「さんごう」でご存知かと思うが(2頁にも掲載)、本連合会の監事として永年ご尽力賜っている藤原佑二氏が、2度目の「町民表彰」の栄に浴された、まことにお目出度い事である。心から祝意を表する。氏は多方面での社会貢献により、これまで叙勲をはじめ、数多の栄に輝かれている。同郷という事も重なり、編集子はとても懇意にしていただいて来た。最近は体調が十分で無いということもあり、お会いする機会が少ないが、これからもご指導を賜りたい▼今年度の「友愛のつどい」は、笑顔笑顔の盛会の内に終えることが出来た。今回は、例年にも増して「余興」が充実していた。銭太鼓・日本舞踊・マジック・ハーモニカ・大正琴・カラオケ歌唱・合唱など、内容が豊富だった。ご協力賜った方には心から御礼を申し上げる▼お帰りの際、3日間とも玄関口までお見送りした。高齢に伴って仕方がない事たが、足腰の弱って来た方が目立った。そういったことが要因の一つなのか、出席者が例年より40名ほど減少したのは残念だった。来年はより多くの出席者になることを期待する▼西村副会長も指摘されていたが、町文化祭の「展示の部」は寂しい限りである。町教委担当者が意欲を示していただかねば実行委員の方も、また各同好会・教室の代表者も「こんなものなのか」となってしまう。本連合会が起爆剤になればと努めたのだが、徒労に終わっているような気がしてならない。甚だ残念である。力を結集して再興しようではないか▼理事のお一人が、二度の大手術を乗り越えられた。会計担当理事として毎日のように事務所に来られている。文字どおり粉骨砕身の働きをされている。支部長も兼任されているが、こちらも立派に努められている。心から敬意を表する。何かにつけ「忙しい」を連発される方が居られるが、この理事の爪の垢でも煎じて飲ませたい▼マラソンや駅伝の季節となり、秋から大会が目白押しである。本紙を印刷するときには、「全国高校駅伝」(12/22)の結果が明らかになっている。五千㍍の平均タイムでは佐久長聖高校(長野)がトップだが、他にも強豪校がひしめく。どのような結末になるのか楽しみだ。奈良県代表の智弁学園も応援してほしい▼正月も元旦には「実業団駅伝」、2日・3日は「箱根駅伝」が開催される。どちらにも、高校の後輩が出場する。箱根は、駒澤大に勝ってほしいと願っているが、12/10に提出された一次メンバーの一万㍍での平均タイムは、中央大がトップである。次いで青山学院、そして国学院大と続き、駒沢大は再開の21位である。箱根駅伝は、各区とも(10区間)20㌔以上と距離が長く、予想を的中させるのは至難の技だ。今年も正月早々、テレビの番だ。家族からは顰蹙の声を浴びることに……▼大変恐縮だが、もう一つ駅伝・マラソンの話題を。パリ五輪代表選考に漏れた高校の後輩日本記録保持者の鈴木健吾(富士通)だが、次の五輪を目指して始動した。練習の質・量とも、徐々に増やしていると聞く。来年1月19日に都道府県対抗男子駅伝が広島で開かれるが、高校の後輩である梅崎(東洋大)とともに愛媛県チームで走る。私にとっては、うれしいニュースだ▼今号は、11名の役員・顧問から寄稿を賜った。各人に何について書いてほしいなどと特に注文しなかったのだが、調整無しですみ分けていただいた。大したものであり、実にありがたいことだ(T)
(会報『矍鑠』第30号「照隅」から)
会報制作作業
昨日の会報制作作業は、8時40分から印刷、折り・綴じ・仕分けは17時15分まで要した。これまでになくハードだった。みなさん、お疲れだろう。だが、不満ひとつ漏らさなかった。「三生連」のスタッフは、凄い方ばかりだ。
今回は20頁だった。スタッフが精魂込めた作品であることを会員には分かってほしい。全国津々浦々、数多の高齢者クラブ連合会があるだろうが、ここまで努めている連合会は稀有だろう。編集作業にも、少なくとも70時間はかけた。じっくり読んでいただければ、報われるというものだ。
帰宅後、18時からささやかな「イブの晩餐」、シャンパン・ワイン・ビールを飲んでヘロヘロ状態になった。そんな体に鞭打って風呂へ入り、寝る前によくないと思いながらもケーキも食べた。20時50分に就寝。
今朝はいつもどおり、3:50分ごろに起床した。膝や腰に若干ダメージが残ったが、早く寝たので全体的には疲れはとれた。ラジオ体操の後、8:40ごろには事務所に入り、昨日の片づけをする。昨夕は17時を回り慌てて後にしたので、散らかり放題だ。9時には、役場・社会福祉協議会に「会報」を持参する。県老連や郡生連、直属会員へも郵送する。
混み始める前に、今日は散髪屋へも行きたい。
(令和6年12月25日 5:01)
絶えず進んでいく
「どこから来たか」ではなく、「どこへ行くか」が最も重要で価値あることだ。栄誉は、その点から与えられる。
どんな将来を目指しているのか。今を越えて、どこまで髙みへ行こうとするのか。どの道を切り拓き、何を創造して行こうとするのか。
過去にしがみついたり、下にいる人間と見比べて自分を褒めたりするな。夢を楽しそうに語るだけで何もしなかったり、そこをこの現状に満足してとどまったりするな。
絶えず進め。より遠くへ、より高みを目指せ。
(ニーチェ・「ツァラトゥストラはかく語りき」から)
「年齢に関係なく、現状に満足しないでより高みを目指しなさい」とニーチェは言われる。これはとても大事なことだ。可能性は無限であるのに、早くから限界点を低い所に置く人を見かける。残念だ。特に若い人には、「飽くこと無く自らの可能性に挑む」ことを追求して欲しいと願う。
一方、齢を重ねた人も、たとえ90歳になった方でも「これで十分」と思わず、あと一歩上を目指すことができるならば素敵だ。
三生連には、そういった先輩方が大勢居られる。見習いたい。
(令和6年12月24日 4:44)
才能や技量に恵まれていても、物事を完成させることができない人がいる。彼は時間を信じて完成を待つことができない。自分が手をかけさえすれば、どんなことでも完成すると思っているのだ。そのため、いつも中途半端な結果で終わってしまう。
仕事の遂行においても作品の制作においても、じっくりと取り組むことが肝心だ。性急に取り組むほど早く完成するというわけではないからだ。
したがって、物事を完成させるには、才能や技量よりも、時間による熟成を信じながら歩んでいくという気質が決定的な役割を果たすのだ。
(ニーチェ・「漂泊者とその愛」から)
才能や技量に恵まれていないが、それを除くと私のことを指摘しているようにも思える。私は大阪弁で言う「いらち」であり、何事もじっくり取り組むことができない。結果、いつもいい加減な仕上がりとなってしまう。子どものときからの習性と言えよう。
ニーチェの言われるように、「才能や技量よりも時間による熟成を信じながら歩んでいくという気質」が大事であるとつくづく思う。これはすべての事柄に通じる。ちょっとした文章でも、「これでもか、これでもか」と繰り返し推敲することが必要だ。分かってはいるのだが……。
(令和6年12月23日 4:00)
おじけづいたら負ける
「ああ、もう道はない」と思えば打開への道があったとしても、急に見えなくなるものだ。
「危ないっ」と思えば、安全な場所はなくなる。
「これで終わりか」と思い込んだら、終わりの入り口に足を差し入れることになる。
「どうしよう」と思えば、たちまちにしてベストな対処法が見つからなくなる。
いずれにしても、おじけづいたら負ける、破滅する。
相手が強すぎるから、事態が今までになく困難だから、逆転できる条件がそろわないから負けるのではない。心が恐れを抱き、おじけづいたときに、自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。(「ニーチェの言葉」から)
相手との競争の場合、とてつもなく相手との差が大きい場合は、精神力だけで挽回できるものでは無い。そのことは誰もが分かる。その場合は、追いつき追い越せるように相手以上に努力をし、力量を高めなければならない。並大抵の努力では困難だ。血の滲むような日々の精進が求められる。
しかし多くの場合、そんなに差は大きくないのではないか。おじけることなく、「為せば成る」との強い気持ちで対処すれば道は開けるはずだ。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」この言葉は、江戸時代末期に財政改革を断行して藩財政を立て直した米沢藩第9代藩主・上杉鷹山(1751‑1822)が、次期藩主や家臣に向けた家訓として残したものであると言われている。
ところで私より年長の方であれば、八田一朗の名前を覚えておられるだろう。日本のスポーツ史の中で、今も格別の輝きを放っている。日本のレスリングの第一歩を記し、一から道を切り開いてその後の隆盛をもたらした功績の大きさは、すべての競技を通じても際立っている。八田一朗はまさしく「レスリングの父」だった。「為せば成る」の信念のもと、先頭に立ってレスリング界を牽引したその指導哲学「八田イズム」は、60年以上経った現在もまったく古びていない。今も学ぶべきことの多い貴重な遺産である。
八田のことをはっきりと思い出していただくために、屋上屋を重ねることになるが少しばかり説明をする。
昭和39年の東京オリンピックでは、フリー、グレコローマン合わせて5個の金メダルを獲得する大活躍となった。日本のレスリングがついに世界の頂点に立った。「お家芸」とも言われた黄金時代は、さらにメキシコシティー、ミュンヘン、モントリオールの各オリンピックへと続いていく。
日本にレスリングが芽吹いてからヘルシンキ五輪まで21年、東京五輪までは33年。その間には戦争による長いブランクもある。それだけの短期間でゼロから頂点まで駆け上がったというわけだ。
最大の原動力になったのが、「八田一朗」だった。新しいものを積極的に受け入れる柔軟な姿勢、「世界の中の日本」を常に意識する幅広い視野、少々の批判は気にもせず、信じたところへと突き進む実行力。それらが力強い牽引力を生み、日本レスリングを一気に前進させた。八田の存在無くして、「日本レスリング」の今の隆盛はあり得ない。
「為せば成る」に係わっては、バレーボール日紡貝塚の「大松博文」監督にも触れたいが、長くなるのでいつの日か記したいと思う。
「為せば成る」から思わぬ方向に進んだが、要するに何事も「諦めてはならない」のである。ニーチェと八田一朗、大松博文、何のつながりもないように見えるが、おじけぬ「不撓不屈の精神」でつながっていると思う。
(令和6年12月21日 4:48)
意欲の源は健康
暗い中、外へ出てみたが寒い。現在、外気温は2度だ。
先週風邪をひき、ほぼ治ったのだがまだ完調ではない。ゆえに、寒さが堪える。不調だと、何となく意欲が涌かない。来週は、会報30号の発行作業がある。体調を整え、抜かり無きようにしなければならない。
(令和6年12月20日 4:22)
学ぶ意志のある人は退屈を感じない
学び、知識を積み、知識を今なお教養と知恵に高め続けているような人は、退屈を感じなくなる。あらゆる事柄が以前にもまして一層興味深くなってくるからだ。
他の人と同じように見聞していても、そういう人はふつうの事柄から教訓やヒントを容易に見出したり、考えの隙間を埋めるものを発見したりする。
つまり、彼の毎日は、謎解きとさらなる知識の獲得のおもしろさに彩られ、意味のある充実で埋め尽くされることになるのだ。彼にとって、世界は興味の尽きない対象となる。植物学者がジャングルの中にいるようなものだ。
そういうふうに毎日が発見と探索に満ちているのだから、とても退屈することなんてできないのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの言われるように、常に学ぼうとしている人にとって「退屈」は確かに無縁だろう。「植物学者がジャングルの中にいるようなものだ」とは、言い得て妙だ。
80歳、90歳になっても、さまざまな事に興味をもって暮らしたいものだ。そのためにも、とにかく「健康」が……。寝たきりになったりしたならば、たとえ経済的に恵まれていても、自らのしたい事が出来ないことになる。
そのような中、国内の名庭園と称される庭を巡る旅をしたいと思ったりする。
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」は、旅館や個人邸も含む約1000の候補地の中から、世界各国の専門家が選んだ日本庭園のランキング上位50を毎年発表している。同誌はこのプロジェクトについて、「日本の庭を規模や知名度によらず、純粋にその美と質によって評価する初の試み」と紹介している。
今年度の1位には、22年連続で「足立美術館庭園」が選出された。美術館の建物を囲むように「白砂青松庭」「枯山水庭」「苔庭」など5万坪(約16.5万平方メートル)に及ぶ多様な庭園が広がる。もちろん訪ねたことがあるが、まさに世界一の日本庭園である。専属庭師7名を始め全職員による365日の手入れや清掃が凄い。
2位に桂離宮庭園、3位には山本亭庭園(葛飾区)、4位に皆美館庭園(松江)が入った。奈良県内からは、残念ながら50位以内には入っていない。評価基準としては、日常の手入れを特に重視しているようだ。「依水園」(奈良市)なども優れた庭だが、手入れという点で若干見劣りするのかも知れない。
ランクインしている名庭園の中で訪れたことのある所は、まだまだ数少ない。生きている間に、一つでも多くの庭を鑑賞したいと思うのである。
(令和6年12月19日 15:45)
読むべき書物
私たちが読むべき本とは、次のようなものだ。
読む前と読んだあとでは世界がまったく違ってみえるような本。
私たちをこの世の彼方へと連れ去ってくれる本。
新しい知恵と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。
(「ニーチェの言葉」から)
私もこれまで何冊か著わしているが、「ニーチェの言葉」に恥ずかしさを禁じ得ない。赤面の至りだ。
一層精進し、いつの日かニーチェが納得するような本を出版したいものだ。
(令和6年12月19日 7:35)
いつかは死ぬのだから
死ぬのは決まっているのだから、朗らかにやっていこう。
いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラ役者にまかせておけ。(「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職に遇ったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
難解で抽象的な事柄を思索して説いた人ではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残る。
いつも深刻そうにして、笑顔を忘れ気味の人が少なくない。「いつかは死ぬのだから」、朗らかに今を全力で生きよう。笑顔を絶やさず前向きに。
この世の出来事や悩みは、この世で解決するようになっている。山よりでっかい獅子は出ないのだ。
本日は気の置けない友人たちと「ランチ会」だった。 友人と言っても、大先輩ばかりだ。そうであるのに、私の態度が一番でかい。反省はしているが、一向に治りそうもない。
たわいない話をしながらの食事やコーヒータイムは、実に楽しい。
さて、令和6年はあと2週間を切った。いよいよ押し迫って来たという感じである。今日は年度2期目の三生連事務所 日直手当が(10回分 3千円)手に入った。少し足して、蜂蜜を購入しようと思う。
(令和6年12月19日 4:47)
中国人には理解出来ないだろう
2021年、ドイツ人の有機化学者ベンジャミン・リスト博士は有機触媒反応の開発によりノーベル化学賞を受賞した。受章の記者会見の席で、リスト博士にある中国人女性記者がとんでもない質問をしたことでその場の空気は一変した。だが、リスト博士は痛烈な言葉で反論し論破した。
リスト博士は子供の頃から化学に興味を持ち、ドイツのエリート大学と言われるベルリン自由大学を首席で卒業し、フランクフルト大学で化学の博士号を取得した。その後、37人のノーベル賞受賞者を輩出しているマックス・プランク協会(本部ミュンヘン)の石炭研究所に研究員として所属、触媒に関する新しい概念を開拓する研究をしていた。しかし、2018年からは研究の拠点を北海道へ、北海道大学で触媒の研究を続けているが、北海道に研究拠点を変えた理由として、「日本の化学の研究スタイルに刺激を受けた。先進的で革新的なことに挑戦する勇気がある。以下、省略」と語っている。
授賞式の後の記者会見で、博士は以下のように話された。
「この授賞は私1人のものではありません。これほどの栄誉を私1人で背負うなんて不可能です。この栄誉を素晴らしい友人である日本のICReDD(アイクレッド)の皆さんと分かち合えて嬉しいです」と。
※ICReDD=北海道大学化学反応創生研究拠点
会場を盛大な拍手とカメラのフラッシュが包み、各国の記者がそれぞれ受賞を祝福すると同時に、受賞の経緯や研究に関する質問をする中、ある中国人女性記者が、
「博士、中国の化学研究の進歩について、博士の見解をお願いします。中国は世界的に見ても研究環境はいいと思います。教育も充実していて、ノーベル賞受賞者が出るのも時間の問題ではないかと考えています。博士が期待する中国人研究者は誰でしょうか」と。
この質問にリスト博士は眉をひそめ、よく分からないと言う表情をした。会場も祝福モードから一変、静まり返ってしまった。そこで司会者が、「今回はノーベル賞受賞に関する質問のみに限らせていただく」と制止したが、その記者は構わず続けた。
「では質問を変えます。ノーベル賞を受賞したリスト博士は日本の大学でも教壇に立たれていましたね。今回の受賞は日本の大学も貢献していたとか、しかし、アジアで優秀な人材は日本よりも中国に多いのです。博士が注目する中国研究者は誰でしょうか」と。
彼女の真剣な様子に和やかだった会場もピリピリしてきた。中国の記者たちは世界中どの会見でも、このような中国に焦点を当てる質問ばかりをすることで有名だ。中国人女性記者に対し、質問を止めるように迫る司会者。すると、じっと聞いていたリスト博士が表情一つ変えず静かに口を開かれた。
「はっきり申し上げましょう。中国は今後もノーベル賞を受賞する事は不可能だと考えています」。と言い放った。明らかに気分を害した表情のその中国人女性記者は、
「そう思う理由は何ですか 日本と比較しても、学習環境や設備は中国の方が優れています」と決して引き下がらない。
リスト博士はやれやれと言った様子で、
「どうやら私はあなたの認識を正す必要がありそうですね。かつても今も中国の教育というのは、政治的介入が大きいのです。共産主義を掲げ押し付けています。例えば、研究員たちがどんなに優秀であっても、共産党を支持していなければ不利益を被るのです。研究費が下ったり、施設が使用できなかったり、その活動は政府によって脅かされています。また中国ではインターネットに規制がかかり、政府に不都合な情報は入手できません。研究課題も政府が指示したものばかりです。世界でどんな研究が行われていようと、中国は日本に勝つことばかりを考えています。 だから、せっかく立派な設備を持った研究所でも、日本がやっていることをいかに追い越すか、そんなことばかりやっているのです。それでどうやってノーベル賞を取ると言うのでしょうか」と。
会場全員が固唾を飲んで見守る中、中国人女性記者は、
「博士は中国の何を知っているのでしょうか。中国の施設で何の研究をしているのか、ご存知ならここでおっしゃってみてください」と声を荒らげました。すると、博士は、
「私は今、中国でどんな化学研究が行われているか、そんなことに興味はありません。研究員が自身の興味や能力を負担をして、国が求めるテーマで、国が満足する結果を出すために研究をすることなど全く興味がないのです。政治に支配された化学研究など、世界に何の利益ももたらさないでしょう。どんなに優秀な研究者であっても、中国で研究をする限り中国政府以外から興味を持たれる事はありません」と中国人女性記者を一刀両断。彼女はこれ以上反論する術がなくなってしまった。リスト博士は追い討ちをかけるように、こう言われた。
「中国は大学受験にかける情熱は日本より強いかもしれませんね。しかし問題はそこでは無いのです。中国にはびこる愛国主義をどうにかしなければ、真の教育にはたどり着けないでしょう。つまり日本人がノーベル賞を授賞することは分かりますが、中国人がノーベル賞を取る事は不可能です。お分かりいただけましたか」と。中国人記者は恥ずかしそうに急いで会場を後にした。
この中国人女性記者の呆れた行動は全世界でニュースとなった。そして、中国の教育や文化に対する政治的な介入を、特集を組んで紹介したのである。また、中国が抱える問題を深掘りする番組が制作された。
中国の教育における問題点は、政府が研究活動に介入し、予算配分やテーマを決めていることだ。つまり、政府に認められたテーマであれば、十分な研究費用と設備が与えられる。それがたとえ成果が出なくても、関連機関や業界で評価されるのだ。これは本来の化学研究の目的を見失う原因である。研究員たちは、国に対する愛国心を示さなければ、研究活動そのものを脅かされるのだ。
リスト博士は別のテレビ番組で、
「大学の真の価値は、建物や設備の立派さではない。中国の教育制度の問題点は、政府による教育介入と分配主義の風潮である。中国の若者にはやる気があるが、それが正しい方向に導かれていない。中国企業の特許出願数が世界一でありながらノーベル賞受賞者数が極端に少ないことが、この問題を物語っていると言えるだろう」と。リスト博士は中国の教育活動が抱える問題点を嘆き、さらに、
「彼女の言動が中国人の特徴をよく示している。中国人は自分の利益を最優先に考え、そのためなら誰かを犠牲にすることも躊躇しない。この考え方こそが、中国が先進国の仲間入りができない理由だ。目先の利益を追い求め、自分だけが良い思いをしようと言う姿勢では大きな成果を得ることはできない。中国人の特徴として、彼らは組織内で争うことを好む。私のチームにもかつて中国人がいた。彼は、研究成果を自分だけの手柄にしようと目論見、他の研究員の悪い噂を広めて、チームを解散に追い込んだことがあった。結果として、それがいずれ自らを孤立させることも知らずに。それが今、世界における中国の立ち位置にとても似ていると感じる。日本人同士にも互いを切磋琢磨して争う姿勢が見られる。それは決して相手に損害を与えるものではない。他人を落として自分をよく見せるのではなく、争うことが互いのメリットのなるように争うのだ。そして時に日本人は、他者を優先し自分があえて損害を被ることもある。常に視線は周囲に向いていて、自分の利益ばかりを追い求めていないか、相手とフェアに戦えているか、ということにこだわる。だからこそ日本人は、私がノーベル賞を受賞するという目的のために、こんなにも一生懸命になってくれたのだ。彼らの力がなければノーベル賞受賞などできなかった。日本人は一致団結し、集団で一つのことを成し遂げる能力に世界一長けていると言える。私が授賞式で、当初所属していたドイツのマックス・プランク協会ではなく、日本のICReDDに向けて感謝を述べたのは、そういう理由だ」と述べている。
【JAPANの賓客チャンネルより】
◎ 中国はこれまで、長い長い歴史の中で一度も選挙が行われたことがない数少ない国の一つだ。あれだけ大きく人口が多い国でありながら、いつも「誰かに力で支配されていた」抑圧された歴史が、人々を「いつか自分も力を持ったら」という自己中の考え方にしてしまうのだろうか。
* マックス・プランク協会
本部はミュンヘン。世界最高峰の学術研究機関であり、前身のカイザー・ヴィルヘルム協会時代も含め、37人のノーベル賞受賞者を輩出している。84の独立したマックス・プランク研究所を傘下に収める。
年間予算は18億ユーロ。著名なマックス・プランク研究所にはアインシュタインが所長を務めたマックス・プランク物理学研究所などがある。
* ICReDD=北海道大学化学反応創生研究拠点
拠点長・前田理のもと、前田が開発した人工力誘起反応(AFIR)法を基幹技術として研究、化学反応の設計と開発を進めている。
主任研究者を中心として11の国内研究グループと3つの海外研究グループが分野横断的な研究を行っている。
ICReDD研究者の3分の1以上は日本国外の出身であり、コミュニケーションは英語で行われている。外国人研究者が日本で安心して生活できるよう、役所での各種手続きなどを含め、様々な支援体制を整えている。
また北海道大学では、無料の日本語クラスや、日本で研究する上で役立つセミナー(日本のビジネスマナー、日本人に向けたプレゼンテーションの仕方など)などを提供している。
本稿は、私の友人西村淳一氏の友人である菅野倖信氏からの提供である。
私は当時、このニュースを全く知らなかった。例によって、NHKをはじめ日本のマスメディアは中国に遠慮をして報道しなかったのだろう。本当に恥ずかしい話である。
(令和6年12月18日 5:09)
「信頼できる人」の特徴
1 手を止めて相手の話に集中できる
相手の目を見てしっかりと向き合う事が安心感を与え、信頼を得る。
2 適度な距離感を保てる
近づきすぎると重たく感じさせ、離れすぎると冷たく感じさせる。相手に寄り添いつつも適度な距離感を保つ。
3 都合のよい人にならない
心遣いを忘れない中で、自らの意見や信念を持つ。相手に尽くすだけではなく、自分を大切にする姿勢が信頼を深める。
4 分からない事は素直に質問する
素直な姿勢は、相手との距離を縮める・
5 弱みを隠さない
失敗を笑顔で話せる人は親しみやすい。共感できる。
6 困っている人がいたら助ける
手を差しのべるのは当然だが、「助けてあげている感」をださない。見返りを求めない。
7 自然な笑顔で話しかけやすい
笑顔には、自然と人が集まる。よい人間関係の第一歩。
8 援助には最大限の喜びと感謝を返せる
相手が思う以上に心のこもった感謝を伝える。相手は、また助けたいという気持ちになる。
9 さりげなく他者を褒める
誰かのよい所を話題に死褒める。その言葉は相手に伝わる。
10 誰にでも公平で丁寧に接する
地位や立場によって態度を変えない。その一貫性が信頼を高める。
11 感情的にならず冷静さを保てる
冷静さを保てるひとは余裕を感じさせ、信頼を得る。
12 聞き上手で、会話泥棒をしない
途中で遮ったり、自分の話にすり替えない。心から聞くことで、深い関係性が生まれる。
13 価値観を押し付けない
相手の考えや価値観を尊重する。懐の深さが、相手に居心地がよいと感じさせる。
私自身、不十分なことが数多い。しかし、ちょっとした意識改革で、誰でも実践できるだろうとも思う。ただ相手を喜ばせることが目的になり過ぎてはならない。自然体で臨むことが求められる。
(令和6年12月17日 18:17)
木に習う
松の木のたたずまいはどうだろう。耳を澄まして何かに聞き入っているかのようだ。
モミの木はどうだろう。まんじりともせず何かを待っているようだ。
この木々たちは、少しもあせってはいない。慌てず、いらだたず、わめかず、静かさの中にあり、じっとしていて忍耐強い。
私たちもまた、このような松の木とモミの木の態度に見習うべきではないか。
(令和6年12月17日 4:45)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
難解で抽象的な事柄を思索して説いた人ではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残る。
庭いじりを趣味とする一人として、「木に習う」はとてもよく理解できる。
同じ松でも日本の「黒松」や「赤松」だったならば、ニーチェはもっと感動が大きかったことだろう。拙庭では主木だ。玄関口に黒松を植えており、出入りの際、必ず眼に入る。47年以上、手入れで人の手を煩わせた事が無い。樹齢は70~80年と思われる。ようやく、「侘び」や「寂び」が……。
『論語』(子罕第九)に「歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり」とある。(寒さが厳しくなってはじめて、松や柏が他の木のようにしぼまないのが分かる)<人も苦しみにぶつかって、はじめて真価がわかるものだ>という意味だ。
「あせらず、慌てず、いらだたず、わめかず」じっと忍耐強く生きたいものである。
(令和6年12月17日 4:50)
一緒に生きていくこと
一緒に黙っていることは素敵だ。
もっと素敵なのは、一緒に笑っていることだ。
二人以上で、一緒にいて、同じ体験をし、共に感動し、泣き笑いしながら同じ時間を共に生きていくのは、とても素晴らしいことだ。
喜び方がまだ足りない
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。
恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子どものように喜ぼう。
喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
(「ニーチェの言葉」から)
一緒に何かをやるというのは素敵なことだ。この24日には、役員・顧問全員で会報の印刷・折り・綴じ・支部別の仕分け等の作業を行う。黙々とやる人、たわいのない話をしながらの人とさまざまだが、同じ時間を共有するというのは、これも何かの縁であり素晴らしいことだ。
聖徳太子は「説法明眼論」(せっぽうみょうげんろん)の中で次のように仰った。「是の如く我聞く、或は一國に生れ、或は一郡に住み、或は一県に処り、或は一村に処り、一樹の下に宿り、一河の流れを汲み、
一夜の同宿、一日の夫婦、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑、一言の会釈、
一坐の飲酒、同杯同酒、一時の同車、同畳同坐、同床一臥、軽重異るあるも、親疏別有るも、皆是れ先世の結縁なり」と。
「三生連・論語に親しむ会」「中之島図書館論語塾」の冒頭、毎回この「説法明眼論」を全員で唱和する。
子どものときは、誰もが無邪気に泣き、笑い、悲しみ、喜んだ。齢を重ねるにつれ、なぜかそういったものを押し殺すようになりがちだ。
ニーチェは、「素直な気持ちになって、子どものように喜ぼう」、まったく同感である。
それぞれの人生、もっと喜び、嬉しがって生きたい。
(令和6年12月16日 12:24)
62歳誕生日の誓い
平成25年(12年前)の3月、62歳の誕生日、これからの人生をこのように生きると下記の4つを掲げた。
〇清貧を貫き不遜を戒め、森羅万象に対し感謝の心をもつ。
〇親や祖先の遺徳を偲び手を合わす。
〇高潔な倫理観や道徳心を備える。
〇弱者への思いを自らの行動規範の本とし、常に「私心や保身の姿勢は無かりしか」と問いかけ、国のため、公共のため、他者のために汗をかく。
〇学び続ける心、額に汗して努力する精神、暑さ寒さに耐えられる体を維持し、可能性を求めて飽くこと無く自らを高めようとする姿勢を保ち続ける。
「誓い」を忘れず、これからも実践に努める。
(令和6年12月15日 7:59)
徹底的に体験しよう
勉強をして本を読むだけで賢くなれはしない。さまざまな体験をすることによって人は賢くなる。もちろん、すべての体験が安全だというわけではない。体験することは、危険でもある。ひどい場合には、その体験の中毒や依存症になってしまうからだ。
そして、体験しているときはその事柄に没頭することが肝心だ。途中で自分の体験について冷静に観察するのはよくない。そうでないと、しっかりと全体を体験したことにならないからだ。
反省だの観察だのといったことは、体験の後でなされるべきだ。そこからようやく智慧というものが生まれてくるのだから。
(「ニーチェの言葉」から)
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
ニーチェは哲学者だったが、難解で抽象的な事柄を思索して説いた人ではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残る。
「さまざまな体験をすることによって人は賢くなる」、私はこれまで人並み以上にいろいろとチャレンジして来たが、なかなか賢くはなれなかった。だが、さまざまなことに挑んできたことが、私の血や肉となっていることは間違いない。
トライアスロン、高峰登山、ウルトラマラソン、毎月の連続献血等々、「思えばよくやった」と言えることにチャレンジできた。悔いのない教師生活も送った。
「あいつに出来ることが、自分に出来ぬわけがない」という生来の負けん気の強さが為せる業とは言え、挑むことのできる恵まれた環境にあったことが一番だ。周りに感謝している。アクシデントが無ければ、残りの人生あと20年はあるのかも……。少しでも恩返ししていかねばならない。
ニーチェは、「体験しているときはその事柄に没頭することが肝心だ」と言われている。思い起こせば、私もその時々、今に没頭しあまり深く考えていなかった。賢い人はその都度反省をし次に生かすのであろうが、私は終わった事は終わった事と、その先を、次の事ばかりを考えていた。だから失敗を繰り返すことが多かったのだろう。
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公第十五)
家のプリンターが長く使用不能で不便だったが、「新しいプリンター」が届いた。私のささやかな活動が「退職教員社会貢献支援事業」として認められ、購入していただいた。これまでのプリンターは廉価品で最低限の機能だったが、今回のは高機能の高級品だ。心配していた「初期設定」もうまく行き、順調に作動している。これで随分と効率よく作業ができる。支援団体には、心から感謝する。
これまで以上に、他者のために、社会のために汗をかくつもりだ。
(令和6年12月15日 3:40)
今朝のラジオ体操の折、途中で微かな雨が、帽子を着用していた人は気づかない程度の。すぐに止んだが、帰宅して落ち葉掃きをしていたら、また微かに。こちらも数分で止んだ。
日本にはたくさんの雨の呼び名がある。温帯湿潤気候で、雨の多い日本では、雨の悩み、恵みとともに暮らしてきた。日本人は生活の中で雨の細かい違いを敏感に感じ取った。しとしとと降る雨、ざーっと強く降る雨、雨雲がないのに降る雨。
同じ降り方でも違う呼び名があったり、季節によって呼び方を変えたり、一説には雨の呼び名だけで400語以上あるとも言われる。日本情緒あふれるものが多い。幾つか挙げる。
春の雨
春雨・紅雨(こうう)・菜種梅雨・卯の花腐し(うのはなくたし)・五月雨(さみだれ)・緑雨・麦雨・小糠雨(こぬかあめ)
夏の雨
白雨(はくう)・洗車雨(せんしゃう)・酒涙雨(さいるいう)・神立(かんだち)
秋の雨
秋雨・冷雨(れいう)・白驟(はくしゅうう)・秋黴雨(あきついり)・伊勢清めの雨(いせのきよめのあめ)・霧雨・秋湿り(あきしめり)・秋霖(しゅうりん)
冬の雨
時雨・朝時雨(あさしぐれ)・北時雨・北山時雨(きたやましぐれ)・山茶花時雨(さざんかしぐれ)・横時雨・村時雨(むらしぐれ)・月時雨(つきしぐれ)・冬時雨・片時雨(かたしぐれ)・氷雨・凍雨(とうう)・寒九の雨・寒の雨・鬼洗い
強い雨
篠突く雨(しのつくあめ)・飛雨(ひう)
弱い雨
小雨・涙雨・天気雨・天泣(てんきゅう)・狐の嫁入り・微雨(びう)
いきなりの雨
鬼雨(きう)・驟雨・俄雨・通り雨・村雨(むらさめ)
降り続く雨
宿雨(しゅくう)・陰雨(いんう)・地雨(じあめ)・霖雨(りんう)
恵みの雨
翠雨(すいう)・甘雨(かんう)・慈雨・喜雨(きう)
今朝の雨は「微雨」が「驟雨」か。
たくさん挙げたが、それそれの雨の意味については、辞書を引いていただきたい。
(令和6年12月14日 8:54)
いつも機嫌よく生きるコツ
不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のしたこと、自分の選んだことが人の役に立っていないと感じることだ。だから、不機嫌な高齢者が居る。
一方で、輝く青春の真っただ中にいる若い人たちが不機嫌なのは、自分が社会の中で生産的な存在になることがまだなかなか難しいからである。
したがって、いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。
(「ニーチェの言葉」から」
確かに世間には、いつも不機嫌そうな表情を浮かべている人が居る。ニーチェの指摘はある意味、的を得ているだろう。自分の存在が人のために少しは役立っていると思うとき、他に何か大きな不幸を抱えていないかぎり不機嫌にはならないと思う。
老若に係わらず、自信の力が発揮できていないとき、人は不満が鬱積するだろう。そういったとき、どのようにすべきかの答えを見出すことは簡単ではない。アドバイスして貰える人が周りに居るとよいが、恵まれた環境に身を置く人は少ないと思われる。
「気の置けない友をつくれ」ということは理解できても、それがなかなかできないから不機嫌になってしまうのであって、堂々巡りとなってしまう。誰もがそれぞれに長所を持っている。それを社会の中で生かそうと考えることが不満解決の糸口となるだろう。
断言すると賛同してくれる
多くの人を納得させたり、彼らに何らかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればよい。
自分の意見の正当性を、あれやこれやと論じてもだめだ。そういうことをすると、かえって多くの人々は不信を抱くようになるのだ。
自分の意見を通したいのなら、まずは断言することだ。
(「ニーチェの言葉」から)
物事に絶対ということは無い。どちらにしようか迷ったとき、リーダーは迷った様子は噯にも出さず(おくびにもださず)断言し(決断し)、決めた方向に毅然と進めることが求められる。
リーダーの「断言」によって部下は安心し、力を発揮する。そして、節目節目で微調整を図ればよい。とにかく、リーダーはブレてはならない。決断できない者は、リーダーとしての資格がない。
迷わず決断するためには、日ごろの飽くなき「学び」と「探求」が欠かせない。覚悟と責任をもって断行する。「意志あるところに道は開ける」のだ。
(令和6年12月14日 4:22)
自分の主人となれ
勘違いしてはならない。自制心という言葉を知っているだけで、何がしか自制できているわけではない。自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。
一日にひとつ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。 自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になる、ということだ。
(「ニーチェの言葉から」)
自制することは、簡単ではない。特に私のような意志薄弱の者にとっては……。「小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない」とニーチェは言われるが、尤もである。
日常において、「これはやってはならぬ」と思っても、押し止まらずついやってしまうということは、茶飯事だ。小さな欲望を抑えられずに、大きな仕事を成し遂げられるはずがない。『きよしさん』のセリフを持ち出すまでもない。
先ずは目の前の小さな事からきちんと為すことが求められる。
(令和6年12月13日 8:35)
対比によって輝かせる
美しく発光する空を、手元にある絵の具の色だけを用いて画家は描くことができない。
しかし、そういう空を描くために、画家はキャンパスの中の風景全体の色調を、本物の自然が示している色調よりも低くする。そうすると、空が対比的に明るく輝くように描けるわけだ。
この技術を私たちは、絵を描くとき以外にも応用できるはずだ。
(令和6年12月13日 4:15)
これは考えれば考えるほど深いような気もするが、ふだんわりと自然に実践しているようにも思える。特段センスの無い人を除いて。それは私かも知れないが。
誰かのお祝いの席に招かれたとき、普段着でなく一張羅を着ていくのは当然であるし、あまり派手な格好は望ましくない。主役を引き立てなければならない。結婚披露宴などは、最たるものだ。
写真を撮るときも何がメインなのか、そのために他のものは引き立て役になるように持っていくことが大事であろう。
感性を磨きつつ、さまざまなことの経験を通して学びたい。幾つになっても。
「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」(『論語』雍也第六)
(令和6年12月13日 4:46)
理想への道筋を見つける
何か理想を持つだけではまったく足らない。理想への道筋というものを、まずはどうにかして自分なりに見つけることが肝心だ。そうしないと、自分の行動、生き方というものが、いっこうに定まらないままになってしまう。
理想というものをはるか遠くにある星のように自分と関係のないもののように眺めていて、自分が歩くべき道を知らないのは、悲惨な結果を生むことになる。悪くすれば、理想を持たずに生きる人よりも支離滅裂な生き方になってしまうことがあるからだ。
(「ニーチェの言葉」から)
「理想」を「目標」言い換えてもよい。
目標を持つことは極めて大事だが、ただ持つだけで駄目だ。その実現のための道筋を見つける作業に取り掛からなければならない。そうしないと、目標達成はおぼつかない。
「理想」や「目標」だけが高く努力しない人は、当然のことながら他者からの、かつ社会からの信用・信頼を得ることは出来ない。
横文字は出来るだけ使いたくないが、敢えて使う。「ロードマップ」だ。
「意志あるところに道は開ける」
Where there is a will, there is a way.
「念ずれば花開く」
(令和6年12月12日 4:37)
論語塾
「中之島図書館論語塾」の受講者の平均年齢は、70歳くらいだ。毎回運営企業がアンケートをとり、その結果を送っていただける。12/7の例会分が届いた。
満足度は82%といつもより若干低く、普通が12%であった。自由記述でもわりといろいろ書いていただけるので参考になる。
講義の始めや途中で「余談」も入れるが、以前は不評が2割あった。中には、「『論語』を学びに来ているので時間の無駄」というような辛辣なものもあった。正直な気持ちだろう。
今年度後期の募集案内チラシでは、「肩ひじ張らぬ講義」と付け加えて貰った。その影響か、
「最近のニュースについて先生の思いを聞きたいです。その際、かたよった考えであっても良いと思っています」
「先生の生徒さんが速く走れるようになったのはなぜでしょうか。いつの間にかトライアスロンの話になっ ていて速く走る秘訣がわかりませんでした。先日和歌山で10㎞マラソンに参加しましたが、ほぼベベでし た。1㎞9~10分くらいで走っています。もっと長く走れるので20㎞、15㎞と参加したいですが、時間 の関門があるので長く走れる体力があっても申し込みできません。1㎞7分か~8分にするにはどうすれば いいでしょうか」
「雑談は面白かったです。目が覚めました」
「なまっていた身体が素読をすることにより 活が入りました。今回習った所は、難しかっただけに説明していただいて解るようになり良かったです」
などの記述が増えた。
わざわざ電車でやって来られ熱心に受講される。少しでも「受けてよかった」と思っていただけるようもっともっと精進しなければと思うのである。
(令和6年12月11日 5:09)
ここ1週間くらい落ち葉掃きや会報の編集作業、講義等でバタバタすることが多かった。本日は事務所にも行かず、『忙中閑あり』とゆったり過ごしたいと思っているが。
とは言っても、講義の準備や1月と3月の「講演会」の準備もある。中之島図書館での4月からの「論語講義」も引き続き要請されており、こちらの年間計画も立てなければならない。当分、雑務から逃れることはできない。
二つの講演会についてはテーマがほぼ同じだが、与えられた時間が90分と60分と異なるので時間配分などで工夫を要する。また、3月の講演は午前・午後と2回だし、聴講人数も各700~800名となっている。一日に2回は、初めての経験である。心して臨まなければならない。こういった機会を与えていただけることに感謝したい。
(令和6年12月10日 8:21)
本を読んでも
本を読んだとしても、最悪の読者だけにはならないように。最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。
つまり彼らは、何かめぼしいものがないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に詠み散らし、やがて本の中から自分に都合のいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して読むのだ。
そして、彼らが盗んだもののみ(彼らが何とか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるかのように大声で言ってはばからない。そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにその本の全体と著者を汚してしまうのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
恐らくニーチェは、そのような被害を何度か蒙ったのであろう。
ニーチェの主張はわりと分かり易いと思うのだが、彼からすれば曲解されたと思う事もしばしばであっただろう。それは、ニーチェの考えとは似ても似つかない代物になったと思われる。真剣に物事を考える人にとっては、それは苦痛以外の何物でも無い、許せないことだ。
本を読んだときに、彼の言う「自分に都合のいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけ」を取り出していないかを、著者の思いを正確に理解しているかどうかを。私も今一度考えてみたいと思う。
(令和6年12月10日 4;25)
カリスマ性の技術
自分をカリスマ性を持った深みのある人間であるように見せたいなら、一種の暗さ、見えにくさを身につけるようにすればよい。自分をすべてさらけださないようにするのだ。
多くの人は、底が見えないことに一種の神秘性と深さを感じるからだ。自然にある池や沼にしても、濁って底が見えないと人は深いと思って恐れてしまう。カリスマ的人物と呼ばれる人の恐れとは、その程度のものなのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
ニーチェについて
ニーチェ(1844~1900)は、ドイツの哲学者である。24歳でスイスのバーゼル大学の教授となった。教職にあったのは10年ほどで、その後は病気療養のためにヨーロッパ各地を旅しながら著述と思索を続けた。
ニーチェは哲学者だったが、難解で抽象的な事柄を思索して説いた人ではなかった。今生きている人間のための哲学を打ち出した。その名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、高みを目指す意志が短文で発せられるから、多くの人の心に残る。
私は何でもさらけだしてしまうタイプである。ゆえに、人から「軽く見られる」ということになるのだろう。軽口もしばしば叩くし、カリスマ性などとは縁遠い。あまり軽口が多いと、リーダーシップ或いは統率力という観点からはマイナス面が多いのだろう。
神秘性や深みは無くとも、実行力・実践力があれば、他者からの信用・信頼はそれなりに得られるのではと考えるが。自身を振り返れば、決断力も実行力も大したことはないが、「約束を守る・時間を守る」などの基本的な点については、及第点が獲れていると思う。もっとも、独りよがりの自己評価かも知れないが。
ニーチェの時代と現代とでは、カリスマ性の考え方は若干変わって来ているかも知れない。現代では、「不言実行」よりも「有言実行」が重要視されるようなっているような気がする。「神秘性は必要ない」とは思わないが。
「論語」の中で、孔子の弟子である曽子(曽参)が次のように言われている。
「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳うるか」と。(われひにわがみをさんせいす。ひとのためにはかりてちゅうならざるか、ほうゆうとまじわりてしんならざるか、ならわざるをつたうるか)
「私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶいておる。人のためを思って、真心からやったかどうか、友だち交わって嘘偽りはなかったか、まだ習得していないことを人に教えることはなかったか」
今回挙げた「ニーチェの言葉」とは直接係わりはないが、人は常に自らを振り返ることが求められる。それは、君子(教養があって、徳のある人)の必須要件だろう。
支部の会報作成(10日発行)も、何とか間に合いそうだ。本日中にプリントする。本連合会の会報(1/1発行)も編集の9割以上を終えた。本日、最後の寄稿文2通が届くことになっている。読み応えのある第30号になりそうだ。寄稿していただいた方に感謝する。
(令和6年12月8日 4:05)
支部の会報『燦燦(さんさん)』は、毎月10日に発行しているが、一か月がとても早く感じる。
今月号、本連合会の会報『矍鑠(かくしゃく)』の編集と重なり、『燦燦』は手つかずになっている。今日中に仕上げ、明日にはプリントを終え会員宅に届けなければならない。
事を計画的に運ぶことが出来なかった。非常態に追い込まれている。
(令和6年12月8日 4:45)
人間の2タイプ
そのとき、こちらの一人ははにかむ。
もう一人の方は、いよいよもって厚かましくなる。
(「ニーチェの言葉」から)
謙虚さはとても大事だが、度が過ぎる人はリーダーとしては不向きだろう。正当な努力に対する真っ当な評価は、遠慮する事無く受け入れるべきである。しかし、謙虚さの欠片も無い態度は、いただけない。「実るほど首を垂れる稲穂かな」を常に心得ることが求められる。
そして、「人間万事塞翁が馬」、一喜一憂しないことである。
(令和6年12月7日 5:12)
今朝は、久しぶりに寝過ごしてしまった。就寝が特別遅くは無かったのだが。
5時に起きたが、1時間以上も遅いと朝の段取りが狂う。ラジオ体操に出掛けるのは6時10分、何かを削る必要がありホームページの更新が遅れることになった。朝一番にご覧いただいている方には、「どうした」と思われただろう。
有難い事に夜中のハクモクレン落葉は少なく、15~16枚程度で助かった。風がほとんどなかったようだ。早朝の気温は5度前後と冷えたが、腰痛もましになりラジオ体操は台上での示範ができた。今日は事務所の日直当番だ。代理である。
会報30号の編集作業は順調だ。正月にお読みいただけるのを想像しながら勤しんでいる。本日が原稿の締め切り日である。あと何人の方から届くか楽しみにしている。お一人からは、9日(月)になると聞いている。16頁になればよいのにと思う。ちなみに、前号は8頁だった。
(令和6年12月6日 8:10)
ハイキングを欠席
本日の本連合会の「社会見学・ハイキング」は、腰痛のため欠席した。右膝の調子も思わしくない。まずまずの天気で、元気に歩かれているだろう。早朝のラジオ体操も、3割くらいの力でしか出来なかった。
そのような中、ハクモクレンの落葉が盛んである。家の前の、道路に落ちた葉はできるだけ掃き清める必要があり、一日に何度もの作業となる。腰や膝の調子が悪いときは、きつい作業となる。いやいや掃いていると余計にしんどくなるので精神修養だと思って続けるのだが、風の強い日は履き終わった後から次々と落ちて来るので、思わず挫けそうになることもある。
昨日は、事務所にスマホを置き忘れてしまった。不便に感じてしまう。それだけ「依存症」になっているとも言える。腰痛や膝痛がなければ、自転車で取りに行くのだが……。こんなときに限って、大事なメールが入っているかも知れない。
拙庭のモミジの紅葉が、今日はこの秋一番ではないか。朝方、妻のスマホで写真を撮った。こう記しながら、この後カメラで撮ろうと思い始めた。しばらくスマホばかりで、カメラを手に取るのは久しぶりとなる。後付けとなるが、カメラで撮った写真を添付したい。
(令和6年12月5日 10:37)
理想や夢を捨てない
理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去のことだったと、青春の頃だったと、懐かしむようになってはいけない。今でも自分を高くすることを諦めてはならない。
いつの間にか理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。心がそねみや嫉妬だけに染まり、濁ってしまう。向上する力や克己心もまた、一緒に捨て去られてしまう。
よく生きるために、自分を侮蔑しないためにも、理想や夢を決して捨ててはならない。
若い人たちへ
自由なな高みへと君は行こうとしている。しかしながらそういう君は、若さゆえに多くの危険にさらされている。
しかし、私たちは切に願う。君の愛と希望を決して捨て去ったりするな、と。
君の魂に住む気高い英雄を捨てるな、と。
君の希望の最高峰を、神聖なるものとして保ち続けてくれ。
(「ニーチェの言葉から」)
常日ごろ私が思っていることを、ニーチェが代弁してくれる。実にうれしい。ニーチェは凄い。中学や高校のときに、ニーチェに出会いたかった。本を読まなかった男に、出会いは無かった。
「理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。心がそねみや嫉妬だけに染まり、濁ってしまう」まさにそのとおりだ。
若者を元気づけるためには、年長者である私たちがいつまでも理想や夢を持ち続けることが求められる。これからもこれまでと同様に、私は「飽くこと無く 可能性を追求する」ことを止めない。
42歳ごろに、当時主宰していたある同好会の「設立10周年記念誌」の巻頭言に「少年の心を永遠に」という一文を綴った。70歳、80歳になっても少年の心を持ち続けようと。理想や夢を追い求めようと記したのである。
また、45歳ごろだったと思うが保健体育の教科書や書籍を数多く出している著名な某出版社から請われて、全国の保健体育教師向けに「歌を忘れたカナリヤになるな」の一文を記した。「保健体育を教える立場の人間として、本来持ち続けなければならないものを忘れてはならない」といった内容だった。出版社を通して、全国から賛同の声が届いた。
30歳前後のとき「文章修行」に励んだかいがあって、人並みのそれなりの文章が書けるようになった。新聞や雑誌に寄稿を続ける中で、原稿依頼が時折り届いた。そうした事が縁で、東京などでの座談会などにも呼ばれた。
大阪府立高校の「生徒指導研究会」が、夏と冬の年2回「高校生活」という新聞を発行する。これは、全府立高校生に配布される。現在も続いているはずだ。この「高校生活」から依頼されて3度執筆した。3度も執筆の機会を得たのは、私だけらしい。マラソンやトライアスロン、登山など、自らの経験をもとに「夢や希望を胸に努力しよう」という内容だった。
前後するが、42歳のときエッセー集「風花」を処女出版した。
70歳代半ばになったが、この機会に今一度、「お前は少年の心を忘れていないか」と自らに問い直しているのである。
(令和6年12月5日 3:40)
論語に親しむ会
きょうは、「論語に親しむ会」の第141回目の例会だ。
本日の内容から、一つをご紹介する。
子日わく、吾知ること有らんや。知ること無きなり。鄙夫有りて我に問うに、空空如たり。吾其の両端を叩いて竭くす。(しのたまわく、われにしることあらんや。しることなきなり。ひふありてわれにとうに、こうこうじょたり。われそのりょうたんをたたいてつくす)
通 釈
孔子が仰った。「私は世間で言われるほど物知りだろうか。いやそんなことはない。もしそう思われているとしたら、たとえ無知な人がまじめに問うて来てそれがさっぱり要領を得ない質問であっても、始めから終わりまで聞いてやりツボを押さえて答えるからだろう。聞き上手なだけだよ」と。
空空如たり くそ真面目な態度を言う
解 説
これは、孔子の人並み外れて優れた点らついて説明している。
一般には、理解力の高くない人に何かを問われたとき、「一体何が言いたいのか」とつい言ってしまう。「言いたいことに優先順位をつけて、箇条書きにして話しなさい」などと言おうものなら、こういうタイプの人は完全にパニックに陥るだろう。
「仮名論語」雍也第六75頁7行目で、弟子の樊遅(はんち)から仁を問われた孔子は「仁者は難(かた)きを先にして、獲(う)ることを後にす……」と答えている。相手に合わせて話しをすることを「対機話法(たいきわほう)」と言うが、これはなかなか難しい。一般には、自分のやり方に無理矢理合わせようとする。自分の都合に合わせるか相手の都合に合わせるかが、凡人と優れた人との境目なのかも知れない。
『論語』には、私たちが生きていくうえで指針となる言葉が数多く鏤められており、ハッと気づかされることが多い。上記は、本日の講義レジメの一部だが、「仮名論語」のテキストやレジメをもとに、分かり易く説明をする。そして適宜、全員で朗誦する。皆で声を出して読むと、実に気持ちがよい。
講義だが、肩苦しくならないように心掛けている。第1と第3水曜日の毎月2回 、町の福祉保健センターの大広間で学んでいる。
受講を希望される方はご連絡をお待ちする(世話人・恒川<つねかわ>080-7797-7624)。
(令和6年12月4日 4:10)
視点を変える
何が善であり何が悪であるのか、人間としての倫理とはどういうものなのか、という定義は、その時代によって正反対になるほど異なっている。
古代にあっては、伝統のしきたりや慣習から外れた自由なふるまいをすることは非行とみなされた。また、個人として行動すること、身分を越えた平等、予測がつかないこと、見通しの立たないことまでもが悪であった。古代人から見れば、現代ではまったく普通とされている行動や考えの多くが悪なのだ。
視点を変えるとはこういうことだ。相手や状況を想像してみることだけが視点の変換ではではない。古い時代の事柄を学ぶことも、視点を変えるのに大いに役立つのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
大東亜戦争後の日本人は、GHQ(米国)によって心も魂も骨抜きにされた。そう思っている。戦前の事はすべて悪とされ、日本人はそれを受け入れてしまったのである。戦前、ふつうに善として行われたことの中には改善すべきものもあったが、日本人として守り抜くべき事柄の方が多くあった。それが何であるかについては別の機会に述べるが、敢えて一つ挙げるならば『公の精神』である。戦後、「公」よりも「私」が優先されるようになった。「利他の心」が、大きく失われてしまったことである。
昭和30年代にヒットし、現在も歌い継がれている歌に『青い山脈』がある。西城八十の作詞だ。2番の歌詞に「古い上着よ さようなら 悲しい夢よ さようなら」とある。何気なく唄っている人が多いが、私は2番の歌詞は唄わない。なぜならば、「戦前の事はすべて悪い、捨ててしまおう」と言っているからだ。社会主義に被れていた西条は、そういった意味を込めたと思われる。 ニーチェは、「古い時代の事柄を学ぶことも、視点を変えるのに大いに役立つ」と言われている。大いに賛同する。新しいものが善ではない、悪もある。古い時代のしきたりや慣習の中にも数多くの善がある。
『不易と流行(ふえきとりゅうこう)』という言葉がある。不易とは、「どんなに時代が変ろうとも、本質は変わらない」ということである。流行については釈迦に説法、論じるまでもない。
先日の「郡生連のカラオケフェスタ」でも、新しい歌を唄われる方が多かった。そういった人の多くは、「教室」などで習っている方が多いと思われる。新しい曲を学ぶことは、大脳の活性化のためには大いに役立つだろう。しかし、知らず知らずのうちに「音楽産業に流されている」と私などは思ってしまう。新しい曲を唄うことを全否定している訳では無い、それもよいが、昔を思い出して、たまには懐かしい曲も唄ってほしいと思うのだ。
ただ世の中の経済を回すという観点からは、経済的に余裕のある高齢者が新曲を唄うことは善なのかも……。偶には私も特に感動するような(興味を強く惹かれるような)曲であれば、ネットを利用して新曲を学ぶ。だが、基本は懐メロである(『矍鑠』29号の「照隅」にも記した)。
とにかく、すべての事に言えることだが、むやみやたらに流行を追うのではなく、ものの本質をしっかりと見極めることが求められると思うのである。ニーチェの言わんとするところも、そこにあるのではと……。
(令和6年12月3日 4:11)
女を捨てた女
男を魅了するのを忘れるような女は、その度合いの分だけ、人を憎む女になる。
(「ニーチェの言葉」から)
どう解釈すればよいのだ。ニーチェは、悩ましい言葉を投げつけてくれる。
本連合会の役員・顧問の中で、私は最年少だ。支部長を務める支部に至っては、全会員中で最年少だ。先輩方に「どう解釈すべきか」と尋ねてみたい。即答はなかなか難しいのでは……。しかし、何事にも経験豊富で人生を達観されている方が多いので、案外すんなり教えていただけるのかも知れない。
さて、私なりに解釈してみたい。ここでは深く考え過ぎないで単純にいく。悩ましいものはその方が良いのかも。
「男女に限らず、年齢を重ねても幾つになっても、美しいものを見たら美しいと。何かを飲み食いして旨いと思ったら素直においしいと、常に感動する心を忘れるな」ということではないかと思う。
暦年齢は関係ない。喩え60歳であっても感動する心を忘れたときに、周りから『老人』と呼ばれるのだろう。
「生き生きクラブ連合会」の会員に、老人は居ないはずだ。
会報「矍鑠」30号の編集をしている最中だ。もう少し原稿が欲しい。ご協力を賜りたい。
毎日、「ホームページ」を覗いているという方が増えている。多くの方から「楽しみにしている」と言われる。有り難いことだ。
(令和6年12月2日 4:09)
後始末を忘れない
建築家の道徳とは、家を建てたら足場をきれいに取り払っておくことだ。園芸家の道徳は、枝を伐り終わったら落ちた枝や葉を掃除しておくことだ。
これと同じように、私たちも何かを為したら、きちんと後始末をしなければならない。そうして初めて着手した物事がようやく終わり、完成させたことになる。(「ニーチェの言葉」から)
後始末、後片付けをきちんとすることは、とても大事だ。私は、これがどうも苦手で、家人からぼやかれている。
つい先日、友人宅に業者が入り、庭木の剪定をして貰った。その友人から電話があり、結果に(仕上がりに)満足していない様子だった。後学のため、翌日、友人宅を訪ねた。友人の話どおり、いい加減な仕事ぶりだった。私ならば、やり直しを要求するだろうと思う程の……。
黒松の手入れはきちんと為されておらず、酷いものだった。サツキなどの刈り込み物も荒い仕上げ、前の道路には落ちた葉が残っていた。4人で作業したようだが、とてもプロの仕事とは言えなかった。「代金を支払う前に、やり直しを要求したら」と喉元まで出かかったが、抑えた。それは施主がやるべきことだ。
友人は温厚なタイプなので、恐らくクレーム無しで請求通りの代金を支払うだろう。そうすれば、「あの程度でよいのか」となり、俗な言い方をすれば、「嘗められる」と言ってよいだろう。結果、来年も手抜き作業になる。
業者と申し上げたが、個人の庭師や造園会社ではない。ここまで話すと、察しのよい方は、どういった方が剪定されたのかお分かりだろう。誰れであれ無料ではないのだから、それなりの仕事が求められる。
江戸時代、大工や左官、家具職人などの数ある職人の中でも、庭師は最も格が上だったと聞く。矜持(きょうじ)をもって仕事をしてほしい。
つい先日、テレビで京都の有名庭園の紅葉風景を中継していた。モミジやカエデの紅葉が、実に見事だった。手前にはサツキなどの刈り込み物が植えられていたが、こちらは拙庭の方が……。花後剪定の後、6月からこれまでの日々の手入れの違いが如実に表れている。6月下旬から10月上旬まで、飛び出る徒長芽を小バサミでこまめに摘む作業を怠らない。拙庭はせまいから手が行き届くのだが。
つい調子に乗って自慢話になったが、それだけ手をかけているということでお許し願いたい。
(令和6年12月1日 4:22)
自分の哲学を持つな
「哲学を持つ」と一般に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。しかしそれは、自分を画一化するようなものだ。
そんな哲学を持つよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾ける方がましだ。その方が物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
それこそ、哲学するということに他ならない。
(「ニーチェの言葉」から)
ニーチェの言わんとするところを表面的に捉えると、「哲学は必要ない」と主張しているのかと勘違いしてしまう。「考えや態度を画一化するな」「物事の本質を見なさい」と言われているのだろう。
その人なりの哲学は、「その人の行動した結果・経験」から作り出されるだろう。どうすれば「うまくいくか」、どうしたから「失敗したか」を積み重ねることで、「自分なりの哲学」は完成に向うと思う。
人は、「自信がある人」を信用する。「俺に任せれば絶対成果を出す」と言い切る人と「俺に任せても成果を出せるかどうか……」という人では、他は同じ条件でも前者に任せる(委ねる)という人が圧倒的に多いだろう。そういった自信を「自分なりの哲学」は支えると考える。哲学は、経験則から導きだされる。
周りを俯瞰すると、「輝いている人」は自信を持っているように思う。自分の意思を持ち、自分の意思に従って行動している。そういった人は、どのようにして自信を保っているのだろうか。それを想像することは、大事だろう。
行動派タイプは、成果を基にそれを自信につなげる。また、鍛えたり学んだりした時間を基に、より大きな自信を獲得していく。
沈思塾考タイプであれば、常に振り返りをし改善をして自信へとつなげる。何事もプラス思考で自信を築いていくのだろう。
どちらがよい、優れているとは一概に言えない。自らのタイプを見極め、一方のよいところで補完していくというのが理想なのか。
(令和6年11月30日 14:02)
あらゆる人から好かれなくていい
生理的嫌悪を持っている相手に対していくら丁寧に接しても、その場で見直してもらえることはない。そして結局は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な奴だと思われてしまう。
誰からも好かれるのが当然だとは思わず、ふつうに接していた方がよほどいい。
(「ニーチェの言葉」から)
誰からも好かれたいと思うのは、ごくふつうの事である。しかし、人間の心理は複雑であり、どうにも合わないという人は誰でもあるものだ。誰からも好かれようと無理に振る舞うと、気を遣った者が病んでしまうということが往々にして起こる。世の中には、そういった例が数多い。
ニーチェも、謙虚な姿勢で、自然体で臨めばよいと言っているのだ。
(令和6年11月30日 5:36)
人間の2タイプ
大きな称賛が与えられる。
そのとき、こっちの一人はとてもはにかむ。
もう一人の方は、いよいよもって厚かましくなる。(「ニーチェの言葉」から)
「常に謙虚であれ」と言われているのだろう。何気ない言葉だが、大事なことであり大いに反省させられる。 「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」である。『好事魔多し』だ。心したい。
(令和6年11月30日 3:29)
昇進や番付編成は公正に
元横綱武蔵丸が「優勝した琴櫻が来場所は綱取り場所になるのは当然だけど、負けた豊昇龍も綱取りになるとの見解みたい。13勝2敗の準優勝が起点になるのは甘いよ。やっぱり優勝を綱取りの起点にしないと。成績さえ上げれば、いつか近い将来に横綱になれる存在なんだから、先に話が進んじゃうのはどうかと思うよ。まず結果を出してから議論すればいいとも思うんだ」と。
高田川審判部長や横綱審議委員長の「豊昇龍も横綱への起点になる」の見解を受けての発言だ。武蔵丸の発言を支持する。そのとおりだと思う。横綱照ノ富士がいつ引退してもおかしくない状況であっても、である。
高田川は「王鵬」の三役入りにストップをかけた張本人だ。この番付編成にも疑問符がついた。高田川の現役時代の四股名は「安芸乃島」であり、私の贔屓力士の一人だった。だが、貴乃花や貴闘力への遺恨からと思われる恣意的な振る舞いは酷すぎる。こういったことを日本相撲協会は許してはならない。このようなことがまかり通るようであれば、盛り上がりつつある相撲人気も水泡に帰すだろう。今後も注視する。
(令和6年11月30日 3:12)
プロフェッショナルになりたいなら
何かのプロフェッショナルになろうとするのなら、あらかじめ克服しておかなければならないことがある。
それは、性急さ、短気さ、意趣返しなどを含めた報復欲、情欲といったものだ。自分の中に潜んでいるこれらを排斥できたり、制御できるようになってから、事に取り掛からないといけない。
そうでないと、いつかこれらが氾濫する川のうねりのようになって暴れ狂い、すべてを台無しににしてしまう可能性があるからだ。
(「ニーチェの言葉」から)
「あせらず、地道にコツコツと努力する」ことが大事たと、ニーチェは言わんとしているのか。人が何かを達成しようとするとき、ある境域に到達しようとするとき、必ず阻害要因が立ちはだかる。そういった場合、性急さや短気な性格は邪魔になることは誰もが理解する。
周りの協力を得るためにも、自らをコントロールする力を身につけなければならない。そうしないと、目標達成は困難なものとなる。私が一流になれなかった要因もそこにあるのか。
本日は、生駒郡生き生きクラブ連合会の「カラオケフェスタ」である。喉の調子は、まずまずといったところだ。これから発声練習を行う。『論語』の朗唱も……。
大きなホールで歌えることは、幸せなことだ。伴奏がフルオーケストラならなおよいが。贅沢な望みというものだ。今日も大いに楽しみたい。
(令和6年11月28日 4:25)
テクニック以前の問題だ
自分の表現や文章を改善するためには、表現や文章の技術を取り込むのではなく、自分の頭の中を改善しなければならないからだ。
このことがすぐに分からないない人は、理解力が足らないのだからいつまでも分からず、どこまても目先の技術にこだわり続けることになるだろう。
(「ニーチェの言葉」から)
「自分の頭の中を改善しなければならない」、なかなか手厳しい言である。
私などは、「基礎基本を学び、数多く書けばそれなりに……」と思っている。ニーチェの主張が正しければ、私のように程度の低い頭脳では無理なのか。
そうであったとしても、何度も推敲しながら数多く書くことによって少しはましな文章になることを信じて、書き続けるのである。
(令和6年11月27日 16:37)
高まるために捨てる
人生はそれほど長いものではない。夕方に死が訪れても何の不思議もない。私たちが何かを成すチャンスは、いつも今この瞬間しかないのだ。
そして、その限られた時間の中で何かを成す以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。しかし、何を捨てようか悩んだりする必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れ去るかのようにだ。
そうして私たちはさらに身軽になり、目指す高みへとますます近づいていくことになるのだ。
少しの悔いもない生き方を
今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
(「ニーチェ言葉から」)
「芸術は長く人生は短し」(人の命は短いけれど優れた芸術作品は人の死後にも生き続ける)は、古代ギリシアの医師ヒポクラテスの格言である。医学を修行するのには長い年月を必要とするけれども、人生は短いのであるから怠らずに勉強せよと若い医学生を激励した。
この長いようで短い人生を、悔いのないように生きることが私たちには求められる。ニーチェは、「不必要なものは自然と自分から離れていく」と言われる。「身軽になり、目指す高みへとますます近づいていく」とも。そのためには、日々覚悟を以て生きなければならないだろう。常に振り返り、「今、何を成すべきか」を考えることが求められている。
孔子は、『朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり』<あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり>と仰った。「人として歩むべき道を悟るならば、もはや生死など足るに足らないものだ」との覚悟を述べたものだ。
自らを、「覚悟と責任を以て臨んでいるか」を改めて問い直す。
(令和6年11月27日 4:30)
切れ者でありながら鈍くさくあれ
シャープでスマートだけではいけない。鈍(どん)くさいところも必要だ。
切れるだけが格好いいのではない。切れるだけだと、いつまでも「まだまだ若い」と言われて、どこか軽く見られてしまう。寂び(さび)も必要だ。
シャープでありながら鈍くさいところもあることによって愛嬌があるように見られて人に好かれるようになるし、誰かが手伝ってくれたり味方になる余地も出てくる。そして、切れるだけのときよりも、ずっと得をすることになる。
(「ニーチェの言葉」から)
「切れるだけではダメ、寂びも必要だ」、なかなかニーチェはいいことを言う。哲学者ぶる国内の知識人を語る御仁には、こういった洒落たことは言えない。私などはスマートさの欠片(かけら)も無く、鈍くさいばかりだ。尤もそれでいいと思っているのだが。
明後日の28日に、毎年恒例の「生駒郡生き生きクラブ連合会」の「カラオケフェスタ」が開催される。斑鳩ホールで開催され、4町から100名が出場する。正式名称は、「郡生連カラオケ大会」だが、優劣を競う訳ではないので「大会」と呼ぶこともないと私は思う。「餅つき大会」など、何でも大会と呼びたがる日本人の習性のひとつだろう。尤も、競わなくても大勢が集まって実施する催しを大会と呼んでも誤りでは無いらしいが。
プログラムを見ると、出場者が歌われる曲の9割以上は最近の歌である。懐メロを唄うのは、数名だ。昭和30年代以前の曲は、一人だけである。教室で習っている人が多いことが、大きな理由だろう。穿った見方をすれば、音楽産業に流されているとも……。人の選曲にケチをつけるのは止めよう。
鈍くさい(なびかない)私は、もちろん懐メロだ。比較的新しい歌をまったく知らないことは無いが、懐メロを大事にしたいという思いが人一倍強い。ちなみに、「あんときゃどしゃ降り」(春日八郎・昭和33年)を唄う。カラオケの画面が白黒であることが、古い曲だということを如実に物語っている。
余談だが、春日八郎邸(東京・世田谷区)の前を通ったことがある。日本体育大学を訪ねたとき(昭和46年)のことだ。大きな門の1,000坪はゆうにといった広大な屋敷だった。
(令和6年11月26日 4:05)
仕事はよいことだ
職業は、私たちの生活の背骨になる。背骨がなければ、人は生きていけない。
仕事に携わることは、私たちを悪から遠ざける。くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。そして、快い疲れと報酬まで与えてくれる。
(「ニーチェの言葉」から)
仕事に携わらなくなって長い。現在は、いくつかのボランティア活動に従事する。三生連の役員もその一つである。少しは会員のためになっていると思うとき、何となくうれしいものだ。町の福祉保健センターに事務所があり、時折り日直当番(9:30~12:00)が回って来る。月に約2回だ。当番で無い時も、しばしば顔を出す。
飽くまでもボランティアであり、責任を負うような難しい業務は無い。訪れる会員や役員の方との会話は、とても楽しい。それでいて、報酬(1回300円)をいただける。有り難いことだ。今年も、あと3回は当番が回って来る。その報酬で、何とか年を越せそうだ。
(令和6年11月25日 4:53)
結婚するかどうか迷っているなら
結婚に踏み切るかどうか迷っているなら、じっくりと自分に問いかけてみよう。
自分はこの相手と、80歳になっても90歳になってもずっと楽しく語り合っていけるだろうか、と。
長い結婚生活の間には多くのことが起きるが、それらはすべて一時的なもので、いつしか過ぎ去っていく。
けれども、二人でいて対話を続けるということは、結婚生活の大部分を占めているし、老年になればなるほど、対話の時間は増えていくものだ。
(「ニーチェの言葉」から)
人生において最も決断のいることは、結婚だろう。誰もがそう思う。否定する人は居ないのではないか。その決断の善し悪しは、人の一生を大きく左右する。どんなに人柄がよく、能力的に優れた人であっても(私がそうだとは全く思わない)、伴侶に恵まれなければ、その人生は幸せには遠いものとなるだろう。
私は結婚するのが早かった。23歳になった直後であった。社会人になって数カ月で結婚を決断した。決断は、22歳と3ヵ月である。かなり早い部類に入るのではないか。
30代前半までは一人で気楽にしている人を見ると、「もう少し独身生活を楽しむべきであったか」の気持ちも正直若干あったが。それ以後は、早く結婚してよかったとずっとそう思っている。なぜならば、伴侶に恵まれ満足しているからだ。結婚生活はもちろん、順風満帆では無かったが、何とか人並みの幸せを謳歌できている。決断は(まったく迷いは無かったが)、正しかったと思っている。
妻は「誤った……」と冗談めかして言うが、7割は本心かも。いい加減な私だが、逃げ出さず(私を追い出さず)、よく我慢してくれたと思っている。
妻からすると年金のこともあるし、「生かさず殺さず」の気持ちで「寝たきりにならずにしばらくは生きていたら」と考えているのかも知れない。
それでよいのだと思うのである。
(令和6年11月24日 19:35)
心は態度に表れている
ことさらに極端な行為、大袈裟な態度をする人には虚栄心がある。自分を大きく見せること、自分に力があること、自分が何か特別な存在であることを人に印象づけたいのだ。実際には内に何もないのだが。
細かい事柄にとらわれている人は気遣いがあるとか、何事にも繊細だというふうに見えることもあるが、内実は恐怖心を抱いている。何か失敗するのではないかという恐れがある。あるいは、どんな事柄にも自分以外の人が関わるとうまくはいかないと思っていて、内心で人を見下している場合もある。
(「ニーチェの言葉」から)
孔子の弟子 曽子(曽参)は、『論語』(泰伯第八)の中で、言動で大事なこととして「立ち居振る舞いはおとなしく、人を見下したりしない」「表情を穏やかにして、まことの心で人に接する」「言葉に気をつけて俗悪にならないようにする」の三つを挙げている。三つとも当たり前のことだが、私は完璧にこなしているとは言い難い。みなさんは、如何だろうか。何なく自然に実践できている人は、有徳の人と言えよう。
孔子は自らの歩んで来た道を振り返り、『……、七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)をこえず』と仰った。70歳以後は、自らの言動を意識して抑えることをしなくとも人としての道を外すことは無かったと。私はその年齢をゆうに超えているが、未熟であり「あれも欲しい、こうしたい」と日々煩悩は尽きない。
周りには80歳を超えた方が多い。みなさん世の中を達観し、煩悩を排除され『泰然自若』(たいぜんじじゃく・何が起こっても、落ち着き払って少しも動じない)、「意気自如」(いきじじょ・心のもちかたがふだんと変わらず平静なこと)の心境なのだろうか。
「あれもしたい、これもしたい」と思うことは、年齢に係わらず「ダイナミックに生きる」ことに繋がるとも言える。兼ね合いだろう。どちらにしろ、孔子が仰るところの「矩はこえない」ようにしなければならない。
横道にそれたが、「心は態度に表れている」はそのとおりだと思う。
昨日は、「勤労感謝の日」だった。国旗を掲揚するのを失念した。恥ずかしい話で赤面の至りだ。15時過ぎにご近所で翩翻と掲揚されているのを見て気づいた。「遅かりし由良助」である。ボケているとしか言いようが無い。とにかく、情けない話だ。
(令和6年11月24日 4:35)
ニセ教師の教えること
この世には、いかにもまともそうに見えるニセ教師がたくさんいる。彼らが教えることは、世渡りに役立ちそうなことばかりだ。これこれをすると得になる。こういう判断をすると損をしない。人づきあいはこういうふうにしろ。人間関係はこうやって広げろ。こういう事柄はああだ、こうだ。
よく考えてみよう。ニセ教師の教えることは、すべて価値判断だ。人間と事物についての本質の味方など、これっぽっちも教えてくれはしない。こうして人生の本質すら分からずに生きていっていいのかな。
(「ニーチェの言葉」から)
価値判断の仕方を習うことも大事だが、人間や物の本質をどのように捉えるかを学ぶことがより大切だ。
世渡り(処世術)を学び、巧言令色なとで立身出世したとしても、それは儚い浮雲の如きものだろう。
(令和6年11月23日 4:37)
心に光があるから希望の光がわかる
ここに希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していないならば、それが希望だとはわからない。希望の何をも見ることも聞くこともできない。
(「ニーチェの言葉」から)
「心に光があるから希望の光がわかる」、幼い時の両親のしつけや学校などでの教師の教えは、人の一生に大きな影響を与えるだろう。
19世紀に生きた英国の哲学者・教育学者 ウィリアム・アーサー・ワードの至言「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明をする。すぐれた教師は自ら範を示す。偉大な教師は心に火をつける」を思い出す。「心に火をつける」とは、やる気を引き出すことである。君ならやれると鼓舞することだ。
38年教職にあった。率先垂範は常に心がけたが、生徒たちの心にどれだけの火をつけることができただろうか。心に希望の光を灯せただろうか。
(令和6年11月22日 8:15)
長所の陰に隠されているもの
そっと遠慮する。誰にも気を悪くさせないよう気遣う。できるだけ迷惑をかけないようにする。そういう人は、周囲の人々のことを考え、公正な性質を持っているように見える。
しかしまた、その人が臆病であっても、同じ振る舞いをするものだ。だから、長所に見えるものであっても、その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある。
(「ニーチェの言葉」から)
「3分も会話すればその人が分かる」が持論だが、一般論であってなかなか見抜けないことも少なくない。本質を見極めることは難しい。
世の中には善人が多いのだが、意識して人を騙そうとする輩(やから)が居ることも事実だ。「オレオレ詐欺」は、代表的な一つの例だ。
家の工事で(本体で無く機器で)数百万円を騙し盗られた人が居る。「なぜそんな高額を」と思うが、巧妙に仕掛けられたのだろう。
できれば疑ってかかりたくないが、世の中は善人ばかりでないことも知る必要がある。
今夕、大病で入院されしばらく前に退院、療養途上のその友人を「励ます会」が開かれる。参加者は90歳直前の方から73歳前半と幅広いが、気の置けない愉快な仲間たちであり楽しい会になるだろう。
(令和6年11牙22日 3:35)
表現は素直に
ある事柄について、二人の人が語る。一方の人はまずく語る。もう一人はうまく語る。この差は、語りの技術の問題などではない。
まずく語ったほうは、誇張や大袈裟な表現を使ったりしている。これは、聞き手の興味を起こさせようとしているからだ。その意図と卑しさが聞き手にも感じられる。
もう一人は、本当に自分の興味からその事柄を誠実に語っている。そこにはあざとい作為がない。だから、聞き手はそこに真摯さを覚え、話し手が抱いている興味そのものを自分にも取り込もうとして想像を働かせて聞き入るのだ。
このことは、もちろん書物にも通じるし、俳優の演技にも通じるし、私たちの生き方にもよく通じるものである。
(「ニーチェの言葉」から)
「表現は素直に」は、生きていくうえでとても参考になる言葉だ。
話し言葉でも、文章でも、誇張や大袈裟な表現は、心に響かない。厳しく言えば、わざとらしい表現は受け取る側にとって心地よくないどころか、ときには嫌悪感さえ与えてしまう。
飾らない素朴な言葉や文章が、胸を打つのである。加えて、使い古された陳腐(ちんぷ)な表現も、できるだけ避けることが求められる。
12/5の「社会見学・秋のハイキング」(郡山城界隈)の参加申し込みは、準備の都合上、予定どおり15日に締め切られた。結果、申込者は計27名となった。
(令和6年11月21日 4:20)
原因と結果の間にあるもの
この原因があったからこういう結果になった、と考えられることが多い。しかし、その原因と結果は私たちが勝手に名づけたものにすぎないと気づくべきだ。
どんな物事や現象であれ、原因と結果で簡単に分析できるほどことは簡単ではない。まったく目に見えていない他の要素がたくさんあるかも知れないからだ。
それを無視して、ある一つの事柄のみの原因と結果を決めつけ、そこに何か強い結びつきと連続性があるように考えるのはあまりにも愚かなことだ。
だから、原因と結果とで物事の本質を理解したように感じるのは思い込みにすぎない。多くの人が同じように考えたとしても、それが正しさの保証にはならないのは当然のことだ。
(「ニーチェの言葉」から)
確かに、「この原因があったからこういう結果になった」と考えてしまうことが多い。ニーチェが指摘するように、「目に見えていない他の要素がたくさんある」だろう。
では、私たちはどうすればよいのか。「物事や現象は、それを取り巻くさまざまなことが絡み合って結果が生じるのだ」ということに気づくことが求められる。当たり前と言えば当たり前なのだが、とにかく、深く思索することが大事だろう。
兵庫県知事選は斎藤氏の圧勝となったが、全員一致で不信任案を可決して知事を辞職に追い込んだ県議会議員は内心、次の選挙を見据えさぞかし恐れおののいていることだろう。
議会は「自主解散」できる。議員の五分の四の賛同を以て自主解散できるのである。筋から言えば、そうすべきであろう。だが、そこまで腹を括れる方はいないだろう。何故ならば、「政治屋」ばかりであるからだ。
投票日直前になって前尼崎市長の支持表明をした22名の市長たちの多くは、来年市長選を控えている。その心中は、容易に推察できる。また、斎藤知事を見限って梯子を外した「維新」の幹部たちはは他人事のようなコメントを残しているが、酷い話である。しばらくは、兵庫県から眼が離せない。
本日は、「三生連 論語に親しむ会」の第140回目の例会だ。熱心な受講者ばかりだ。負けないように、気合を込めて臨むことは当然だ。
(令和6年11月20日 4:22)
まともに生きていない人の心理
自分の本業に力をそそぎ、十分に成果を得ている人は、同じような仕事をする人や商売がたきに対しては寛容で、理解ある心広い態度を示すものだ。
しかし、自分の仕事を十分こなし切っていない人、お金目当てだけで渋々働いているような人は、商売がたきに対してあらぬ恨みや憎しみを抱く。
同じように、自分の人生をまともに生きていない人は、他人に憎悪を抱くことが多い。
(「ニーチェの言葉」から)
本業に注力することは当然のことだと思う。が、現役のときを振り返るとき、残念ながらそのようには見えない人が周りには存在した。けっして、その数はごく僅かではなかった。気の毒な人だなと思ったものだ。恐らく、他の職種でも、職場でも、そのようなケースはあるのだろうと……。
私は中学のときに志した職業に就けた。幸運だった。そういった人は、多くはないだろう。とにかく恵まれたと思っている。人並み以上に努力したという訳でも無かったのに、めざした職にまわり道することなく就け、よき先輩・同僚にも恵まれ毎日が楽しかった。もちろん、すべてが順風満帆だった訳ではないが。
好きなことで禄をいただき、「有り難いな」と感謝の毎日だった。であるから、周りに対して憎悪の念を抱くというようなことは全く無かった。幸せな職業生活であったと、今懐古(回顧)するのである。
そして現在、ボランティア活動を通して、地域社会にささやかではあるが貢献できている。退職後も、自己実現を図ることができていると言えよう。健康を維持し、可能な限り続けていきたい。
(令和6年11月19日 4:10)
本質を見分ける
鉱泉の出方はそれぞれだ。とうとうと溢れんばかりに湧き出る鉱泉。尽きることなく流れ出るもの。ぽたぽたと滴をしたたらせるもの。
鉱泉の価値を知らない人は、その水の量で豊かさを判断する。鉱泉の効用を熟知している人は、その泉の水ではないもの、含有成分で鉱泉のよしあしと質を判断する。
同じように他の事柄に関しても、見かけの量の多さや圧倒的な迫力にまどわされてはならない。何が人間にとって意味と価値のある質であるのか。本質を見分ける眼を持つことがきわめて大切なのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
ものの本質を見分けることが大事だ。見極める、見分ける確かな眼を持つことが求められる。それは、一朝一夕に持てるものではないことは言うまでも無い。先人に学び、それを咀嚼して自らの頭で考えて、自分のものにする作業が必要だ。
そして、けっしてその場に止まらず、常に新しい知識や考えを取り入れる。特に現代のように変化の激しい時代においては、新しい知識や技術も、三年先には陳腐なものになっているかも知れない。
そういった意味においても「これで十分だ」ではなく、生涯学び続けなければならないのである。常に、「学ぼうとしているか」と自らに問いかけたい。
(令和6年11月18日 4:30)
早朝の「ラジオ体操会」会場に向かう際、西に向って歩く。今朝は、{有明の満月}が実に見事だった。復路は真東に向って……。今、ちょうど日の出の時刻で、太陽がとても眩しかった。どちらも早起きのご褒美である。
事情があって、昨朝、今朝と号令だけで、体操をした。大きい声で号令をかけながらのラジオ体操は、易くはない。何とかこなせるのは、「昔取った杵柄」といったところか。息が少し切れそうになるのは、年齢のせいだろう。あと10年は、なんとか行けるだろう。
昨夜、19時頃拙宅からみて東南の方角に花火が上がった。河合町・上牧町の方角だった。詳しくは分からない。短い時間だったが、わりと間断なく上がり奇麗だった。この季節の花火もいいものだと思った。
(令和6年11月17日 8:27)
事実が見えていない
多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。
つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
確かに「そのものを見ていない」ということが多いと思う。ニーチェの言われる「自分の思いや執着やこだわり」だけでなく、情報の氾濫する現在、以前と比べて「偏りや偏見、先入観」をもって物事を見てしまう傾向は強くなっているだろう。
テレビニュースや新聞報道なども、明らかに事実を伝えていないと思われることが多い(米国のABCニュースなど左翼メディアからの情報しか伝えていない)。そういった理由もあり、私はかなり前から地上波テレビの報道や新聞報道を鵜呑みにしていない。事実をありのままに伝えないという傾向があまりにも強いので、数カ月前から新聞をとるのも止めた。テレビニュースも見ていない。準国営放送という位置づけのNHKの偏向報道も酷すぎる。天気予報はネットで確認している。困ることは、まったく無い。
先日の「米国大統領選」、メディアの偏向報道をよそに私は2年以上前から「トランプの勝利・再登板」を確信していた。賛同者は多くなかったが、私はブレなかった。周りの多くの人は、偏向情報に流されていた。
とは言っても、私の考えや生き方をみなさんに勧める訳でも強要するものでも無い。とにかく、何が真実かをご自分で判断していただきたい。「ニュースを鵜呑みにしないで」と申し上げたい。
本日は兵庫県知事選挙の投票日だ。テレビや新聞などのメディアや県議会、100条委員会などの報道で喧伝された知事の「パワハラ」や「おねだり」などについては、それが事実だと私も完全に騙されていた。周りの多くの人も。
ネット情報を知らない人は、今だに「パワハラ」や「おねだり」があったと思い込み、県民局長の自殺は前知事の「パワハラ」のせいだと思っている。改革を推進する「知事を追い落とそうとする一派の練られた戦略だった」とは……。「自殺」に係わっても徐々に明らかになって来た。
前知事擁護派からは百条委員会の議長を務める県議会議長は、「知事追い落とし」の首謀者のひとりではないかと言う。「投票」を前に兵庫県内は大混乱に陥っているとも言える。そのことも、地上波テレビや新聞は報道しない。
本日の投票の結果はどのようになるだろうか、全国的に大いに注目されている。21時30分ごろには、判明するだろう。
(令和6年11月17日 3:53)
笑い方に人間性が
どんなふうに笑うか、どんな場合に笑うか、そこには人間性が洗われている。たとえば、人の失敗をおとしめて笑っているのか、意味合いのおかしさを笑っているのか、洗練された機知をおもしろがっているのか、ということだ。
さらに、笑い声の響き方に、その人の本性が洩れ出ている。
だからといって、笑いに臆病になる必要はない。他のやり方でも、私たちは自分の人間性を表している。私たちの人間性が変れば、笑い方も自然に変わるのだから。
(「ニーチェの言葉」から)
真剣に話をしているときに、感じの悪い笑い方をする人が居る。本人が気づいていない場合も少なくない。俗に「営業笑い」などと呼ばれるものは、その骨頂である。悪い習慣に(くせに)なっているように思う。確かに、「笑い」には人間性が如実に表れると思う。
一方、「笑い」は健康によいと言われる。否定する人は居ないだろう。ただ、いくら健康によくともタイミングを弁えることが必要だ。自分では分かっていない場合が少なくないので、信頼できる人にアドバイスを求めることが大事だ。求められたならば、正直に感想を述べることだ。それが、「真の友人」である。
(令和6年11月16日 3:35)
県老連主催「ウォークラリー大会」
今日は、県老連主催の「ウォークラリー大会」が、高市町連合会と明日香村連合会の主管でキトラ古墳一帯を舞台として開かれた。理由は分からないが、例年より参加が少なく約30チームであった。
誰もが天気を心配しが、皆の願いが通じたのか、何とか雨は降らずにもってくれた。紅葉には少し速かったが、緑豊かな環境の下、運動不足の身にはとてもいい運動となった。仲間の万歩計では、12,000歩だと……。三生連チームは「友愛のつどい」の疲れも少しあったが、私自身は逆に心身ともほぐすことが出来て喜んでいる。
運営に携わった高市町連合会と明日香村連合会みなさん、そして県老連事務局の方々には心温まる運営、大いに感謝している。
(令和6年11月15日 19:01)
力を入れすぎない
自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成させるくらいがちょうどいいものが出来上がる。 全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、何とも重ぐるしい印象があり、緊張を強いるものだ。それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬがれない。しかも、それにたずさわった人間の臭みというものがどこかついてまわる。
しかし、四分の三の力で仕上げたものは、どこか大らかな余裕といったものを感じさせる。ゆったりとしたものになる。それは一種の安心と健やかさを与える快適な印象を与える作品だ。つまり、多くの人に受け入れやすいものが出来上がるのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
子どものときから「全力投球、ストレート勝負」を旨としてきた者には、若干耳の痛い話である。
「全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、何とも重ぐるしい印象があり、緊張を強いるものだ。それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬがれない」、自分に言われているように思ってしまう。
痛いところをついているとも思うし、「いや、全力投球がよい、精魂こめた方が……」とも言えなくもない。難しい問題である。
『中庸』という考え方がある、孔子が奨励した。これは、足して2で割るというものではない。俗っぽい表現をすれば、「程々に」ということだろう。
「肩肘張らず、余裕を持ちながら」も、「ここ一番には精魂込めて全力投球を」がよいのかも知れない。
みなさんは、どのように思われるだろうか。
(令和6年11月15日 4:04)
「友愛のつどい」が、無事終了した。
女性部をはじめ、みなさんの協力のお陰である。
多彩な内容で、参加者は笑顔、笑顔であった。係わっていただいたすべての皆様に、御礼を述べたい感謝申し上げる。
来年は、参加者がきっと増えるであろう。
3日目 開会式 挨拶
みなさん、こんにちは。ご出席いただき、ありがとうございます。日ごろは、三生連の活動にご協力を賜り、感謝を申し上げます。
本日は、木谷町長のご臨席を仰ぎ、第23回の「友愛のつどい」の三日目がこのように盛大に開催されますこと、大きな喜びです。
木谷町長、ご多用の中、まことにありがとうございます。町長にはこの後、ご挨拶を賜りますが、みなさんご存知のとおり、木谷町長は今年初めに初当選されました。持ち前の若さを前面に出されて三郷町の発展のために、これからバリバリ働かれると思います。そうでありますことを切望します。
みなさん、恐れ入りますが、ご起立願います。ご起立の上、木谷町長に改めて絶大なる拍手でもって、これからのご活躍を祈念申し上げましょう。
ありがとうございました。
さて、「友愛のつどい」は、昨日、一昨日と、銭太鼓・舞踊・大正琴・ハーモニカ・ギター演奏・マジック・カラオケ歌唱・全員による合唱等々、例年にまして多彩な内容で大いに盛り上がりました。本日も間違いなく盛会となることでしょう。最後まで、ゆっくりとお楽しみください。
それでお願いですが、200名を超えていた参加者が残念ながら減少しつつあります。今日の「友愛のつどい」が良かったとお思いならば、お帰りになった後、本日欠席されている方に、来年はぜひ参加しようねとお誘いください。そうすれば、きっと増えるはずです。お願いをして置きます。
末尾になりましたが、開催に当りご尽力いただいています女性部役員のみなさんをはじめ、社会福祉協議会事務局の皆様、そして係わっていただいているすべての皆様に心からお礼を申し上げ、甚だ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。
ありがとうございます。
(令和6年11月14日 16:20)
四つの徳を持て
自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
敵に対しては勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。
その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。(「ニーチェの言葉」から)
誰に対しても、どんなときでも、「礼」を尽くし誠実でありたい。
考え方が違う人にも、そして誰にも寛容でありたい。
自らを振り返るとき、上記は不十分なことばかりだが、実現するように努める。一歩でも近づけるようにと思うことが、大事だと思うから。
孔子の弟子 曽子(曽参)が言われた。
『吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳るか』<われひにわがみをさんせいす。ひとのためにはかりてちゅうならざるか、ほうゆうとまじわりてしんならざるか、ならわざるをつたうるか>(私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶくようにする。人のためを思って真心からやったかどうか。友だちと交わって嘘偽りはなかったか。まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか)
出版社「三省堂」の出展だ。
(令和6年11月14日 3:25)
「友愛のつどい」2日目
「友愛のつどい」の2日目も、随分と盛り上がった。参加者には、喜んでもらっている。
ただ参加者数はずっと200名超だったのだが、明日の3日目の数を見ないと分からないが、今回は180名くらいに止まりそうだ。どの支部も高齢化が進んでおり、行事への参加者が軒並み減少している。
そのような中、12/5の社会見学兼秋のハイキングの申込者は(申込締め切り11/15)順調であり、最終的に35名くらいになるのではと喜んでいる。
3日連続の行事の運営は、正直大変だが、参加者の笑顔を糧にしっかり努めたい。
2日目開会式 挨拶
みなさん、こんにちは。ご出席いただき、ありがとうございます。
日ごろは、三生連の活動にご協力を賜り、感謝を申し上げます。本日も昨日に引き続き池田副町長のご臨席を仰ぎ、第23回の「友愛のつどい」がこのように盛大に開催されますこと、大きな喜びです。副町長、ご多用の中、まことにありがとうございます。
さて、みなさん、二つ自慢をさせてください。左右をご覧いただけますか、会旗を掲揚しています。奈良県内には市町村連合会が数多くありますが、会旗を持っているのは私の知る限り、「三生連」だけです。ロゴマークも三生連独自のものです。
また、10月に開かれました町の文化祭「展示の部」には、会員の皆様から150点以上の作品が出展されました。町全体の三分の一を占めたのです。その中には、90歳を超えた方も数名居られました。三生連の底力を示すことができたと嬉しく思います。
本日の「友愛のつどい」は、例年にまして多彩な内容となっています。昨日も銭太鼓や楽器の演奏、舞踊などで、大いに盛り上がりました。今日も盛会となりそうです。最後までゆっくりとお楽しみください。
末尾になりましたが、開催に当りご尽力いただいています女性部役員のみなさんをはじめ、社会福祉協議会事務局の皆様、そして係わっていただいているすべての皆様に心からお礼を申し上げ、甚だ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。
ありがとうございます。
(令和6年11月13日 18:43)
体験だけでは足りない
確かに体験は重要だ。体験によって人は成長することができる。しかし、さまざまな体験を多くしたからといって、他の人よりもすぐれていると言うことはできない。
体験しても、あとでよく考察しなかったら、何にもならないのだ。どんな体験をしても、深く考えてみることがなければ、よく噛まずに食べて下痢をくり返すことになる。つまり、体験から何も食べていないし、何も身につかないということだ。
(「ニーチェの言葉」から)
「体験しても、あとでよく考察しなかったら、何にもならないのだ」については、私も同感だ。独断に陥る。一人よがりになってしまうだろう。
2,500年前の中国に生きた思想家 孔子は〚論語。為政篇〛で、〚学びて思わざればすなわち罔く、思うて学ばざればすなわち殆し〛(まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし)と仰った。学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味は分からない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危ない、という意味だ。
孔子とニーチェは、同じ意味のことを言われている。また孔子は同じく〚論語。為政篇〛で、〚先ず行う、其の言は而る後に之に従う〛(まずおこなう、そのことばはしかるのちにこれにしたがう)とも。孔子は、「行動」を重視した人だった。
机上の学問と、体験を積み重ねるの両方を続けることによって人としての磨きがかかる。自明の理だ。
本日は、「友愛のつどい」の2日目だ。会場設営の作業が無いので、少し気が楽である。
昨日の1日目、司会の藤井理事が「締めの言葉」で、『絆・縁』について触れられた。聖徳太子は遺された『説法明言論』(せっぽうみょげんろん)の中で、『縁』について次のように説かれている。
『是の如く我聞く、或は一國に生れ、或は一郡に住み、或は一県に処り、或は一村に処り、一樹の下に宿り、一夜の同宿、一日の夫婦、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑、一言の会釈、一坐の飲酒、同杯同酒、一時の同車、同畳同坐、同床一臥、軽重異るあるも、親疏別有るも、皆是れ先世の結縁なり』(一部略)
『縁』を大切にしたい。
本日、役員は10時の集合(11時開会)だが、私はいつもどおり8時45分に事務所へ入る。
(令和6年11月13日 3:45)
「友愛のつどい」
「友愛のつどい」の1日目が11時から開かれた。副町長を来賓にお迎えし、14時30分頃まで、「銭太鼓」「舞踊」「大正琴」「ギター演奏」「カラオケ歌唱」を参加者には楽しんでいただいた。
昼食には、柿の葉寿司弁当を提供した。
準備や当日のお手伝いにご尽力いただいた女性部役員や社協職員の皆様などに感謝申し上げる、
明日、明後日と3日間にわたって開催される。
開会式会長挨拶
みなさん、こんにちは。ご出席いただき、ありがとうございます。日ごろは、三生連の活動にご協力を賜り、感謝を申し上げます。
本日は、池田副町長のご臨席を仰ぎ、第23回の「友愛のつどい」がこのように盛大に開催されますこと、大きな喜びです。
副町長、ご多用の中、まことにありがとうございます。
ところで、10月に開かれました町の文化祭「展示の部」には、会員の皆様から150点以上の作品が出展されました。町全体の三分の一を占めたのです。三生連の底力を示せたと大変嬉しく思います。ありがとうございます。
さて、本日の「友愛のつどい」は、例年にまして多彩な内容となっています。ゆっくりとお楽しみください。
最後になりましたが、開催に当りご尽力いただいています女性部役員のみなさんをはじめ、社会福祉協議会事務局の皆様、そして係わっていただいているすべての皆様に心からお礼を申し上げ、甚だ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。
ありがとうございます。
(令和6年11月12日 15:35)
勝つなら圧倒的に勝て
競争においては、かろうじて相手に勝つというのはあまりよろしくない。勝つのならば、僅差ではなく、圧倒的な差をつけて勝つのがよい。
そうすれば、相手は「もう少しだったのに」という悔しい思いや自責の念を持つこともない。それどころか、かえって清々しい気持ちで素直に相手の勝利を讃えることができる。
相手を辱しめるようなきわどい勝利や、微妙な勝ち方、遺恨を生むような勝ち方はよくない。それが勝利者のマナーというものだ。
(「ニーチェの言葉」から)
なるほど、ニーチェの言われるとおりだなと思う。
「相手に清々しい気持ちになって貰う」、それが「勝利者のマナーだ」と。私のような凡人には、なかなか浮かばない発想である。
言い得て妙、見事な「言葉」だと思う。
今回の米国大統領選、トランプが圧勝した。しかし、民主党側が勝利した数少ない一部の州では、潔くない動きがあると伝わる。米国を分断しようとするのは、トランプではないのだ。
話は国内政治に変わるが、高市早苗議員は、次回の自民党総裁選において、ぜひとも圧倒的な差で勝利していただきたい、そのように願って止まない。期待に応えていただけると確信する。
本日は、「友愛のつどい」の第1日目だ。参加者には、大いに楽しんで貰いたい。
久しぶりにネクタイを締めることになる。4月の総会以来だ。
(令和6年11月12日 3:59)
勝利に偶然はない
勝利した者はもれなく、偶然などというものを信じていない。
たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしてもだ。
(「ニーチェの言葉」から)
どんな勝利にも、その陰に努力の積み重ねがある。
勝利した者に素質があることは間違いないだろうが、そのことが勝利に貢献した割合というものは、全体からしたら大したものではない。
大きいのは、何と言っても努力の積み重ねである。そのことを心得ない者に、次の勝利は無い。
(令和6年11月11日 12時34分)
読むべき書物
私たちが読むべき本とは、次のようなものだ。
読む前と呼んだあとでは世界がまったく違って見えるような本。
私たちをこの世の彼方へと連れ去ってくれる本。
読んだことで私たちの心が洗われたことに気づかせるような本。
新しい知恵と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。
(「ニーチェの言葉」から)
どれもなるほどと思ってしまう。
「小学生のとき、中学生のとき、青春時代にと、その時々に読んでおくとよい本がある」とよく言われる。
私は、高校生までに読書の習慣をもてなかった。勉強・学習についても同様だ。机に向かったのは定期考査のときだけだった。遊びや部活動に明け暮れていた。それはそれで血や肉となっただろうが……。読書しなかったことは、悔やんでも悔やみ切れない、残念な気持ちで一杯だ。
大学に入って、それまでの悪習慣を断ち切るように、取り返すように貪り読んだ。だが、タイムリーという点では、取り返しのつかないことだった。
社会人となって仕事の面で遅れをとることは許されず、それなりに「学び」「研修・研鑽」にも注力した。そのかいあって、仕事において人並みに成果を上げることができたと思っているのだが。
ご存知のとおり、ニーチェはドイツの哲学者である。19世紀の後半に生き、20世紀の曙を前に没した(1844~1900年)。
哲学者だったが、難解で抽象的な事柄を説いた人ではなかった。この世における真理、善、道徳こそ大切だと説いた。つまり、今生きている人間のための哲学を打ち出した。私が学びを深めている『孔子』と相通ずるところがある。
ニーチェの名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからだろう。急所を突くような鋭い視点、力強い生気、不屈の魂、高みをめざす意志が短文で発せられるから、多くの人の耳と心に残るのだろう。この点でも『孔子』と似通っている。
「高校生くらいのときに、ニーチェの著作に出会えていたら……」と思ってしまう。これからも引き続き、ニーチェの言葉を紹介していく。
(令和6年11月11日 4:18)
活発だからこそ退屈を感じる
怠け者は、さほど退屈を感じることがない。なぜならば、感性が高く活発な活動を求める精神を持っているからこそ、ふとした時間に退屈を感じるものだからだ。
(「ニーチェの言葉」から)
「怠けてばかりならば、退屈を感じない」、そのとおりだと思う。退屈だという意識も分からないのでは。
しかし、多忙な生活の連続は充実しているようでもあるが、度が過ぎると大事なものを失ってしまうような気もする。適度に多忙で、うまく息抜きのできる生活を送れることが理想だろう。
自らの今を振り返るとき、まずまず理想に近い生活を送ることが出来ているように思える。幸せなことだ。
昨日は、地元支部の会報作成と「三生連 論語に親しむ会」の講義レジメの作成に多くの時間を割いた。両方とも、何とか仕上げた。本日最終チェックを行う。
今日から大相撲九州場所が始まる。貴景勝が引退したので若干気抜けしているが、王鵬の活躍に期待する。大の里は、黙っていても横綱に昇進して行くだろう。南河内照隅会(論語の勉強会・大阪狭山市)の例会なので、テレビ観戦は出来ない。帰りの電車の中で、ネット動画を観ることになる。
(令和6年11月10日 3:58)
反対する人の心理
提示された案に反対するとき、よく考え抜いたうえの確固たる根拠があって反対する人はごく少ない。
多くの人は、提案理由が述べられたときの調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するという事が多い。
このことから、多くの人を味方にできる方法が何かがおのずと分かってくる。
表現方法、説得の仕方、物言いの工夫という技術的なものも確かにあるだろうが、それらの上には技術では及ばないもの、つまり、意見を述べる人の性格や容姿、人柄、生活態度などがあるということだ。
(「ニーチェの言葉」から)
こういった経験をお持ちの方は多いのではないか。「多くの人は、その案や意見が述べられたときの調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するのだ」は若干極端だが、言わんとすることはよく分かる。
ものごとを提案するとき、このニーチェの言わんとするところを踏まえることは大事だと思う。煎じ詰めれば、日ごろから『德』を磨くことが求められるということだ。『德』は、「仁・義・礼・智・信」で言い表される。すべてに「仁」が元となる。「仁」とは、思いやりの心である。日ごろいい加減な言動に終始している者が提案しても、なかなか賛同は得られないだろう。
上に立つ者には、常に「率先垂範」が求められる。
(令和6年11月9日 4:02)
勝利に偶然はない
勝利した者はもれなく、偶然というものを信じていない。
たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしても。
(「ニーチェの言葉」から)
成功や勝利の陰には、必ずや「弛まぬ努力」があるだろう。たとえ天才と呼ばれる人であっても例外無く。偶々(たまたま)などということは無いのだ。
考えの足らない人ほど、「あの人は素質に恵まれているから、環境に恵まれているから」などと言ってしまう。
「努力に勝る天才なし」「オリンピックの覇者に天才無し」である。
(令和6年11月8日 14:26)
飽きるのは自分の成長が止まっているから
なかなか簡単には手に入らないものほど欲しくなるものだ。
しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間が経つと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。
すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。
(「ニーチェの言葉」から)
これも含蓄のある言葉だ。自分に言われているように思う。同感だと言われる方も多いのではないだろうか。 「自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる」、鋭い指摘だ。愚の値も出ない。「幾つになっても人間として成長し続ける」ことが求められる。分かっていても易くはないのである。
本日は、町役場 すこやか健康課の協力より、自治会館で「健康教室」の3回目が実施される。
今回は、体力測定やInbody 使用しての体組成の測定をして貰う。
一人でも多くの方に参加して欲しいが。
始めるから始まる
すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
(「ニーチェの言葉」から)
新しいことを始めようとするとき、誰もが躊躇してしまう。「失敗したらどうしよう」と思ってしまうのが常だ。
失敗したら、やり直せばよい。「やってみなはれ」の気持ちで、とにかく始めることだ。出会った生徒たちにも、そのように声掛けしてきた。積極的な姿勢を評価した。いつも、「失敗は成功の源」と考えるようにしている。ニーチェが言われるように、「始めなければ始まらない」のだ。
米国大統領選挙、トランプが勝利した。日本のマスメディアも例によってずっとトランプ叩きだが、私はトランプが勝つと確信していた。周りには、敢えて言わなかったが。
欠点も少なくない男だが、国際金融資本に抗うのはトランプだけだ。トランプにエールを送り続ける。
(令和6年11月7日 3:58)
理想への道筋を見つける
何か理想をもつだけではまったく足らない。理想への道筋というものを、まずはどうにかして自分なりに見つけることが肝心だ。そうしないと、自分の行動、生き方というものが、いっこうに定まらないままになってしまう。
理想というものをはるか遠くにある星のように自分と関係のないもののように眺めていて、自分が歩くべき道を知らないのは、悲惨な結果を生むことになる。悪くすれば、理想を持たずに生きる人よりも支離滅裂な生き方になってしまうことがあるからだ。
(「ニーチェの言葉」から)
私は目標や夢、希望などが多い人間だ。周りから「気楽別館」館長と揶揄される所以だ。ニーチェの言葉は、私に対して言っているようにも思える。
彼が言うように、実現への道筋をしっかりと定めなければならない。そして実現のためには、血の滲むような努力の積み重ねが求められるのだ。そうでなければ、高い志も「浮雲の如し」となってしまう。
目標や夢、希望の実現に向け、少しでも近づけるように努めたいと改めて思う。
本日は、「三生連 論語に親しむ会」の第139回の例会だ。今日は支部の行事と重なるなどで、欠席される方が多いようだ。人数に関係なく全力投球で臨むのは当然だ。
(令和6年11月6日 3:55)
無限の豊かさは自分にある
同じものを相手にしていても、ある人は一つか二つしか、そこから汲み出すことができない。このことはふつう、能力の差だと思われている。
しかし実は、人はそのものから何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。そのものに触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。
つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ。
(『ニーチェの言葉』から)
含蓄のある言葉である。
だからこそ、死ぬまで学び続けて自分自身を豊かにすることが求められるのだろう。
この「ニーチェの言葉」には、とても勇気づけられる。そう捉えられるということは、私もまんざら捨てたものではないということか。
(令和6年11月5日 3:55)
自分の家を建てる場所は
方々を旅して、自分に合った国を探すのだろうか。さまざまな土地を見て歩いて、自分の家を建てる場所をあれこれと探すのだろうか。
それよりも、力強くありながらも穏やかなところ、そこを自分の祖国として、その中に自分の家を建てるべきではないだろうか。都市の雑踏の中にいても、静寂の中であろうとも、力強くありながらも穏やかでいれば、ずっと安心していられるというものだ。
(『ニーチェの言葉』から)
あちらこちら見て歩き、終の棲家(ついのすみか)を建てる人も少なくないだろう。
私の場合は、配偶者の両親から子どもが生まれるに当たって、「近くに来たら子どもの世話も出来るよ……」の言葉で三郷町に住むようになった。
数年、一戸建ての借家(幸運にも新築)に住み、そして近くに70軒ほど建売住宅が建ち、そのうちの一軒を大きな借金をして購入した。27歳のときだ。
その後、現在の地に土地を購入し、家を建てた。32歳のときだ。住んでいた家は、購入したときよりも500万円ほど高く売れたものの、莫大なローンを抱えた。共働きだったから出来たのだ。
という訳で、住む場所をあちこち探し歩いた経験は無い。ただ田舎育ちなので、都会の雑踏の中では生活出来ない。
三郷町は緑豊かであり、現在地は少しだけ高台なので水害の心配もない。台風が近くを通っても、めったに暴風警報も発令されない。ただ、活断層が近くを通っているので、大地震の際は、壊滅的な被害を蒙るだろう。生きている間に襲われなくとも、将来被災することに疑いの余地は無い。
45年前に、活断層に係る知識はまったくなかった。みなさんも同じではないだろうか。
だからと言って、他所に引越ししようという気持ちは起こらない。「運命にまかせるしかない」という思いだ。今現在は、「心穏やかに」暮らせているからである。
(令和6年11月4日 13:46)
全日本大学駅伝
昨日の「全日本大学駅伝」は、国学院が10月の「出雲駅伝」に続いて勝利を勝ち取った。初優勝だ。
7区と8区(最終区)の国学院と青山学院の競り合いも見応えがあったが、テレビ画面に映ることは少なかったものの、駒澤の追い上げも凄かった。特にアンカー山川の走りは圧巻だった。驚いた。歴代2位(日本人最高記録)のタイムを記録した。
駒澤は2区の選手(1年)がブレーキとなり大きく出遅れたが、これがなければ局面は大きく変わっただろう。正月の箱根は、駒澤・国学院・青山学院の3強が争い、例年以上に熱い戦いになりそうだ。今から楽しみである。
3区を走った高校の後輩 東洋大の梅崎も、故障で十分に練習が出来ていない中、よく走った。箱根では、万全の走りを見せてくれるだろう。
53年前に出場した頃の事は記憶が薄らいでいるが、選手たちの走りを見て私もまだまださまざまな面で負けてはおれないなと思った。人生、「もうこれくらいで……」と思ってしまったら終わりである。最後まで最善を尽くしたい。否、尽くさなければならない。
(令和6年11月4日 5:11)
自分の「なぜ」を知れば道が見える
多くの方法論を読んでも、有名な経営者や金持ちのやり方を学んできても、自分のやり方や方法が分からない。これは当然のことで、薬ひとつにしても、その人の体質に合わない場合がある。他人のやり方が自分に合わないのは不思議なことではない。
問題はまず、自分の「なぜ」がちっとも分かっていないということにある。自分がなぜそれをやりたいのか、なぜそれを望むのか、なぜそうなりたいのか、なぜその道を行きたいのか、ということについて深く考えていないし、しっかりつかんでいないからだ。
その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だ。どのようにやるのかなんてすぐに分かってくる。わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない。もう自分の目で自分の道がはっきりと見えているのだから、あとは歩いて行けばいいだけになる。
(『ニーチェの言葉』から)、
このニーチェの言葉は、分かり易い。
自分が何を望み、どうしたいのかが分かれば、言い換えれば、何をめざしているのかがはっきりすれば、それに向って飽くこと無く努力を積み重ねればよいのだから。もちろん、なぜそのような目標を立てたのかが、はっきりしていなければならない。
この自らの目標をしっかりと定めるということが、簡単ではない。そういった意味に置いて、親や学校の教師の果たす役割は大きいと言える。
自らの教員生活を振り返るとき、生徒の心に火を如何ほどにつけられただろうか、目の前の子どもたちの将来に向け示唆を与えることができただろうかと、反省するのである。
(令和6年11月3日 3:53)
自分を知ることから始めよう
自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやり過ごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。
なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。
(『ニーチェの言葉』から)
「自分を知る」ことは易くはない。というか、ひじょうに難しいことだ。私自身にも言える。自分を知り得ていない。80歳になっても90歳になっても、「自分を知る」ということから逃げられない。「自分を知る」ということが大事であることを忘れず生きるならば、それでよいのだろう。
「自分のことは十分に分かっている」というのは、聖人と呼ばれる人だけだろうと思うのである。
本日は、「中之島図書館 論語塾」の例会だ。143回目である。
昨日、『論語講演会(1/25)』<定員80名>の受講申込が始まった。「本日の受講者の多くが申し込まれると有り難い」と思う。昨日の申し込まれた15名と合わせ65名くらいになるのが理想だが……。そのようにうまくは進まないだろう。結果は如何に。
(令和6年11月2日 8:52)
仕事を任せて貰えない人の特徴
あるところで、仕事の出来ない人の特徴について話題となった。
みなさん70歳以上、上は80歳半ばだったが、こういった年齢になっても、自分もあてはまるのではと心配されていた。裏を返せば、「まだまだ」ということだろう。
常に振り返ることは、幾つになっても必要である。
1 報・連・相(報告・連絡・相談)ができない
基本中の基本である。これが出来ない人が居ると、周りは困ってしまう。
チームで動いている以上、情報を共有しないと困ったことになる。
2 必要以上にプライドが高く、そして知ったかぶりをする
プライドが高すぎると、人のアドバイスを受け付けないことが多い。謙虚に学ぶ姿勢は、とても大事だ。
中途半端な知識で進めると、ときに取り返しのつかないことになる。
3 仕事の優先順位を理解しない、同じミスを繰り返す
その場の気分で、優先順位をつけてしまうと、納期が守れない。
なぜミスが生じたのか反省しないと、ミスを繰り返すことになる。そういう人に、成長は無い。
4 口ばかりで実践が伴わない、責任感の欠如
実践が伴わないと、信用・信頼を得られない。言い訳が多く、心からの反省が無い人には進歩は無く、重要な仕事は任されない。
思い当たる事があれば、すぐに改善することが求められる。心したい。
本日午前、「支部長会」を開く。
連絡・報告事項が、数多くある。
審議事項としては、今後の『総会』の在り方について検討する。
本日から、1/25開催の「論語講演会」の申し込みが始まる。
(令和6年11月1日 3:57)
朝起きたら考えること
一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないかと思索することだ。
その喜びは、ささやかなものでもかまわない。そうして、何とかこの考えが実現するように努めて一日を送ることだ。
この習慣を多くの人が見につければ、自分だけが得をしたいという祈りよりも、ずっと早く世の中を変えていくことだろう。
(『ニーチェの言葉』から)
明日は11時から「支部長会」を開く。開会前に、各支部に今年度の助成金を支給する。
(令和6年10月31日 4:56)
人を喜ばせると自分も喜べる
誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。
どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、私たちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ。
心にはいつも喜びを
利口であれ、そして、心に喜びを抱け。
できるならば、賢明でもあれ。
そして心には、いつも喜びを抱いているように。
これが人生で最も大切なことなのだから。
(『ニーチェの言葉』から)
本日から、「生駒郡生き生きクラブ連合会」の宿泊研修会だ。
鳥取県方面に、早朝から4町41名で向かう。
(令和6年10月29日 3:23)
搬入・展示作業
昨日の町文化祭「展示の部」の搬入・展示作業は、予想したとおり、体力的に過酷なものとなった。
同日同時刻に、県老連の指導者研修会(橿原市)があったため、本連合会では、6名が作業を担った。その内、私を除く5名が80歳以上、4時間にのぼる立ちっぱなしの厳しい作業、さぞかしお疲れになったことだろう。
昨年度の「展示の部」は、「閑古鳥の鳴くような寂しい状況」だった。「本連合会の手で何とかしたい」との思いに会員が応え150点以上の力作が集まった。だが、無理があったと反省している。
役員・顧問のみなさんに対して、申し訳ない気持ちで一杯だ。作業の途中、みなさんから弱音は聞こえてこなかった。大した方々の集まりだと、改めて敬意を表するとともに感服した。
本日から2日間、文化祭は開催されるが、一人でも多くの方にご来場賜り鑑賞していただくことを願って止まない。
(令和6年10月26日 3:26)
子曰く、先ず行う、其の言は而る後に之に従う。 (爲政第二)
(しのたまわく、まずおこなう、そのことばはしかるのちにこれにしたがう)
通 釈
孔子が仰った。「実行が先である、言葉は後でよい。これが君子というものだ」と。
解 説
子貢は利発で弁舌が爽やか、弟子の中で最も議論に強かったと言われる。この子貢に欠けている部分を、孔子がそれとなく指摘したのである。
政治に携わる君子の在り方を問う子貢に対して、孔子は初めから知識に頼った主張を行うのではなく、まず自分が その主張に見合った行動をしてから、その後に思想や理論の主張をすることが求められると説いた。つまり、言葉だけで有能さを示すような「弁舌の徒」では、社会からの信用や支持が得られ難い。
自分自身が民衆に期待することを率先垂範して行う。「有言実行」が必要だと言ったのである。
現代では、「有言実行」という言葉がよく遣われているが、これは「不言実行」から来ている。どちらにしても、行動が伴わなければ他者からの信頼は得られない。
衆議院議員選挙の真っ最中だが、投票率の低さは「選挙のときだけ耳障りのよい事を言っている」と思われていることも要因のひとつだろう。関心の低さにつながっているとも言える。
政治家のみなさんに「先ず行え、そしてブレるな」と言いたいのは、私だけではないだろう。
27日は町の文化祭、本日は「期日前投票」をする予定だ。
(令和6年10月24日 4:18)
自分の評判など気にするな ニーチェ
誰だって、他人から少しは立派だと思われたいものだ。だからと言って、気にして聞き耳を立てるのはよくない。
なぜなら、間違った評価をされるのはふつうのことだから。望むような評価をしてくれることなんかほとんどない。評判や評価を気にしてはならない。他人がどう思っているなんてことに関心を向けてはならない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれることに一種の快感を覚えるような人間になってしまう。「ニーチェの言葉」から
(令和6年10月23日 7:15)
人生を前向きに生きている人には、共通した「心がけ」のようなものがあるように思う。1~3に列挙してみた。
また、「意欲を喚起する言葉」としては、どのようなものがあるかと考えてみた。それが、4~7の四つである。
「前向きに生きたい」と思われている人にとって、少しでも参考になれば、望外の喜びである。
前向きな人
1 視野を広げ、「挑戦すること」を楽しむ
前向きな人は、常に新しいことを吸収しようとしている。これまでと違った分野の本を読んだり、異業種の人と付き合ったり、新しい場所に旅行したり、これまでと違った世界を見聞することで、視野が広がる。そうすると、ものごとを多角的に見られるようになる。困難な状況に遭遇しても、これまでと違った発想が生まれて、前向きに対処出来るだろう。
40年以上も前の話だが、劇作家の故井上ひさしが、「専門外の本を読むのが、本当の読書だ。『農耕と園芸』は愛読書のひとつだ」と何かに記していた。妙に感心した事を覚えている。
新しいことへの挑戦を恐れず、むしろ、それを楽しむようになる。失敗を恐れずにまずはやってみるという姿勢が、人生をおもしろくしていくだろう。
積極的に挑戦することで、たとえ失敗しても新しい学びが得られたと感じられる。その学びが、また次の挑戦につながる。好循環を生み出すことになる。
2 自らの成長を追い続け、マイナスな言葉は発しない
前向きな人は現状に甘んじることなく、より高みをめざしている。コツコツと努力を積み重ねることで成長を実感できると、自信を得られる。その自信がプラス思考につながっていく。
前向きな人は、言葉を選ぶ。マイナスな言葉は遣わない。例えば、「できない」の代わりに「どうすればできるかな」と言う。「無理」の代わりに「挑戦してみる」と言う。そのように前向きの言葉を遣うことで、気持ちも自然と前向きになる。
前向きな人は、多用でてんてこ舞いしていても「忙しい」とは言わない。「忙しい、忙しい」を連発する人で、仕事のよく出来る人に出会ったことがない。
3 学んだことはすぐに実践、自分のことは自分で決断
前向きな人は、「学んだこと、習ったこと」を、すぐに実践しようと努める。そうすることで、初めて自分のものになる。実践で理解が深まり、さらに学ぶ意欲も高まる。
前向きな人は、自分の「人生の主導権」を握っているとも言える。他人の意見に流されるのではなく、自分で考えて決断し実行する。周りの期待に応えるのではなく、自分が本当にやりたいことをやる。そのことで、責任感と共により強いやりがいを得られる。結果として、達成感や満足感を味わうことになる。
自分で決めて取り組んだことならば、結果が思わしくなくとも後悔が少ない。苦い経験も、つぎの決断に生かされることになる。
日々の小さな一歩の積み重ねが、人を「前向き」に変える。
意欲を喚起する言葉
4 死ぬ気でやれ、死なないから
「死ぬ気で」とは、「全力を尽くせ」という意味である。「死なないから」は、「例え失敗しても人生は続く」ということだ。つまり、「恐れずに全力で挑戦しなさい」と解釈する。
大事な事を前に、過度に緊張しているとき、「死ぬ気でやれ、死なないから」という言葉を思い出せば、「やってやろうじゃないか」と勇気が出る。「やってやろうじゃないか、俺がやらずして誰がやる」の気持ちは、大事だ。
5 諦めると他の誰かが勝利する。振り向くな、後ろに夢は無い
競争社会の厳しさを表しているが、マイナスに捉えるのではなく、自分を奮い立たせる言葉として受け止める。弱気で諦めそうになったとき、この言葉を思い出せば踏ん張れるはずだ。
過去にとらわれずに前を向いて進むことだ。「あの時あのようにすればよかった」などと後悔しても、時間は戻らない。大切なのは、これからどうするかという前向きな気持ちだ。
6 越えられない試練は無い。「で、どうするんだ」と自らに聞け
辛いとき、苦しいとき、この言葉を思い出すと心が軽くなる。今、直面している問題がどんなに大きく見えても、それはきっと乗り越えられる。そう信じることで、困難に立ち向かう勇気が湧いてくる。山よりでっかい獅子は出ないのだ。
失敗したときなど、落ち込んでしまいがちだ。そんなとき、自身に「で、どうする」と問いかける。諦めるのではなく、次の手を考えることが大切だ。
7 「できる」と信じること、流した汗は嘘をつかない
「自分はできない」と、やってみないで諦めていないか。「できる」と信じることが成功の第一歩だ。そうすれば、自然とその方向に向かって努力し始めることができる。その努力の積み重ねが、結果につながっていく。
例え、今すぐに結果が出なくても、コツコツと積み重ねた努力はけっして無駄にはならない。「泣いた数だけ幸せになれる」とも言える。
余談だが、小林旭に「泣いた数だけ幸せに」という歌がある。
いつかきっと花開く。それを胸に刻んで努めることが大事だ。「念ずれば花開く」である。
「名言」をただ聞いているだけ、読んでいるだけではダメである。自分の状況に当てはめて、実際に行動に移すことが大事だ。そうすれば、どのような困難も乗り越えられる強い心が育まれる。それを信じて、飽くこと無く務める。
(令和6年10月22日 3:55)
箱根駅伝の予選会
本日、第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の予選会が、に東京・立川で行われる。第100回大会で13校に拡大された本大会への出場枠は再び10枠に戻り、43チームが出場する。今回は東海大や中央大、日本大、明治大など43チームが出場する。
今年1月の本大会で10位以内に入ったチームはシード校として、すでに来年1月の本大会への出場権を手にしているため、予選会には出場しない。
スタートは9:35、9:25から日本テレビ系て生中継される。
(令和6年10月19日 7:56)
キンモクセイが咲き始めた。
早朝、外に出ると芳香を強く感じた。拙庭はもちろん、向いや隣にも植えられている。ラジオ体操の往き帰り、広場でも香りが漂っていた。
四季の移ろいを感じることの出来る日本に生まれて幸せだ。そして、海外から訪れる人々がこぞって、日本人の民度の高さに驚く。
今日は、昔のランニング仲間との昼食会で出かける。走れなく(走らなく)なったが、一緒に汗をかいた仲間との思い出は尽きない。旨いビールとなりそうだ。楽しい会になるだろう。
最高齢者は88歳だ。天気も何とかもってくれそうである。
(令和6年10月18日 7:44 )
近道をするな
『論語』の雍也篇に、次のくだりがある。
孔子の弟子の子遊(しゆう)が武城という所の代官であった時、孔子が子遊に「すぐれた職員を採用できたか」と尋ねた。
子遊は「優秀な者が居ります。彼はけっして小径に由りません(こそこそとしたりしません)。公事以外で私の部屋に入って来たりすることもありません(私的な事を頼みに来たりしない)」と答えた。
この章句に出会った時から、強く印象に遺る。私もそうありたいと心がけている。
「物事を成すに近道をするな。王道を進め。公私を混同するな。区別をはっきりさせなさい」ということであろう。
(令和6年10月16日 7:22)
子曰わく、先ず行う、其の言は而る後に之に従う。
(し のたまわく まずおこなう そのことばはしかるのちにこれにしたがう) (論語・爲政第二)
通 釈
孔子が仰った。「実行が先である、言葉は後となる。これが君子というものだ」と。
君子(くんし) 教養があり、徳を兼ね備えている人
小人(しょうじん) 教養はそれなりにあるが、徳の無い人。
解 説
子貢は利発で弁舌が爽やか、弟子の中で最も議論に強かったと言われる。この子貢に欠けている部分を、孔子がそれとなく指摘した。
「為政者である君子とはどういう人物なのか」と問う子貢に対して、孔子は初めから知識に頼った主張を行うのではなく、まず自分がその主張に見合った行動をしてから、その後に思想や理論の主張をすることが求められると説いた。つまり、言葉だけで有能さを示す「弁舌の徒」では、社会からの信用や支持が得られ難い。自分自身が民衆に期待することを率先垂範して行う。「有言実行」をすることが必要だと言ったわけである。
世の中には、言う(湯)だけの人が多い。これを「風呂屋の息子」と言う。率先垂範(そっせんすいはん)の人になりたいものだ。
(令和6年10月12日 10:40)
本日、本連合会の会報「矍鑠」第29号を発行した。
以下は、「巻頭言」だ。
ようやく秋が
厳しい暑さの続いた、今年の夏だった。朝夕随分と過ごしやすくなったが、日中は日差しもきつく、30度に達する日もある。
これから本格的な秋となる。11月末まで、「さわやか」という言葉が似あう日々が続くだろう。ただ、台風には要注意だ。三郷町は、有難い事に台風の被害が少ないが、油断は禁物である。過去には、浸水や風の被害も少なからずあった。「備えあれば憂いなし」の気持ちを忘れてはならない。地震に対しては余計に。
町の文化祭
今年度の町の文化祭は、10月26日、27日の両日、開催される。「展示の部」の三生連からの出展は締め切り後も少しあり、最終的に145点となった。出展された方には、心から御礼申し上げる。
ところで驚くことに、三生連からの出展申し込みは昨年度の約7倍に増えたというのに、町全体としては昨年度からさらに減少した。唖然とするばかりだ。教育委員会事務局は減った事に一切触れず、実行委員会でも何の説明も無かったと聞く。開いた口が塞がらない。行事を消化すればそれでよいと思われているのだろうか。そのような事は無いと思うが、盛り上がった行事にしようという意欲が感じられない。まさにお役所仕事、残念至極だ。「ふれあいフェスタ」は、あれ程の盛会となったのに……。
支部別の最終出展申込数は、次のとおりだ。
夕陽ケ丘45 三室14 信貴ケ丘17 東信貴ケ丘49 みさと1
明治13 緑ケ丘3 いわせが丘1
教室・同好会からは、「銭太鼓」と「論語」が。
ご多用とは思うが、会員の皆様には脚をお運び賜り、盛り上げていただきたい。
町の「敬老会」
町主催の「敬老会」は、9月14日に開催された。本連合会会員も、大勢参加されたと思う。私も来賓出席し、今回は、『祝辞』を依頼された。楚辞だったが、何とか無事務め終えた。「敬老会」での祝辞は、三生連(三老連時代を含めて)初めての事だった(内容は7頁に掲載)。せっかくの機会だったので、本連合会の宣伝に努めた。
16日の「敬老の日」前後、各支部でもいろいろと企画実施された事と思う。
秋のハイキング
恒例の秋のハイキングだが、『郡山城界隈』とする。先日下見も行い、近々、支部長を通して参加者を募集する。会報今号と一緒に支部長にお渡しする予定だったが、少し遅れる。日程だが、12月5日に実施する。一人でも多くの方にご参加いただきたい。春は雨に祟られたが、今回は……。
郡生連のカラオケ大会
恒例の郡生連のカラオケ大会は、11月28日に開かれる。大浦副会長とカラオケ同好会の新世話人代表の萬治理事が取りまとめを行う。出場希望者は、今月15日までにお申し込みを。
友愛のつどい
恒例の「友愛のつどい」を、11月12~14日の3日間にわたって開催する。楽しい会にしたいと、現在、準備に大わらわである。
支部長会
11月1日に、支部長会を開催する(詳細は別途連絡)。当日、開会前に今年度の助成金を交付する。
(令和6年10月9日 4:15)
秋 霖
ここのところ、雨が多い。秋霖(しゅうりん)だろうか。
秋霖というのは秋の長雨の事である。 霖には、3日以上降りつづく雨という意味がある。 秋雨・秋霖という言葉の響きには、人間が感じる気温の変化や体感的な意味を含む感じが伝わる。
随分夜明けが遅くなり、ラジオ体操に出掛ける前の庭いじりもままならなくなった。先日来始めた黒松の古葉落としは、雨で途切れ途切れにしか出来ていない。
町の文化祭(10/26~27)に出展予定の黒松盆栽などは、順調に仕上がりつつある。最後まで気を抜かず手入れに努めたい。
本日は、「中之島図書館論語塾」の142回目だ。80名の受講者とお会いできるのが楽しみだ。
(令和6年10月5日 7:28)
所信表明演説
本日午後、石破首相が衆参両院本会議で所信表明演説を行った。
野党党首からは辛辣な評価が述べられるのが常だが、今回は史上最低の評価となった。
立民代表「近代稀に見るスカスカ」
維新代表「ないないづくしだ」
国民代表「無味乾燥、かんでも味がしないガムのよう」
共産委員長「あまりの中身のなさに……」
れいわ代表「経済オンチで不況に逆戻り」
当然だろう。
(令和6年10月4日 19:02)
解散
敬愛する著名作家で、ジャーナリストでもある門田隆将(かどたりゅうしょう)氏が、今回の総裁選について次のように語っていた。「1回目の投票結果を聴いて、高市さんの勝利を確信した。古い自民党政治が終焉を迎えたと感無量の思いだったのに、あのような結果となりしばし呆然とした」と。私と全く同様の思いであったのだ。多くの方がそのように思われただろう。
親中・媚中内閣が誕生したが、9日に衆議院を解散10/27の投開票の方向だと。毀誉褒貶(きよほうへん)にあきれ返る。短命内閣で終わってほしいと願う。
(令和6年10月3日 20:32)
茶話会
自民党総裁選を受けて、昨日午後、隣町の喫茶店にて仲間7名で「茶話会」をもった。席を予約していたが、何と落ち着いた雰囲気の個室を用意してくれていた。厚遇に有難く思った。
大きめのカップのおいしいコーヒーを飲みながら、ホットケーキとサンドウィッチを食した。サンドウィッチがとても美味(噂に聴いていた)でボリュームもあり、とても満足した。
2時間30分にわたって心置きなく話をしたが、みなさん自民党の体たらく、他党の不甲斐なさを嘆き、我が国の行く末を案じておられた。ちなみに、料金は一人970円と超安価、とても得をした気分になった。またこういった機会をもちたいものだと思ったのは、私だけではないだろう。
(令和6年9月29日 7:22)
大関に昇進した大の里の月給は、横綱の300万円に次ぐ250万円である。
三役(関脇、小結)より70万円増。
その他の待遇だが、公務で海外渡航するときはファーストクラス。新幹線はグリーン席。車での場所入りは地下駐車場まで乗り入れ可。
化粧まわしも紫色が使える。処遇が跳ね上がるのだ。ちなみに、秋場所での大の里の懸賞金獲得数は、277本だった。総額、1662万円。そのうち、831万を現金で受け取った。残りは、退職金に積立てられる。
(令和6年9月25日 20:43)
どちらが昇進か
本日、日本相撲協会の番付編成会議が開かれ、結果は来月28日に正式に発表される。
東前頭7枚目で12勝を挙げて殊勲賞を受賞した若隆景(29=荒汐部屋)が、1年半ぶりの三役復帰する可能性がある。右膝前十字靱帯断裂の大ケガから復帰、名古屋場所の11勝に続いての好成績。大の里をもろ差しからのしぶとい相撲で破り、完全復活を印象づけた。
兄の若元春は西前頭3枚目で11勝を挙げており、来場所の三役復帰は確実だ。若隆景も上がれば、昨年夏場所以来9場所ぶりに兄弟同時三役が復活する。
西前頭2枚目で9勝を挙げた王鵬の新三役昇進も可能性は十分にある。星数の計算上では若隆景の方が上の番付となるが、上位総当たりの番付で9勝したことや、三役の座を争う一番となった千秋楽の正代戦を制したことを踏まえればこちらが優先される場合もある。
若隆景と王鵬、どちらが三役に上がるか、または3小結となるのか、興味深いところだ。
若隆景は好きな力士だが、貴景勝が引退した今、私の一番の贔屓力士は王鵬である。できれば、3小結となって欲しい。
(令和6年9月25日 8:39)
さらなる精進を
大阪狭山市で開かれている『論語』の勉強会「南河内照隅会」は、18年以上も続いている。その会で私も15年間、学びつつある。
塾長の山本正進氏は、間もなく89歳だが矍鑠と論じられている。『論語』講義にかける熱意と努力には、並々ならぬものがおありだ。その姿勢に感服している。大した方だ。「論語普及会」の監事でもある。
一昨日、その山本塾長から次のようなお言葉を賜った。『中之島図書館論語塾の盛会は、新聞でのご紹介も含め天下第一の論語塾です。講師の講義が素晴らしいのが第一の要因と思います。「仮名論語」の素読を力一杯お願い致します』と。受講者が増え続ける「中之島図書館論語塾」について述べられたものだ。身に余る賛辞である。
受講者は日本一になったが、「内容のさらなる充実に努めよ」との激励と捉え、さらなる精進に努める覚悟だ。
(令和6年9月21日 7:50)
健康教室
本日午前、支部の自治会館において、町の「すこやか健康課」が主管する「健康教室」が開かれる。年間3回のうち2回目、今日は「歯の健康」についてである。
会員外にも呼び掛けているが、参加希望は6名だった。おいでいただく「すこやか健康課」の方には、少ない人数で申し訳なく思う。
来年度は、「体力測定」「形態測定」のみお願いしようと思う。
(令和6年9月20日 7:44)
無知の知
無知の知(むちのち)とは、「自らの無知を自覚することが真の認識に至る道である」という意。
古代ギリシアの哲学者ソクラテス(紀元前469もしくは470年生)の遺した考え方を表している。無知の知とは、丁寧に言うと「私は、私がそれを知らないことを知っている」ということである。知ったつもりにはならずに、自分が未だに分からないことは分からないと認めるべき、という考え方だ。
「事実を前提に立てた仮説なのか、仮説を前提に立てた仮説なのかを混同すると話が根底から破綻してしまう」ので、知らないことは知らないと認めようという訳だ。ソクラテスは、他の人にも「実はあなたは知っているつもりになっているだけだ」と教えてあげようとした。
自分のことを過大評価せず、どんなときでも真摯に物事に向き合う様子は、豊かな知性を感じさせる。
哲学の分野には、「人はどう生きるべきなのか」、「正しい行いとはどういったものか」といった疑問について研究する「倫理学」がある。私の高校時代、「倫理社会」という科目があった。担任が「倫理社会」の担当だった。なかなかユニークな方だった。いい加減な生徒だったが「谷口よ、谷口よ」と可愛がって貰った。卒業してからも訪ねたが、亡くなられて久しい。
ソクラテスはこの倫理学の道を切り拓いた人だ。哲学史を語るうえで避けては通れない人物である。
議論を通して市民をより善くしようと望んだソクラテスは、著作を残すことはなかった。そのため、現代に生きる私たちがソクラテスの考えや人物像を読み解くには、プラトンなどの弟子たちが残した著作物をもとにするしかない。だが、弟子たちが描くソクラテスの姿はそれぞれ異なるため、本当のソクラテスの姿を把握することは難しいと言われている。
ほぼ同時代、中国に生きた孔子(紀元前551年生)は、『之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり』(『論語』為政第二)< 知っていることは知っている。知らないことは知らないと素直に言えるのが、本当に知るということだ>と何でも知ったかぶりをする弟子の子路を戒めた。
また、『之を知る者は、之を好む者に如かず、之を好む者は、之を楽しむ者に如かず』(〚論語〛雍也第六)<知る者は、好んで行う者には及ばない。好んで行う者は、楽しんで行う者には及ばない>とも言われた。
孔子とソクラテスの思想は、いずれも宗教ではなく、政治、社会の実践的な教訓として、東洋文化あるいは西洋文化の根本的思想に広く深く影響を及ぼしたという点が似通っている。
(令和6年9月19日 15:00)
聴衆を前に
およそ800名の聴衆を前に約40名の方の、短い人は20秒くらい、少し長いもので7~8分くらいの挨拶を連続して聞く機会があった。
過不足が無くよく練れた内容で、言葉がはきはきしているのだが一本調子ではなく、囁くように語ったり力強く訴えたりの抑揚がある。そして、所作も見事だというような方は、ごく少数だが居られた。
一方、中にはお粗末な挨拶を述べられた方も……。どうしてそのような差が出るのだろうか。もちろん、経験・場数の多寡も大いに関係するだろうが、煎じ詰めれば「準備に時間をかけているかどうか」、日ごろから「他者から学ぼうとする気持ちがあるかどうか」ということに尽きるのではと思う。
大いに参考になった集会であった。
(令和6年9月19日 8:55)
信頼を裏切る人
信用・信頼していた人に裏切られたという経験は無い。だが、世の中において、「人に裏切られた」という人は少なくないだろう。
信頼できる人を見つけるのは簡単ではない。「裏切る人」をちょっとした兆候から見つけることができれば、それに越したことはない。相手をよく観察して、怪しいと思ったならば距離を置くのが賢明である。一方、自身の言動を振り返り、抵触するものがあるならば改善が求められる。でなければ、人からの信用・信頼を得ることはできない。
ある人が「いつか裏切る人の特徴」について記していたのをご紹介したことがある。多くは的を得ていると思うので再掲する。
1 いつも自己中心の人
自己中心の人は、平気で約束を破ることが多くなる。ドタキャンも平気だ。共感能力が著しく欠如しており、相手の悩みを軽く扱う。他者の立場に立って考えることができない。
2 自分の利益のためなら手段を選ばない人
自身の目的達成のためなら、「何でもあり」といった調子で嘘もつく。今は味方かもしれないが、いつ手のひらを返すかも知れない。
3 立場によって態度を変え、小さな嘘を平気でつく人
自分の都合で。風見鶏のように態度を変える。目上には「はい、はい」と服従するが、目下には横柄な態度をとる。
いつも曖昧な物言いで、相手に対して胸襟を開かない。また、小さな嘘をつくことが常態化している人は、いつか大きな裏切りをするだろう。
4 被害者意識が強く、妬み心や嫉妬心が強い人
「損ばかりしている」「理解してくれない」といつも零す人は、自らの行動に責任をとらず、すぐ人のせいにする。信頼関係を築けない。
人の成功を素直に喜べない人は、あなたが成功した時に裏切る可能性が高い。
5 言い訳ばかりする人
非を認めることができない人は、課題の本質に向き合えない。いざというとき、あなたに責任を押し付ける。
6 金銭にだらしない人
金銭感覚がルーズな人は、お金に係わってトラブルを起こす可能性が高い。
(令和6年9月19日 8:25)
別格の識見と胆力
生駒郡が含まれる、衆議院地方区奈良県第2区選出の高市早苗議員が、自民党総裁選挙に立候補し、現在、選挙戦(9/27投開票)を戦っている最中である。
いじめとも思われる、NHKはじめマスメディアの偏向報道にも拘わらず高市議員は善戦し、直近の各種アンケート調査では、当選に向けかなり善戦しているとの事である。トップに立ったとの分析もある。
奈良県から初の、女性初の総裁、総理大臣の誕生かと、期待が日一日と膨らむ。
しかし、予断は許されない。陣営は慢心せず、油断すること無く、戦わねばならない。あと一週間以上もあり、形勢は日々揺れ動くと思われる。
私は何度も高市議員の挨拶や演説を直接聴いているが、現在の政界において比類なき勉強家であり、政策通である。胆力がある。テレビ報道などを通じて、みなさんも同様の感想をお持ちになっているのではないか。他の候補者とは、識見においても読経のよさも別格である。「首相となっても靖国神社の参拝は続ける」と明言している。当然の事なのだが、歴代首相は実行できていない。それを毅然と言える高市議員は、大したものだ。総理・総裁になれば、日本の新しい舵取り役として大きな実績を残すことは間違いない。
ぜひとも当選を果たしていただきたいと願うのである。
(令和6年9月18日 4:23)
『論語』と出会って60年、学び始めて30年となる。縁あって講じるようになって、9年が経った。講義回数は、640回超である。本連合会でも「論語に親しむ会」を開講し、18日の例会は136回目となる。「論語指導士」の資格も取得した。『論語』に係る著書は6冊を数え、そのうちの一冊は、年末までに「英訳版」で出版される。
『論語』は、孔子とその弟子たち、孔子と当時の為政者との言行録である。古代中国の知恵を今に伝える重要な文献だ。キリスト教の「聖書」と並び、世界で最も読まれている書籍だと言われる。その教えは単なる理論で終わらず、実生活で実践することによって真価を発揮すると思う。
『論語』の教えをどのように日常生活に取り入れるかについて考えてみた。
1 仁の実践と知の重視
『論語』の中心概念である「仁」は、他人に対する思いやりや親切心を指す。困っている人に助けの手を差し伸べることは、「仁」の実践だ。これにより信頼関係が築かれる。
孔子は「学ぶことの重要性」を強調した。先人に学ぶとともに、新しいことを学び続ける姿勢を持つこと、死ぬまで自己啓発を行うことが大切であると説いた。これにより自己成長が促進され、「人生の質」が向上する。
2 礼儀の尊重と「忠」の精神
『論語』では、礼儀や礼節の重要性が繰り返し強調されている。例えば、挨拶の励行や感謝の気持ちを忘れずに表すことである。これを実行することで、人間関係が円滑になり、社会的な信頼を得ることができる。為政者は、「徳治政治」をめざさなければならないが、孔子の持論であった。
「忠」は、忠誠心や誠実さを意味する。仕事に対する責任感を持ち、約束を守ることである。これにより、周りから信頼される人間が増え、活力ある組織となる。
3 学びと反省
孔子は「過ちを犯したら、それを正すことが大切」と述べている。うまくいかなかったとき、失敗したとき、きちんと振り返ることが大事である。そして、次に活かすことが求められる。成長へとつながり、次回はより良い結果を出すことができるだろう。
4 中庸の精神
「中庸」は、極端を避けバランスの取れた行動をすることを意味する。例えば、仕事とプライベートのバランスを取ることも大事であり、これにより心身の健康が保たれ、長期的に安定した生活が可能となる。
5 自己修養と継続的な努力
『論語』では、自己修養の重要性が強調されている。「向上心」を保ち、毎日一定の時間を瞑想や自己反省に費やすことも大事である。これにより、内面的な成長が促され、精神的な安定が得られる。
孔子は、「継続的な努力が成功の鍵」と述べている。目標を設定し、それに向かって日々努力を続けることである。努力の継続により、目標達成が現実のものとなる。達成感は、さらなる意欲をかきたてる。
6 公正・公平と人間関係の調和
『論語』では、公正と公平を重要視している。例えば、組織内での評価を公正に行い、差別をしないことだ。そのことにより、組織内モラルが向上し、全員が安心して役割を果たす環境が作られる。「先ずは他者を立てる」という望ましい組織風土が醸成される。
孔子は、人間関係の調和を重視した。現代に置き換えると、家族や友人との関係を大切にし、常に感謝の気持ちを伝えることである。これにより堅固な絆が築かれ、困難な時にも支え合うことができる。
『論語』の教えは、古代中国の知恵だが、現代社会においても多くの示唆を与えてくれる。仁や徳、中庸などの教えを日常生活に取り入れることで、より豊かで調和の取れた生活を実現することができる。
これらの教えを実践することで、自己成長を促し、周囲との良好な関係を築くことができるだろう。『論語』の知恵を活かしたいものだ。
(令和6年8月16日 4:56)
町の「敬老会」が開かれ、昨年よりかなり多いおよそ800名位の出席者の中、町長・町議会議長に続いて「祝辞」を述べた。
副会長お二人と会計のお三方が最前列と三番目に陣取り、チェックと写真撮影をして貰った。写真については、届き次第、本欄にも掲載する。
出来具合としては、65点くらいか。落第点は何とか免れたが、孔子の言われる「衰え甚だし」である。『論語』の講義も月3回続けているし、もう少しうまく話せると思ったが、反省しきりといったところだ。
内容は、下記のとおりだ。
途中、原稿は見ない。ゆえに、微妙に順番が違ったり、アドリブが入ったりすることがあり、話したそのままということではないが、欠落した部分は無いと思う。
みなさん、こんにちは。三郷町生き生きクラブ連合会の谷口です。
只今は、木谷町長と辰巳町議会議長のお二人から、丁重なるご祝辞を賜りました。私も三郷町に住む高齢者の一人として、お二人に厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
また、町議会議員の皆様なども大勢ご臨席賜っております。日頃から町長・議長と共に、高齢者福祉の振興に尽力いただいています事、心から感謝を申し上げます。
今日は私も祝辞を述べる立場です。改めてお祝いの言葉を申し上げます。
みなさん、本日はまことにおめでとうございます。ご出席の皆様の「ご長寿」を心からお慶び申し上げます。本日ご出席の方の中には90歳代はもとより、百歳を超えている方も居られるでしょう。ますますのご健勝とご多幸をお祈りいたします。
さて、「生き生きクラブ連合会」と申しました。本日は会員の方が数多く出席されていますが、一方、「生き生きクラブ連合会」とはどういった団体だろうと思われた方も少なくないと思います。この場をお借りして、説明がてら少し宣伝させていただきます。「生き生きクラブ連合会」は、以前は「三郷町老人クラブ連合会」と称しました。国・奈良県・三郷町公認の60歳以上男女の親睦団体です。「生き生きクラブ連合会」と変えて六年になります。略称は「三生連」、「三生連」です。
「町の敬老会」がいつ頃から始まったかは存じませんが、恐らく、50年以上前からでしょう。私共「三生連」の歴史も結構古く、設立から60年以上が経過しました。ですが、「町の敬老会」で会の代表が「祝辞」を述べるのは、今回が初めてです。担当の長寿介護課のご配慮に感謝を申し上げます。
ところで、「生き生きクラブ連合会」には、さまざまな「同好会」や「教室」があります。運動系としては、ゲートボール・グラウンドゴルフ・水中ウォーキング・健康体操・ラジオ体操・ウォーキングなどがあり、文化系としては万葉集・論語・習字・カラオケ・銭太鼓・詩吟などです。それぞれ元気に活動しています。
年間行事としては、春と秋のハイキング、社会見学会などもあります。11月には、80歳以上の方を福祉保健センターにお招きし、昼食を摂りながらの、歌あり踊りありの会「友愛のつどい」を開いています。毎年、約200名の方が参加されます。その他、県の老人クラブ連合会や生駒郡連合会の行事にも積極的に参加していますし、各支部でも独自の行事を開きます。
現在の会員数は、725名です。町内の60歳以上人口からすると少ないです。70歳くらいまで働くようになったことが、一番の要因かなと思います。また、地域ごとにあった支部の減少も大きいです。そういった状況を踏まえ、支部の無い地域にお住まいの方や、支部には属さずに活動したいという人のために、本部に直接入会できるようにしました。
みなさん、友人や知人が多いという事は何かと心強いものです。この機会に、ぜひ「生き生きクラブ連合会」にご入会ください。ご一緒に活動しましょう。入会案内のチラシを、福祉保健センター内の社会福祉協議会に置いています。窓口で、「「三生連」の入会案内を」とお伝えください。
最後に、皆様方全員のますますのご健勝とご長寿を祈念申し上げまして、私の「祝辞」といたします。宣伝が長くなりました事、お許しください。
ありがとうございました。
(令和6年9月14日 12:07)
本日は、町の「敬老会」が町の体育館で開かれる。いつ頃から開かれるようになったかは定かではないが、恐らく50年以上前からだろう。これまで本連合会の代表が挨拶(祝辞)を述べるという事は無かった。
対象は70歳以上であるし、コロナ禍では取り止めとなっていたので、私の出席は令和4年からだ。祝辞を述べるのは「町長」と「町議会議長」のみであった。三生連の会長の祝辞があってもよいのにと思ったが、そういった慣例なのだろうとも思った。
昨年の「敬老会」が終わった後、しばらくして、当時三室の支部長であった中尾謹三氏から次のようなお話があった。
『町の敬老会に初めて出席したが、三生連会長の挨拶が無かったことに違和感を覚えた。当然あるものだと……』
それを聞き、私と同じように思われている方も居られるのだなと。今年6月、「敬老会」を担当する長寿介護課の若い職員が、他の用事で本連合会の事務所に来られた。そのときに『挨拶(祝辞)』の件を出すと、「私は分からないのです」と仰られたので、「機会があれば上の方にお伝えください」と。その後、特に何も回答はなかったので、有耶無耶になったのだろうと思っていたら、8月26日付の文書で来賓出席と併せて「祝辞」の依頼あった。若い職員は、きちんと伝えてくれたのだなと感心した。
そういった経緯で、本連合会としては初めて「祝辞」を述べることになった。恥ずかしくないものにしなければと思う。6時間後である。
(令和6年9月14日 4:24)
豊昇龍の失態
大相撲秋場所、王鵬が昨日に続き大関を撃破した。それも堂々たる相撲内容で。大鵬の孫であり、貴闘力の息子である。
埼玉栄高校を卒業後、入門以来ずっと私は応援して来た。だが、ここ一番で人のよさが出てしまうのか、期待外れの事が多かった。しかし、恵まれた体と時折り見せる力強さに、いつかはの思いで声援を送り続けていた。昨日今日の相撲は、花が開きかけて来たことを表した。まだ一気にということはないだろうが、今場所は勝ち越して来場所は三役への期待を否が応にも抱かせる。
ところで、王鵬に投げられた豊昇龍は、前代未聞の失態を演じた。相撲を取り終えた後、互いに礼をして敗者は土俵を下りる。当たり前の所作である。豊昇龍は礼をしないで土俵を下り、花道を帰りかけた。行事は止めたと思うが、聞こえなかったのか。呼び出しにも呼び返され、土俵に上がって礼をやり直した。この間、10秒以上の無駄な時間が流れた。
一場所に一度くらい、負けた力士がきちんと礼をしないで下がろうとして行事に呼び止められるという事があるが、数歩にしても花道を帰り始めるとは、開いた口が塞がらない恥ずかしい行為である。それも、大関ともあろう者が。私が協会理事長であれば、師匠共々呼び出し厳重注意を与える。豊昇龍は、大いに反省すべきである。
テレビで相撲観戦するようになって65年以上になるが、このような失態を眼にしたのは初めてのことだ。
(令和6年8月13日 19:25)
人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり(ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり)〚『論語』学而第一〛
「人が自分のことを知ってくれないなどと思い患わず、自分はどれくらい人のことを知っているのだろうかと反省してみなさい」という意。
『論語』の冒頭「学而第一(がくじだいいち)」の最後に置かれた章句である。
孔子の控えめで慎み深い謙譲()けんじょうの精神の結実として知られる、最も有名な論語の章句の一つである。
学問に励んでその成果を他人に認めて貰いたい、人徳を高めてその業績を社会に認めてもらい、輝かしい立身出世を果たしたいという気持ちは分かるが、孔子は、自分の価値や能力を認めて貰いたいのであれば、まずは自分の周囲にいる優れた人物の価値を認めなさいと説いた。
また、この章句は、能力と意欲があるのになかなか立身出世(高位の役職への仕官)を果たせない弟子たちの、焦りと不安を和らげるための孔子の気遣いであったとも言われる。どちらにしろ、とても含蓄のある言葉だ。
(令和6年9月12日 4:15)
失態
昨日、貴景勝は引退表明をしなかった。昨日から休場となった。
複雑な思いである。
昨日の結びの一番、琴櫻と翔猿との一戦は、明らかに翔猿の勝ちであった。物言いさえつかなかったのは、失態である。
(令和6年9月11日 8:25)
昨日午後行われた高市早苗氏の自民党総裁選出馬表明の会見を、テレビ中継で始めから終わりまですべてを視聴した。
結論から言うと、陳腐な表現だが感動を覚えた。圧巻と言わざるを得ない。完璧と言ってよい内容だった。次の総裁・総理はこの人しか無いの意を強くした。
内政・外交・防衛・経済などすべてに精通しており、原稿など見ないで自らの言葉で語った。今、与野党を通じて、そういった政治家は彼女以外は皆無だ。その言葉の一つひとつに信念が感じられる。仕事が趣味だと言い切っている。孔子は、『論語』の中で「自分ほど学んでいる者は居ない」と言われた。高市氏もそういった心境なのだろう。
これまで弱いと言われた「拉致被害者を救う」件についても、力強く応じた。また巷間、揶揄される「人付き合いの希薄さ」についても、余裕の感じられる応え方をした。約30分にわたる記者からの質問に対しても、何ら動揺すること無く毅然と一つひとつ落ち着いて答え、終始笑顔を絶やさず余裕が感じられた。小泉・石破・河野らとは、ものが違うことを改めて証明した。
一部では、党員票において石破が圧倒するのではとか、小泉・小林の若手が強いなどの声もまことしやかに聞こえて来るが、高市が他の候補の後塵を浴びることは無いだろう。全国各地で開催中の「個人講演会」は、何処の会場でも満杯だと聞く。
12日の告示後、立候補者全員による討論会などが何度かもたれるが、その度に高市氏の存在が際立つだろう。史上最多の立候補者数になることは必至、決選投票になるだろうが圧勝するのではと予想する。
女性初、奈良県から初の自民党総裁、総理大臣の誕生が、いよいよ現実味を帯びて来た。
(令和6年9月10日 4:00)
朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。
平成29年3月15日 参議院予算委員会でのやり取りで、
「人が生きる上で1番必要なものは空気だと思います。2番目は何だと思いますか」という山本太郎議員の問いに対して、麻生太郎国務大臣(副総理)が「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」と切り返した。
推測だが、事前通告無しの質問だったのではないだろうか。これは、麻生の実に見事な「返し」だ。
麻生は首相時代、国会答弁で漢字の読み間違いをして評判を落とした。一国の首相が……」と揶揄されたが、この切り返しで取り返したとも言える。
朝、希望をもって目覚めることは、新しい一日を前向きに迎えることを意味する。朝には、新しい可能性や新しいチャンスが訪れると期待することが望ましい。
昼には、懸命に働くことが求められる。仕事や学業、家事などに全力で取り組むことが、充実した人生を送るために欠かせない。
そして夜は、感謝と共に眠ることが大切だ。一日の終わりには、自分が達成したことや、周囲の人々が支援してくれたことに感謝することが、幸福感を高めることにつながる。
つまり、この言葉は前向きな態度で一日を有意義に過ごし、感謝の気持ちを忘れずに生きることの大切さを示している。
この章句の出典には、さまざまな説がある。有力な1例としては、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの哲学書『自省録』の中で、「何をすべきか」という問いに対して、
「朝、起きた時には自分が目的を持っていると確信し、一日を勤勉に過ごし、夜は、自分が努力をし、誰かのために尽力したことに感謝しつつ、安らかに眠るべきである」
と記されていると。
また一説には、アメリカの実業家エルバート・ハバードが1904年に出版した『A Message to Garcia』という小冊子の内容が、この章句の元になった可能性があると。我が国では、明治の官僚・教育者であった大森房吉の『三愿堂日記』に似た言葉が見られ、この言葉が日本で広く知られるようになったとも言われる。
しかし、どれも確定的な根拠はない。
解釈も様々である。以下が代表的な解釈だ。
1 積極的に生きることを促す
この言葉は、毎日を前向きに生きるためのモットーとして解釈されることがある。朝、新たな一日を迎えることに希望を持ち、昼は全力で仕事に打ち込み、夜は一日を振り返り感謝の気持ちを持って眠ることで、毎日を意味あるものにしようという意味が込められている。
2 謙虚さを重んじることを促す
この言葉は、自己満足や傲慢さを避け、謙虚さを大切にしようという意味が込められていると解釈されることもある。
朝、希望を持つことで自分自身を励まし、昼は懸命に働くことで自己満足や傲慢さを避け、夜は感謝の気持ちを持って眠ることで謙虚さを大切にしようという意味だ。
3 美しい一生を送ることを促す
母親の身体から元気に産声を上げて生まれ→「朝、希望を持って目覚め」
大人になり仕事、恋人、家庭、遊びなど様々なことに一生懸命になり→「昼は懸命に働き」
命尽きるときは多くの人に感謝し、感謝されながら安らかに眠る→「夜は感謝とともに眠る」 Y画【国会】麻生太郎のしびれる名言「生きる上で大切なこと」のコメント欄より抜粋。
以上のように、「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」という言葉には複数の解釈があるが、どのように解釈するかは人それぞれだろう。
前向きな姿勢・態度で一日を有意義に過ごし、感謝の気持ちを忘れずに生きたいものだ。
(令和6年9月5日 4:10)
庭は、私の命
「庭いじり」という趣味を持てて幸せだ。植木や盆栽たちの世話をしていると、心が晴れる。次から次とやるべきことがあり、ボケる暇がない。手をかければかけるほど、成果が……。
生まれ育った故郷は僻陬の地だったが山紫水明。父も母も花づくりなとを楽しみ、夏場は私も水遣りの手伝いをした。幼少のときからこれまで、環境や巡り会った人にもに恵まれた。
社会人になって下宿したのだが、その家主ご夫婦がサツキの培養を熱心にされていて、庭には鉢植えのサツキが所狭しと並んでいた。植え替え時はお二人で、夜中まで精を出されていた。特にお手伝いしたということは無かったが、大いに影響を受けた。
23歳という若くして結婚した。義父はサラリーマンでまだ勤めておられたが、畑や庭いじりをされていた。長女が生まれるに当たって、義父母の家の近く、三室の借家に住んだ。借家にも3坪くらいの庭があり、義父のアドバイスの下、庭いじりを始めた。その後、27歳でローンを組み、同じ三室で建売の家を購入した。土地が64坪あり、一から庭いじりを始めた。ここでも、義父がいろいろと世話をやいてくれた。サツキの培養を始めたのもこの頃だ。庭や盆栽などに係る書物も、貪り読んだ。
その後、東信貴ケ丘に土地を求め、自らの設計で新築した。早いもので、あれから40年と8カ月になる。資金の上で親を頼らず、莫大な銀行ローンを背負った。33歳のときだ。建売の家は、購入したときよりも高く売れた。妻もフルタイムで働いていたので、大きなローンが組めたのだ。
土地は90坪で、家が完成する前から庭の設計にも取り組んだ。家づくりも庭づくりも人任せにしなかった。登記まても自分で行った。庭の景石の配置の一つひとつまでもである。毎月の多額のローン返済、しばらくは大変だったのだが、自分で決断した事、苦にはならなかった。
給料がどんどん増えるいい時代に勤めることができたので、50歳を前に借金は完済できた。庭いじり以外でも、トライアスロンとか登山だとか好きな事をやって来たのにである。運がよかったし、何より妻の力が大きい。
現在、庭は若い時に思い描いたものに限りなく近づいた。何度も記しているが、手入れで業者の手を煩わせた事は一度も無い。それが自慢だ。出来上がった成木を植えたのは僅かで、苗木から育てたものが多い。毎年、多くの時間をかけて手入れに努めた黒松も、年々、樹格を上げている。昨年、今年と、特に樹勢がよい。自らが手入れをするから余計に愛着が涌く。
暑い夏だったが、拙庭の樹木や盆樹の生育は順調だ。町の文化祭に盆栽を出展するが、鑑賞していただく方に喜んで貰えそうだ。
「庭は私の命」だと思っている。
(令和6年9月5日 4:39)
人生を変えるかも知れない名言➆
〇変化を望むならば自らが変る事だ
自分が変わることで、人間関係や仕事、そして世界が変わっていくのだ。自分の理想とする姿を目指して、日々行動することが大事である。
人生を変えるかも知れない名言⑧
〇心配するのは時間の無駄、心配は問題解決の邪魔
心配することに時間を浪費せず、成功に向けて何をすべきかに思いを巡らすことが大事だ。方略が定まれば、実現に向け邁進するだけだ。迷わず、ブレずに。
(令和6年9月4日 19:25)
習近平の失脚
習近平が失脚したのではないかと言われ始めて、かなりの日数が経過した。私を含め、誰もがこれまで何度も騙されて来た。がしかし、今回は疾病など何らかの理由で采配を振るえなくなったのではと喧(かまびす)しい。
先日も本欄に記したが、「今度こそ間違いない」と確信に近いものがあった。
この3週間くらいの中国国内の報道を注目する限り、「習近平礼賛」の記事がほとんど見られなくなったと。こういった状況から間違いなく、少なくとも習近平の指示のもとに中国共産党は動いていないという状況が明らかだ。集団指導体制に入ったと思われる。
日本のマスコミは依然として報道しない。日中国交回復のときに約束させられた「北京に支局を置くのであれば、中国に不利なことは報道しない」を頑なに守っているようだ。
体たらくも甚だしい。
習近平が退任したとしても(実際は、しばらくは役職等はそのままでいくと思われる)、中国共産党が崩壊しない限り大きくは変わらないだろう。
今、中国の経済はガタガタである。多くは、習近平の無策に起因する。経済成長率も随分前からマイナス成長になっていると思われるのに、3~4㌫の成長と嘘ばかりついている。さまざまな指標から、プラス成長を遂げているなどは考えられない。一説によれば、中国の人口は11~12億まで減少しているとも。随分前にインドに追い越されていると言われる。であるのに、日本のマスコミは、中共が発表する数字をそのまま報道している(分からないはずはないのに)。
引き続き、今後の中国の動向に注視する。
(令和6年9月4日 17:30)
人生を変えるかも知れない名言➄
〇思ったとおりにはならないし実行しなければ何も成就できない
思いどおりにならないことが多いが、行動しなければ何も変わらない。
諦めずにまじめに努める中で仲間も増え、めざす目標が見えて来る。
徳は孤ならず
人生を変えるかも知れない名言➅
〇反省があれば人は少しずつ向上する
「欲望」「怒り」「愚痴」などの煩悩に、私たちは振り回される。それを薄めるのは、「反省」である。反省の無いところに「進歩」は無い。
吾れ日に我が身を三省す
(令和6年9月4日 4:08)
人生を変えるかも知れない名言➃
〇努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を述べる
努力する人は未来に希望を託すから何事も全力で務める。不満ばかりの人は、努力せず、現状を変えようとしない。小さな積み重ねが、大きな変化を齎(もたら)すことに気づかない。
(令和6年9月3日 19:48)
人生を変えるかも知れない名言➂
一緒に居て楽しい人よりも離れると寂しくなる人を友として選べ
傷を嘗めあうような友よりも、ときに厳しい意見を述べる友、離れるとすぐに思い出すような人を友として選びたい。そのような友こそが、真の友人と言えるのではないか。
長期的に信頼できる関係を築くことが大事だ。
朋遠方より来るあり、また楽しからずや
(令和6年9月3(日)) 4:15
人生を変えるかも知れない名言➁
〇失敗しなかった一日は何もしなかった一日
できることなら失敗はしたくないと思う。早く成功したいと誰もが思う。しかし、世の中、そう甘くはない。
失敗を恐れては、何も始まらない。果敢に挑戦する事で道は開ける。「念ずれば花開く」の気持ちを忘れず、「百折不撓(ひゃくせつふとう)」の精神で生きることが大事である。
(令和6年9月2日 17:24)
人生を変えるかも知れない名言➀
〇数多く失敗し失敗から常に何かを学んできた人が一流に近づく
成功した人は、そこにたどり着くまでに多くの失敗をして来たはずだ。「失敗は成功の源」と失敗を恐れずに挑み続ける姿勢が、一流へと、成功へと近づく道となる。
That`s why it`s important to keep challenging yourself, and creates new valuws.
(令和6年9月2日 9:10)
見直したい関係
ネットでの情報だが、ある方が「すくに付き合いをやめたほうがよい」「縁を切ったほうがよい」だろうという人について記していた。共感するものが多かった。
すぐに縁を切ってしまわないまでも、注意して付き合い改善がなされないようだったら決断もやむなしだろうと思った。
私なりに編集してご紹介する。
〇困った時にだけ連絡してくる人
お互いを大切にする関係ならば、都合の良い時だけ連絡してくるという事は無いはずだ。このような関係は、長く続かない。
〇苦労を大袈裟に話す人
誰もが何がしかの苦労をして今がある。相手のことはほとんど考えていないと思われる。自分の苦労ばかりを話す人とは、距離を置いた方が得策だ。
〇不機嫌をぶつけてくる人
どう考えてもこちらに非が無いのに、八つ当たりされるのはとても辛い。感情を制御できない人とのつきあいはやめるべきだ。
〇奢られて当たり前と思う人
感謝の念の薄い人との関係は疲れる。奢って貰ったら、次は奢り返す。対等な関係を築きたい。
〇時間を奪って平気な人
時間にルーズな人から自分を守りたい。時間を守るのは、誠実さの表れである。
〇一緒に居ると疲れる人
楽しかった、元気を貰えたという関係が理想である。
〇話を最後まで聞かない人
相手の話を遮る人との関係を保つことは、とても難しい。
〇可能性を否定してくる人
人生は長くはない。毎日を明るく生きたい。前向きな人と共に時間を過ごしたいものだ。
人間関係は、お互いを高め合うものであることが理想だ。一度きりの人生、友人関係は常に切磋琢磨する関係でありたい。
エネルギーを奪われるばかりの関係は、早めに見直す必要がある。
(令和6年9月1日 13:52)
忙しい
「忙しい、忙しい」とすぐに口にする人が居る。そのような人で、仕事や作業がよく出来る人に私は出会ったことがない。
私は自らの事で、「忙しい」とは口にしない。「それを言っちゃ、お仕舞だよ」くらいに思っている。45年以上、実践している。もちろん、他者には、「お忙しいでしょう」とは使う。
「忙」は、心が亡ぶと書く。
辞書を引くと、
1 急いでしなくてはならない事に追われている。する事が多くて休む暇もない。多忙だ。
2 落着きがなく、めまぐるしい。せわしく立ち働くたちだ。
とある。
世の中では、「いつも忙しそうな人」とかなり仕事量は多いはずなのに「余裕がある(ように見える)人」がいる。両者にはいったい、どのような違いがあるのだろうか。
常に忙しそうにしている人の中には、「忙しいことは仕方のないこと」と思い込んでしまっているケースもある。もしくは、「忙しくても、自分には改善すべきことはない」と思い込んでいるのかもしれない。しかし、「忙しさ」は行動と思考の工夫で改善できる可能性があるように思う。
常に余裕を持って動ける人は、どの作業がどれだけ時間がかかるのかを正確に把握できる。そのため、スケジュール通りに行動をすることができ、バタバタとしてしまうことが少ない。一方、忙しいと感じる人は作業に要する時間を正確に見積もることが苦手で、たとえスケジュールを立てても、一つひとつの仕事に想定以上の時間がかかってしまう。結果、どんどん慌ただしくなってしまう。
余裕のある人は気持ちにゆとりがあるため、周囲の状況を冷静に把握することができ、周囲に気を配るのが得意である。また、気配りができることで周囲からの信頼を得られ、ゆとりがなくなったときには周囲の方から協力をしてもらうことができる。一方、忙しいと思っている人は自分のことだけで手一杯となるので、周囲のことまで気にすることができない。自部勝手と思われ、信頼を得られない。
余裕のある人が時間通りに作業をこなしていけるのは「やるべきこと」と「そうでないこと」を的確に見極めることができ、物事の優先順位を正しく判断できるからだろう。一方、常に忙しいと感じる人は優先順位の低いことまで「やるべきこと」と判断してしまいがちだ。気がつくと「やるべきこと」が溜まってしまい、結果として忙しくなってしまうことになる。
余裕のある人は、優先順位を正しく判断し「やるべきこと」に集中できる。一方、忙しいと感じる人は一つのことに集中できず、あれもこれもといろいろなことに手を出してしまいがちだ。また、忙しいと感じながらも「自分は作業が出来る方だ」と思い込んでいる場合には、次々と新しい予定を組み込んでしまい、さらに集中できなくなっていく。
余裕のある人でも、もちろん失敗をすることはある。ただし、失敗しても「なぜ失敗したのか」「どうすれば失敗せずにすんだのか」「次からはどのように行動すべきか」といった振り返りを行うことで、再度同じ失敗をしないように自分を成長させている。一方、忙しいと感じる人は、とにかく急いで手元の作業を済ませようとする。そのため、過去のことを振り返ることがなく、その場しのぎの対応が多くなる。そのため、なかなか成長することができない。
余裕のある人は優先順位の判断が正確にできるため、休憩すべきときにはしっかりと休憩を取る。趣味に没頭したりして必要な休憩を取ることで心身をリフレッシュさせ、作業の効率を維持することができる。気分転換が図れるのだ。しかし、忙しいと感じる人は常に作業に追われているため、休憩の時間を惜しんで作業を続けてしまいがちだ。そのため、常に脳が緊張状態にあり、なかなか疲労を回復させることができない。忙しい時間が長くなるにつれて、結果として作業が非効率になっていく。
余裕のある人は、自分の能力を正確に把握している。そのため、自分ではできないと思うことや、困ったことなどがあれば、一人で解決しようとせずに助けを求める。しかし、忙しいと感じる人は、与えられた作業をすべて一人でやろうとしてしまう傾向がある。そのため、助けを求めればすぐに解決することであっても、自分だけで解決しようとして時間をかけ過ぎてしまう。
忙しいと感じる状況を改善するための対処法だが、なかなか難しい。
忙しいと整理整頓の時間を確保できず、デスクの上が散らかってしまいがちだ。一般的に人は散らかっている物が視界に入ると、集中力が低下したり、ストレスを感じたりするという。また、デスクが散らかっていることで、必要な物がすぐに取り出せなくなって作業効率を落としてしまう原因にもなる。そのため、これらの影響を受けないためにも、デスクは整理整頓をして綺麗にしておきたい。私は、これが苦手だ。
忙しいと思われる状況になると、次は何をしなくてはいけないのか、どの作業がどこまで進んでいるのか、今は何をしているのか……など、頭の中で思考が堂々巡りしてしまう。思考することが増えパニック状態になるとミスを起こしてしまうので、頭が混乱してきたときには深呼吸をして落ち着くことが必要だ。焦っても取りかかれる作業は一つずつなので、今は何をするべきかをしっかりと判断することが大切である。
あまりにも作業量が多い場合には、周囲に助けを求めることも大事である。その際には、素直に状況を伝えて助けてほしいと頼むようにする。周囲から「手伝おうか」と声をかけてもらうために忙しいアピールをしても、なかなか思うようには気付いて貰えないものだ。かえって「計画性が無いから」と悪い印象を与えてしまう可能性もある。だが、人に頼るのが苦手だとしても、時には周囲に助けを求めたり、相談をしたりすることは重要だ。一度頼ると、今度は「頼られる」側に回る可能性もある。頼る・頼られるを繰り返すことで、周囲の人と頼りやすく、頼られやすい関係を築けるようになるとよい。
多忙な状態が続き、緊張やストレスを溜めてしまうと作業効率が落ちる。集中力が落ちると、ミスも起こりやすくなる。作業の効率を落とさないために、積極的に休憩をとることを勧める。「優先順位の判断が苦手」という人は、仕事を始めるとき、もしくは前日の夜などに「やるべきこと」を紙に書き出す。「やるべきこと」を書き出したら、次はそれに優先順位をつけていき、「やることリスト」を作る。このリストを細めに見つつ仕事をすることで、自分が1日にできる作業量や、一つの仕事にかかる手間や時間が把握できるようになる。私は、現役の時、これを実践した。今でも、時折やっている。
忙しいと感じる場合には的確な対処をすることで、その状況を改善できることが多い。もし、忙しいと感じる状況をそのままにしておくと、ミスを起こす原因となってしまうため、なるべく早く対処をすべきだ。逆に、周りに「いつもバタバタしていて忙しそうにしている人」がいたならば、「手伝えることはないか?」と声をかけてあげると、感謝されるだろう。
(令和6年9月1日 9:06)
台風10号の通過を機に、少し涼しくなるのかも知れない。そうあって欲しいと願う。
そううまくはいかないだろうが、「秋」が忍び寄っていることは間違いない。
この季節になると、古今和歌集の藤原敏行のあの有名な和歌が思い浮かぶのである。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
【意味】
秋がやって来た、と目にははっきりと見えないけれども、風の音でそれと気付かされた。
もう一つ敏行の和歌をご紹介する。時期的に、これはもう少しだけ後になるだろう。
秋萩の花咲きにけり高砂の
尾上の鹿は今や鳴くらむ
【意味】
秋萩の花が咲いた高砂の峰に住む鹿は、今頃鳴いているだろうか。
作者不詳だが、古今和歌集からもう二首
いつはとは時は分かねど秋の夜ぞ
物思ふことの限りなりける
【意味】
物思いは何時というように時節によって違いがあるわけではないが、秋の夜こそは物思いの極みであることだ。
秋の野に人まつ虫の声すなり
我かと行きていざ訪(とぶら)はむ
【意味】
秋の野に人を待つという松虫の声がする、私を待っているのかと、さあ尋ねて行ってみよう。
「秋の夜長」という言葉があるように、徐々に夜の時間が長くなる秋は、物思いにふける時間も増えて来るのだろう。
昔の人々も、秋を題材にした和歌を多く詠んできた。そういった秋の和歌を鑑賞してみるのも……。
(令和6年8月31日 19:38)
未だに我が国のマスコミはだんまりを決め込み報じないが、習 近平は路線闘争に敗れたようだ。鄧 小平の「開放路線」を支持する勢力が、実権を握った事に疑いの余地は無い。
不思議なのは、これを報じるのはごく一部の中国ウォッチャーだけであり、我が国の保守派と目される言論人からの声が聞こえて来ないことだ。残念だ。
ただ言える事は、習近平が退任しても中国共産党が崩壊し独裁政治が変わらなければ、中国は変わらないということである。
(令和6年8月31日 8:37)
家内の父も、私の実父も酒好きだった。36年前に、同じ年に亡くなった。健在であれば、今なら旨い酒をいくらでも呑ませてあげられるのにと、つい悔やむ。
呑みながら家内にそう言いかけたが、涙が出そうになったので言わずに飲み込んだ。
今日の「BSプレミアムシネマ」は、『次郎物語』だった。映画を観ながら、一人泣いてしまった。久しぶりのことだった。
東映の37年前の作品だったが、加藤 剛・高橋恵子・泉ピン子・高松秀郎・山岡久乃など、キャスティングがよかった。
余談だが、30年以上前に近鉄田原本線で高橋惠子に出会った。彼女は一人だった。車両に4~5人しか乗っておらず、他の人は高橋に全く気づいていなかった。色白の、着物姿の彼女の美しさは際立った。昨日の事のように思いだざれる夏の日の出来事だった。
(令和6年8月29日 20:10)
祝辞を述べる機会
9/14(土)午前、町主催の「敬老会」が開かれる。
本日午前、来賓出席の案内が担当者から事務所に届けられた。併せて、「祝辞」の依頼もあった。
50年くらい前から町の「敬老会」は開催されていただろう。三生連(当時は三老連)会長にも「祝辞」の依頼があっただろうが、面倒だと言うことで辞退したのではないだろうか。昨年までは、以来、ずっと「無し」で来たのではないか。とにかく、三生連(三老連)会長が「祝辞」を述べる機会はこれまで無かった。恐らく、初めてのことだ。
当日は、700~800名くらいが出席される。会員数が漸減する中、三生連をアピールする絶好の機会と捉え全力で取り組む。
(令和6年8月27日 18:48)
食費の削減は墓穴を……
妻に家計を任せているのでひしひしとは感じないが、物価の上昇で家計のやり繰りは大変だろう。特に子育て世代は……。
そのような中、特に高齢者が気をつけなければならないのは、食費を大幅に削ってしまうことではないか。これはやってはならないと強く思う。食費の削減は、炭水化物中心の食事に陥りやすい。タンパク質の必要性は誰もが分かっているはずだが、高い牛肉などを避けてつい炭水化物中心の食事となってしまいがちだ。これは極力避けたいものだ。なぜならば、医者に寄付をすることになるからだ。
牛肉が高いのならば豚肉や鶏肉を食べ、もっと安価にと考えるならば、豆腐や納豆などの植物性のタンパク質を摂ればよい。鶏卵も値上がりしたとは言え、肉よりは安い。
タンパク質が不足すると元気が出ないし、抵抗力も弱まって疾病につながるだろう。病気になれば医者代がかさむことになる。我が国では保険制度が充実しており助かっているが、余計な出費が必要となる事は間違いない。
食費を削らず、他の事で遣り繰りしたい。子や孫に財産を遺すことはない。贅沢は戒めなければならないが、食費を削ることはない。
たばこ代の出費などは、愚の骨頂である。論外と言えよう。
(令和6年8月26日 18:57)
中国共産党の動静
8/10の本欄において、「習 近平」は退任したのではと記した。
これまで何度も騙されており、若干の疑心暗鬼も無くはなかった。友人たちからは、直接あからさまには聞いてはいないが、「谷口、フェイクニュースに乗ってはいけないよ」の雰囲気を感じていた。
今日までの間、ネット上ではさまざまな情報が飛び交っている。だが、中国国内の様子(国内報道)が、これまでとは明らかに違う。党や政府幹部の発言や論文(中国国内の新聞等)に、「習 近平」を礼賛するものが激減している。これまでとは、明らかに違って来た。そういった事からも、今回の「退任ニュース」は間違いないだろう。
クーデターは生起していない様子だが、恐らく周 近平は重病で人事不省に陥り、指示が下せない状況なのだろう。これまで独裁であったので、周りも困惑していると思われる。容易に想像がつく。
これは、世界にとって大きな出来事である。現在、中国の経済状況は大変な事態に陥っている。これからの中国共産党の動静に眼を離せない。
我が国では、目下、自民党の総裁選挙の件で日々喧しい状況が続いている。立候補が予定されている方々の中には、河野・林をはじめとして「親中派」「媚中派」と呼ばれる方が多いが、これらの方々の胸中は如何なものか。
NHKをはじめ、国内報道機関は、現在の中国共産党の動静について頬被りを決め込んでいる。酷いものである。
(令和6年8月24日 18:37)
天 命
『論語』の最後に、「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」(堯曰第二十)とある。人は『天命』を知る事が大事だと……。
私たちの日常を振り返るとき、自分の利益を求め、人を押し退けて前に出ようとすることが多い。そのようなとき、社会は殺伐とした空気に覆われてしまう。だからこそ、他の人を思いやり、あれこれ慮ったりできる人が、「有徳の人」として称えられるのだろう。
『論語』の中で、最も好きな章句は「生を求めて以て害する事無く、身を殺して以て仁 を為すこと有り」(衛霊公第十五)、「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲 して人を達す」(雍也第六)である。
孔子は50歳で「天命」を知ったが、私は若いときに「自らの『天命』は何か」などと考えたことはなかった。一般的には、みなさんも私と同じではなかろうか。もう 少し早く論語の学びを深めていれば、もしかしたら早い時期に自らの『天命』について考えが及んだのかも知れない。そうであれば、少し違った人生を歩んだのかも。
私は70歳だが、遅ればせながら現在は自らの使命について少しは考えたりする。 私の使命は、一つは高齢者の会の役員(町の連合会長)として会の運営をスムーズに運び会員から喜んでいただくこと。もう一つは、現在二つの論語塾(中之島図書館論 語塾、三生連論語に親しむ会)の塾長を務めているが、「論語」を講じることを以て、「論語」の普及に少しでも貢献することである。その一環として、5年前から毎朝続けている地域住民の健康増進に貢献することを願って始めた「ラジオ体操会」を、生ある限り継続する。一年365日6時30分からというのは易くはないが、参加者からの「ありがとう」を糧に、協力者の支えで以って日々心を新たに努めている。
私の使命は小さなことばかりだが、『天命』として自らの心に刻んでいる。 何気なく生活しているだけでは天命は見つからない。なので、常に自問自答することが求められる。天命が見つかったとしても、努力せずに天命を全うすることは出来 ない。天命とは、「自らの人生にどう向き合っていくのか」という姿勢のこととも言える。
私は自らの天命を見つめつつ目の前のことに全力で取り組み、他者のために汗 をかく行動の実践を通して、天命を全うしていく。
4年程前にある組織・機構から請われ、寄稿した小文である。そのまま再掲した。気持ちは、まったく変わっていない。「論語塾」や「ラジオ体操会」についても同様である。常に「継続は力なり」を反芻している。
発言がコロコロ変わってはならないのである。
(令和6年8月22日 17:14)
高い(強い)向上心
『徳の修まらざる、學の講せざる、義を聞きて徙る能わざる、不善のあらたむる能わざる、是れ吾が憂いなり』(とくのおさまらざる、がくのこうせざる、ぎをききてうつるあたわざる、ふぜんのあらたむるあたわざる、これわがうれいなり)。
『論語』(述而第七)にある孔子の言葉だ。今、『論語』の中で、もっとも私の気を惹く章句である。
意味は、「徳が身につかないこと、学が究められないこと、正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないこと、これが常に私の心をいためるものである」だ。
孔子が自らを戒めているのか、立身出世ばかりを夢見る弟子たちに対してなのかは分からない。どちらにしても、聞く者の胸を打つ言葉である。
齢を重ねても「これでよし」ではなく、自らを常に振り返り、「昨日よりも今日、今日よりも明日」と高い向上心を保ち続けることが大事であろう。
念頭に置く。
(令和6年8月22日 5:16)
徳のある人
教養があり、徳のある人が「君子」と呼ばれる。徳のある人とは、どのような人だろうか。
先ず徳とは、仁・義・礼・智・信の五つで表わされると言われる。
思いやりがある、言動が正しい、礼儀作法を弁える、向上心があり賢い、信頼される、であろう。
具体には、
〇人を見下すような人は、論外だ。自信の無さの裏
返しかも知れない。困っている人を見たら、手を
差しのべることができる。
〇強い公正心を持ち、言動は誰から見ても正しい。
言動に矛盾があってはならない。ミスを人のせい
にしない。
〇マナーの悪い人は信頼されない。相手の立場に立
って物事を考えることが出来る。そうでなけれ
ば、人心は離れていく。
〇向上心が高く、常に学ぼうとする。
〇自らの事は後回しにし、自然に人のために汗がか
ける。
完璧に備える人は聖人だ。そのように心がけ、実践に努めるることが大事だ。そうすれば、次第に少しずつで近づけるのかも知れない。そうありたいと心がけることが第一歩だ。
(令和6年8月20日 19:54)
『論語』講演会
随分先の話になるが、下記にて『論語』に係る講演会を開くことになった。
三郷町からは少し遠いし、受講料が必要だ。お時間が許せば脚をお運びいただきたい。
日 時 令和7年1月25日(土)
14時~15時30分(90分)
会 場 大阪府立中之島図書館別
館2階多目的スペース3
主 催 三生連 論語に親しむ会
主 管 毅 朴 会
協 力 大阪府立中之島図書館
指定管理者
ShopPro・長谷工
TRC共同事業体
講 師 谷口利広
演 題 生きる指針を『論語』か
ら学ぶ
定 員 90名(要予約・先着順)
受講料 1,500円(税込)
申込方法 電話またはメール
電話 06-6202-0474
(図書館代表)
メール
eventyoyaku@nakanoshima-
library.jp
(令和6年8月18日 21:04)
一般的な話としては、友人は少ないより多い方がよいだろう。しかし、趣味や価値観が同じ、或いは近い人に出会う事は易しくはない。少数でも気の合う人がいれば、よいのかも知れない。
友人との関係を深めるのには、時間と労力を要する。何十人もの友人と深い関係を保つのは現実的ではない。ゆえに、友人が多いと、自分の時間が制約されてしまうという事も起こる。意味のない浅いつきあいが増えるだけという考え方もある。
大事なのは数では無く、質であるとも言える。友人の数が適正であれば、予定を合わせやすいという利点もある。適正人数というものは、人によって異なるだろう。
人によっては、「友人が居なくても何の問題もない」と言われる人もいるだろう。周りからすれば、「何と寂しい人生では」と思ったとしてもそれは本人の問題であり、とやかく口をはさむ問題ではないのである。
とにかく、「自分らしく」を保てる友人、本音で話のできる関係こそが、長続きする真の友情に繋がると言えるだろう。
(令和6年8月18日 20:30)
猛暑が続いている。
残暑お見舞い申し上げる。立秋を過ぎると残暑だが、季節とズレがある。会員におかれては、ますますご清栄のこと……と申し上げてしまうものの、会員の平均年齢も82歳超となり、年々、暑さ寒さが体に堪えるようになっていることだろう。
早く涼しくなって欲しいと誰もが願う。猛暑も盆を越えると、少しは和らぐのかと期待する毎日だ。20日を過ぎれば、朝夕の風に「秋来ぬと」と感じることが出来よう。今しばらくの辛抱だ。
春のハイキング
5月13日に実施した「山の辺の道」ハイキングは、雨に祟られた。この時期に連日の雨とは、私の不徳の致すところだ。大いに反省をしている。それでも悪条件をもろともせず、20名が「山の辺の道」を歩いた。「降り続く雨を友とする」といった雰囲気であった。本連合会は大した方の集まりであると、改めて感じた。「春のハイキング」に係わっては、3名の方に寄稿いただいた。2~8頁にかけて掲載した。なお、秋のハイキングは、昨年度と同様、社会見学と併せて実施する予定だ。多くの方にご参加賜りたい。
町の文化祭
今年度の町の文化祭は、10月26日、27日の両日、開催される。「展示の部」の会場は、いつものとおりスポーツセンターである。
以前に比べて出展数が大幅に減り、それに伴い鑑賞に訪れる人の数も激減している。写真は昨年度のものだが、三生連会員からの出展も以前と比べると大きく減った。そういった状況を打開するためにも、先ずは本連合会が率先して出展数を増やそうと思い、支部長にも重ねて協力をお願い申し上げた。
「出展協力につきましては、4月の支部長会でも、また「矍鑠」27号でもお願いしましたとおりです。昨年度の文化祭終了時点から、あらゆる機会に申し上げています。本連合会会員がこれまで以上に多くの出展をすることにより、寂しい状態になっている『展示』部門を盛り上げたいと思います。復興の「核」となろうではありませんか。支部長にはご理解をいただき、「出展者無し」といった支部が無いことを切望いたします。支部長ご自身が先陣を切ってください。本部役員にもどのような物でもよい、ぜひとも何か一点をとお願いしています」(依頼文抜粋)
その結果、昨年度よりは出展申し込みが大幅に増えた。7倍以上になった支部もある。全体としては6倍強だ。ただ残念ながら、依然としてゼロという支部も……。そういった支部の多くはすぐに「会員の高齢化」を理由にされるが、平均年齢最高齢の支部において会員の半数が出展申し込みしたという現状もある。理由にならない。支部別の申込数は、次のとおりだ。
夕陽ケ丘 40
三 室 14
信貴ケ丘 18
東信貴ケ丘50
みさと 1
明治 13
緑ケ丘 3
いわせが丘 1
教室同好会では、「銭太鼓」と「論語」から申し込みがあった。
支部への助成金は例年どおり10月末に
支部への助成金は、後期の補助金が交付される10月末とする。いつものとおり、当日は支部長会を開く。詳細は、後日連絡。
町の「敬老会」
町主催の「敬老会」は、9月14日に開催される。今月末には、個人宛に案内はがきが届くはずだ。お揃いでご出席いただきたい。また、各支部でもいろいろと計画されていると思う。東信貴ケ丘では、「長寿を祝う会」として「大衆演劇鑑賞と温泉入浴」を実施する。入浴後、宴会。ホテルのバスでの送迎付きだ。90歳以上の方も、数多く参加される。昨年度は通常行事として「大衆演劇鑑賞と温泉入浴」実施し、大好評だった。
郡生連のカラオケ大会
恒例の郡生連のカラオケ大会は、11月28日に開かれる。大浦副会長に、早めにお申込いただきたい。すでに、15名(定員25名)の申し込みがあった。なお、カラオケ同好会『さけび』の世話人は、片岡さんから萬治理事(73-8766)に代わった。
郡生連の社会見学
生駒郡生き生きクラブ連合会の社会見学が6月に開かれ、神戸港湾内の遊覧と、伊丹のバラ園を散策した。人数が10名に限定されているので、残念だが執行部役員だけの参加となる。もう少し枠を増やしてほしいと願うが、他町からは要望が無い。参加者が集まりにくいという事情もあるのだ。
また、10月に宿泊指導者研修会も鳥取で開かれるが、こちらも参加定員は10名である。
ゲートボール部2年連続で全国大会へ
県大会で優勝した本連合会のゲートボール部は、10月5・6日に倉敷で開かれる全国大会に出場する。2年連続の快挙だ。なお、本連合会から「激励金」をお渡しした。健闘を祈る。
県老連会報「大椿寿」
これまで年3回発行であった「大椿寿」が、昨年度から年2回となった。明解な説明はなかった。先日、今年度1回目が発行され、お手元に届けた。どのような印象をお持ちになられただろう。
7月18日に開かれた郡生連の役員会でも話題となり、「会員数が減少する中、『会報』がこんなものでは沈滞ムードが一掃できない」の意見が多く出た。松井連合会長(安堵町)が次の理事会で、今回噴出した意見を伝えていただけると。
《8/8 発行 第28号から》
(令和6年8月10日 7:55)
町文化祭への出展
昨日、町文化祭「展示の部」の三生連からの出展数が明らかになった。
9支部、2団体から141点の作品の出展申し込みがあった。昨年の6倍以上である。
年々、寂しくなる「町の文化祭」を三生連が復興の核となって盛り上げようと呼びかけた。
このような結果となり、喜んでいる。会員のみなさんのご協力に心から感謝を申し上げる。
展示した光景をいろいろと想像してみるが。きっと見事なものとなるだろう。
今から楽しみである
支部別の出展数は、次のとおりだ。今後、若干増える可能性がある。
東信貴ケ丘 50
夕陽ケ丘 40
信貴ケ丘 18
三 室 14
明 治 13
城山台 10
緑ケ丘 3
みさと 1
いわせが丘 1
書11 絵画44 写真18 盆栽4 木彫2 手芸23
金属工芸10 工作等29 その他1
平均年齢の最も高い「東信貴ケ丘支部」が、最も出展数が多かった。私がいつも申し上げる「年齢は関係ない」を如実に示した。
「銭太鼓」と「論語に親しむ会」からの出展もあり、花を添える。
(令和6年7月27日 5:43)
天晴(れ)/ 遖 読み方:あっぱれ
日常的には使わないが、私を含め時折使われる。辞書を引くと、
1 ほめたたえる気持ちを表すときに発する語。すばらしい。みごとである。
2 すっかり感心したり、強く驚いたりしたときに発する語。ああ。
「天晴」の読み方は「てんせい」や「あまばれ」ではなく「あっぱれ」だ。当て字で「天晴れ」と表記することもある。「天晴れ」と書いた場合にも「あっぱれ」と読む。使われているのは天と晴というなじみ深い漢字だが、読み方を間違いやすい。
「天晴」の語源は「あはれ」
「天晴」の語源は「あはれ(哀れ)」だと。「あはれ」を促音化して、意味を強調したものが「天晴」となった。
言葉の意味から考えると、意外な語源だが、もともと「天晴」はほめる場合だけで使われる言葉ではないと。「ああ」という感嘆や悲哀の感情を表す時にも使われており、この場合には語源のニュアンスと近いものになる。
驚きの賞賛という意味の場合も、感嘆や悲哀という意味の場合も、つい自然に出てくる感情という点では共通している。
努力を積み重ねて事を成し、人から「天晴れだ」と言われてみたいものだ。
(令和6年7月25日 5:10)
信頼を裏切る人
信用・信頼していた人に裏切られたという経験は、私には無い。だが、世の中において、「人に裏切られた」という人は少なくないのではないか。私も裏切られたのではないが、なぜか急に去っていかれたということはある。いまだに、原因は分からない。
ある人が、「いつか裏切る人の特徴」について記していた。とても興味深いし、多くは的を得ていると思った。ご紹介する。参考になれば幸いだ
1 いつも自己中心の人
このような人は、平気で約束を破
ることが多いだろう。ドタキャンも
平気。
2 自分の利益のためなら手段を選
ばない人
自身の目的達成のためなら、「何
でもあり」といった調子で嘘もつ
く。今は味方かもしれないが、いつ
手のひらを反すかも知れない。
3 相手の気持ちを尊重しない人
共感能力が著しく欠如しており、
相手の悩みを軽く扱う。他者の立場
に立って考えることができない。
4 相手によって態度を変える人
風見鶏のように態度を変える。目
上には「はい、はい」と服従する
が、目下には横柄な態度をとる。
5 隠し事が多い人
いつも曖昧な物言いで、相手に対
して胸襟を開かない。
6 小さな嘘を平気でつく人
小さな嘘をつくことが常態化して
いる人は、いつか大きな裏切りをす
るだろう。
7 被害者意識が強い人
「損ばかりしている」「理解して
くれない」といつも零す人は、自ら
の行動に責任をとらず、すぐ人のせ
いにする。信頼関係を築けない。
8 妬み心や嫉妬心が強い人
人の成功を素直に喜べない人は、
あなたが成功した時に裏切る可能性
が高い。
9 言い訳ばかりする人
非を認めることができないので、
課題の本質に向き合えない。いざと
いうとき、あなたに責任を押し付け
る。
10 金銭にだらしない人
金銭感覚がルーズな人は、お金に
係わってトラブルを起こす可能性が
高い。
信頼できる人を見つけるのは難しい。「裏切る人」をちょっとした兆候から見つけることができれば、それに越したことはない。相手をよく観察して、怪しいと思ったならば距離を置くのが賢明だ。
自身の言動を振り返り、抵触するものがあるならば改善しよう。でなければ、人からの信用・信頼を得ることはできない。
(令和6年7月25日 4:39)
覚 悟
「覚悟が大事だ」「覚悟して置け」「覚悟ができていない」などと、「覚悟」という言葉はよく使われる。
「覚悟」は辞書によると
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。
3 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。
5 知ること。
とある。
本来、覚悟は眠りからさめること、目がさめていることを意味する言葉だ。もともと、「覚」も「悟」も「さとり」という意味だから、迷いを去り、真理を体得し、さとりの智恵を得ることを意味する仏教語なのだと。
「覚悟する」の言い換え・類義語としては、
などだ。
何を為すにしても、志を高くして「覚悟」を決め、不撓不屈の精神で臨まねばならない。
今の政治家には、「覚悟」と「責任」の希薄な方がほとんどのような気がする。
(令和6年7月24日 13:10)
草木にも魂が
拙宅から70㍍くらい離れたご近所のお宅に、2~3日前に植木屋が入った。
このお宅の前の持ち主は私より二回り以上も歳上の方で、庭づくりにとても熱心で美しい庭を維持されていた。
40年近く前の話だが、前庭の白のヒラドツツジがあまりにも奇麗なので、お願いして挿し穂をいただき挿し木して育てた。
その方は息子さん夫婦と同居されていたが、お亡くなりになられた後、間もなく息子さん夫婦も隣町に移転され、10年以上空き家となっていた。
次に入居された方は私より少し若い独り身の方だった。庭には興味が無いようで、剪定や雑草の処理もせず庭は荒れ放題となった。そのお宅のお隣りは私が懇意にしている方で、庭いじりに熱心な女性であった。口には出されなかったが、隣が「幽霊屋敷」のようになっている状況は、内心忸怩たる思いであっただろう。
そういう荒れた中でも、前述の白いヒラドツツジは春になると引き続き美しく咲き続けていた。けなげなヒラドツツジに、私は妻と二人、毎年心の中で拍手を送っていた。一方、挿し木した拙宅の白いヒラドツツジは大きくなり、シンボルツリーの一つとして毎年見事な花をつけている。
さて、本題に戻る。「思いっ切り伐ってくれ」と依頼されたのであろう、玄関前のマキを除いてすべてを根元から2~3センチを残して伐採された。前庭のヒラドツツジも例外なく。なんでそこまでと唖然としてしまった。
元の持ち主、丹精こめて庭を造られたお爺さんは、あの世で嘆かれていることだろう。ただ拙庭に受け継がれたヒラドツツジには、微笑んでおられることと思う。
今朝は、有明の月がとても美しい。『早起きは三文の得』だ。
思わず次の和歌が浮かんだ。
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる
(後徳大寺左大臣)
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。
本名は藤原実定(ふじわらのさねただ)。大炊御門右大臣藤原公能(きんよし)の子供で、百人一首の撰者、藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。
ホトトギスば3月から5月にかけて日本に渡ってくるので、「夏を告げる鳥」と呼ばれる。そのため「時鳥」などと呼ばれて愛され、文学的にも格調の高い景物として扱われる。
平安時代の雅を愛する貴族たちにとって、夏のはじまりに飛来するホトトギスは、季節の訪れを象徴する鳥として、ウグイスのようにとても詩的な魅力的なものに思えただろう。
特にホトトギスの第一声(初音)を聴くのは非常に典雅なこととされた。そこで山の鳥の中で朝一番に鳴くといわれるホトトギスの声をなんとか聴くために、夜を明かして待つこともよく行われていたと。
ホトトギスは動きが敏捷で、こちらと思えばまたあちら、というように移動するそうだ。作者が「ホトトギスの初音だ」と振り返った瞬間、もうホトトギスはそこにはいない、という印象もこの歌には込められているのだろう。
この歌は、「百人一首」の中の一首でもある。
(令和6年7月23日 5:17)
高い「人間性」
高い「人間性」を備えている人とは、どのような人を言うのか。11を挙げてみた。まだまだ、あるだろう。
すべてを備えることは易しくはないが、日々の積み重ねが自らを成長させ「人間力」を高めるだろう。心したい。
1 徳が高い
徳(仁・義・礼・智・信)を念頭に、「ありがとう」「すみません」が素直に言える。自分がされて嫌な事は、人に対してしない。
2 怒りの感情を制御できる
腹が立っても、それをすぐには表に出さない。冷静さを保ち、対処する。
3 人に流されない
他者の意見も聞けるが、強い信念を持ち人に流されない。バランス感覚も高い。
4 誰とでも会話ができる
相手の興味や関心などを素早く掴み、誰とでも自然に会話ができる。
5 皆にとっても心地よい環境を作ろうとする
周りの人が心地よいと思える環境を作れる。
6 自己肯定感が強い
自分を認め、ほめることの出来る人は、他者にもやさしくできる。
7 常に学び続ける姿勢をもつ
謙虚であって、常に学ぶ姿勢をもつ。志高く、飽く事無く可能性を求める。
8 不撓不屈の精神をもつ
失敗したり、苦境や逆境に陥っても、へこたれない。
9 調子に乗り過ぎない
幸運が続いている時こそ気を引き締め、抑制する。常に、「好事魔多し」と考える。
10 足るを知る人
何事にも、「満足する」という意識を持つ。不満を言っても、状況は変わらない。
11 他者を立てる
自分の事は後回しにして、先ずは他者を立てる。
(令和6年7月22日 4:41)
断薺画粥(だんせいかくしゅく)
「四字熟語」を学んでいたら、断薺画粥(だんせいかくしゅく)という熟語に出会った。
意味は、「貧乏に耐えて勉学に励むこと」であると。
「薺」は、なずな(ぺんぺん草)のことで、「断薺」は、なずなをきざむ意味だ。
「画」は、たてよこに線を引いて四つに区切る意で、「画粥」は固くなった粥(かゆ)を四つに切ることとあった。
出典は、「中国北宋(ほくそう)の范仲淹(はんちゅうえん)という男は若い頃貧乏で、なずなをきざんでおかずとし、冷えて固くなった粥を四つに切って、朝晩二つずつ食べるという生活をしながら、勉学に励んだ」という故事から。
私も范仲淹の爪の垢でも煎じて飲めば、学びに熱心になれるだろうか。恵まれた環境にあるのだからもっともっと学ばなければならないし、世のため人のために汗をかかなければと改めて思った。
類義語としては、蛍雪之功(けいせつのこう) 蛍窓雪案(けいそうせつあん) 車胤聚蛍(しゃいんしゅうけい) 苦学力行(くがくりっこう)がある。
(令和6年7月20日 4:40)
下問を恥じず
「下問を恥じず」は、『論語』(公冶長第五)由来の言葉である。
「年下の者に道を問うことを恥としない」「若かってもあることに精通している者に対して、問うことは恥ずかしい事では無い」という意味だ。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」に通じる。
70歳を超えると、何か新しいことを学ぼうと思ったら、ほとんどの場合、先生は年下である。下問を恥じていたら、何も学べない。年下の人から学ぶ姿勢を忘れてはいけない。
最初に年下の人を「先生」と呼んだ時には、なんだか違和感を覚えたが、最近は慣れてしまった。
余談だが、教師仲間では、「〇〇先生、▽▽先生」と呼び合うのが普通だった。私は現役のとき、先輩であっても「●●先生」とは呼ばなかった。上にも下にも、「□□さん」で通した。互いに「先生」と呼び合うのには抵抗があった。
教え子の何人かと親しく付き合っている。たまには、呑みにも。教え子と言っても63~64歳だ。孫持ちも。彼らに教えて貰う事も少なくない。彼らも厳しい社会を生き抜いて来たので、一家言を持っている。
幾つになっても、「下問を恥じす」の言葉を忘れないようにしたい。
(令和6年7月19日 8:34)
怨みを匿して(うらみをかくして)
論語に「怨みを匿して其の人を友とするを恥ず」(うらみをかくしてそのひとをともとするをはず 公冶長第五)とある。
怨みをかくして、友として親しく交わるのを恥じる、という意味である。
「ひどく憤慨するような事をされ内心苦々しく思っているのに、それを抑えてその人と親しくつきあうようなことは恥じるべきだ」ということだろう。
一般には、「いやなことがあっても、いやな人でも、それを抑えてにこにこと対応する」というのが望ましいとされ、大人の生き方だとされる。
だが、私にはそれはできない。孔子も同様であったようだ。
「いやなことがあっても、それを抑えて笑顔で」は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)に繋がらないか。人生はそう長くはない。いやなことを我慢して生きることもないのではと思うのである。
慇懃無礼(いんぎんぶれい)とは、表面はきわめて礼儀正しく丁寧であるが、実はひどく尊大であること。また、言葉遣いや態度などが丁寧過ぎるのは、かえって無礼であること。
(令和6年6月19日 4:48)
遺憾千万
何か協力の要請をした時に、意気に感じていただけたのか「よっしゃ分かった。一肌脱ごう」と自らの事を差し置いて協力して貰える方が居られる。私の周りには大勢。一方、少しの努力で協力も可能なのに、深く考えること無く進んで汗をかこうとしない方も世間には居られる。
「協力するしないは個人の自由」だが、「何とかしよう」というのが情のある生き方だろう。「仁」だと言える。そのような中、遺憾千万(いかんせんばん)という言葉が脳裏をかすめた。
遺憾千万は、非常に残念(=遺憾)でたまらない事。 思いどおりに事が運ばず、非常に心残りなことを表す。 「千万」は程度がはなはだしい意味。
自分にとって有利な事(益になる事)については、いの一番に手を挙げる。だが、しんどい事にはダンマリを決め込む。そのような情けない方も少なくない。
常日ごろ、「他者のために汗をかく」という事を念頭に置く。まだまだ不十分ではあるが、実践に努めている。「自分さえよかったら」「自分たち仲間冴えよかったら」という気持ちを抑えて皆が生きるならば、紛争は起こらないだろう。
困っている人を見かけたら、「何とか力に……」と思いたいものだ。
(令和6年7月17日 4:20)
「人間到る処青山有り」
(じんかんいたるところにせいざんあり)
「人間到る処青山有り」について、言葉を分解して見る。
まず「人間」については人々の間のことを言う。これはいわゆるヒューマンではなく世の中を指している。そこは通常の「人間」とは違う。「到る」は、ある場所や時間、状態に行き着くことを表す。また「青山」は骨を埋める墓地などのことを示す。これらをまとめると、世の中にはどこにでも骨を埋める墓地があることを意味する。
大望を実現するためには故郷にこだわらず、広い世間に出て活動すべきであるということを言っている。心置きなく挑戦することの大切さを説いた言葉と言える。望みを叶えるには、リスクを恐れずに動くべきだという教え・戒めとしても使用される。
出典は「月性」という僧侶の詠んだ詩の一節から
「人間到る処青山有り」は幕末の僧侶、月性の詩「将に東遊せんとして壁に題す」に由来する。月性は教育者としても活躍した人物だ。また、思想家や剣術家としても知られた。そんな彼が詠んだ詩の一部が「人間到る処青山有り」なのである。
故郷を出る決意が込められた詩となっている
月性は、周防(現在の山口県)に生まれた。27歳の時、著名な漢学者である篠崎小竹に弟子入りする。故郷を出る際に詠んだとされるのが、「人間到る処青山有り」を含む詩だ
彼は一度決心して故郷を出るからには、学問が身につくまでは帰ってくるわけにはいかないと心に誓ったのだろう。その決意の後に詠んだのが「骨を埋めるに何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」という一節だった。これは先祖代々の墓に葬ってもらおうとは考えていないことを詠っている。それに続いて、世の中どこに行っても墓地になる森はあるとも。つまり、彼は故郷に固執するのではなく、挑戦のためにはどこへだって行くという気持ちを詠っている。決意の気持ちが、この言葉に集約されている。
月性の漢詩
男兒立志出郷關
學若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
(読み下し文)
男児志を立て郷関を出ず
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり
(通釈)
男子がひとたび志を立てて故郷を出たからには
学業の成就をみなければ故郷に帰るものではない。
骨を埋めるのは必ずしも先祖代々の地を望むものではない。
この世はどこにあっても墓地となる青山はあるのだから。
ということで、「青山」とはお墓のことだ。そして、ここでいう「青山」とは必ずしも石のお墓に限るわけではない。
現代では「野望のためには故郷にこだわらず夢に向かって突き進め」というような意味でも使用されることが多い。自分への励ましの言葉でもある。
「青山」だが、もともとは中国の北宋時代(10世紀前後)に詩人の蘇軾が弟に送った詩の一節に、「是処青山可埋骨」とあり、骨を埋める場所を「青山」と言っている。
「人間」を、現代では(にんげん)と読まれることもあるが、微妙にに意味合いが違ってくる。
(令和6年7月16日 5:08)
銘肌鏤骨(めいきるこつ)
銘肌鏤骨とは、深く心にきざみこんで忘れないこと。肌にきざみつけ、骨に彫り込む意から。
「銘肌」は、肌にきざみ込むこと。
「鏤骨」は、骨にきざみ込むこと。
出典 『顔氏家訓(がんしかくん)』
『顔氏家訓』は、中国北斉の顔之推(ガンシスイ)が著した家訓であり、子々孫々に対する訓戒の書だ。
「銘肌鏤骨」を心がけてきたことがあるかと思い起こすとき浮かぶのは、「賭け事」に手を出さなかったことだ。
「賭け事をするな」は、父からの忠告だった。学齢に達する前から10歳くらいまで繰り返し言われ、脳裏に刻みこまれた。「勉強しなさい」などとは、一度も言われたことがなかった。言われなくともやったと言うのではない。
父の忠告を、現在まで頑なに守って来た。競輪・競馬・競艇はもちろんのこと、パチンコも麻雀もしたことが無い。「宝くじ」がギャンブルに入るか否かは意見の分かれるところだが、「宝くじ」も買ったことが無い。
いい加減な性格で何の取り柄も無い私が、何とか人並みに生活できているのは、父の忠告を「銘肌鏤骨」し守って来たからだと思っている。
私は長男でありながら、父の創業した家業を継がず好きな道に進んだ。親不孝者である。ただ忠告を守って来たことについては、あの世で喜んでいるのかも……。
(令和6年7月16日 4:47)
「論語」は中国社会に存在しない
多くの日本人は、中国文化と中国人文化の違いを区別できない。日本が中国の本質をどうしても見抜けない根本的な原因は、この部分だろう。
日本人は中国と同舟とは考えていないものの、少なくとも同文化、同じ漢字文化を共有していると考えている。日本文化のかなりの部分が中国から伝わったもので(実際は違うのだが)、少なくない日本人が中国の古典といわれる詩や芸術、音楽、哲学などの文化に、若干の憧れに近いものを持っているとも思われる。
確かに中国文化には優れたものがたくさんあり、中国の古典には立派なことが書かれている。しかし、それらは中国人の実社会には存在しない。日本人は、それが分かっていない。
中国文化、特に古典と言われる『史記』や『漢書』、『論語』、『孟子』、『春秋』などは、基本的には3つの理由で重要視されてきたと考えられる。
一つは勉強するためのものだ。中国には科挙制度があった。それらを勉強して試験に合格しなければ、官僚にはなれなかった。官僚にならなければ権力者にはなれなかったということである。
もう一つは、権力者が見て楽しむための娯楽だ。
最後の三つ目は、権力者がそれを使って民を統治するための手段になっていたということである。
日本人が中国文化を理解できないわけ
日本人がなぜ中国文化を理解できないのかを簡単に説明すると、日本文化がほぼイコール日本人文化と言えるからだ。例えば日本の文化の中で俳句や短歌を例に挙げると、これらは別に特に教養のある人間だけが楽しむ文学では無い。また権力者がそれらを用いて、民を統治するための道具でも無い。田舎であろうが、都会であろうが、職業も貧富も関係なく、誰もが俳句や短歌を詠んで楽しんできた。しかし、中国ではそのようなことは無い。
中国の親は子供の嘘を賞賛する
外国人から見れば、日本文化の中心、最も本質的な部分は、真(しん)だとよく言われる。真実の真(しん)、真(まこと)だ。日本人社会、日本人文化は、誠実さを中心に形成されてきた。日本人の誠実さ、真面目さというのは別に努力して身に付けたものではなく、日本文化のなかに自然と存在しているものだ。
一方で、中国人的な発想からすれば、日本人は何の目的で誠実に生きるのかと考えるようだ。日本の文化と西洋の文化で非常に一致していることは、「美徳そのものが美徳の報酬である」とも言える。
なぜよい行ないをするのか、なぜよい人間になるのか、なぜ美徳が身に付いているのか。それは、日本人の多くが、美徳そのものが報酬だと考えているからだろう。しかし中国文化は、イコール中国人文化ではない。もっと分かりやすい説明をすると、中国では親が自分の子どもに教えるのは中国人文化である。中国の教科書にも人間は誠実であるべきということは書かれてはいる。が、これは中国文化の部分で、要するに偽りの文化と言える。実際の中国人社会の中には存在しない。
中国人文化の本質は「偽り」だ。日本の「真」とは真逆なのである。だから中国人の親は子どもに、「他人には本当のことを言ってはならない」と教える。また、「他人を信用してはならない」とも。これはずっと昔から今まで中国人の親が子どもに教え続けてきたことであり、他人にはウソをついてもよいということなのだ。
日本を訪れた中国人観光客が、繁華街であろうが何処であろうが、大きな旅行カバンをゴロゴロと引いて歩くのは、信用して預けることが出来ないのが理由だろう。「他人を信用してはならない」との、小さい頃からの教えに従っているのだ。
「中国政府が発表する統計資料は嘘ばかり」と言われるが、「嘘をついてもよい」という考え方だろう。
極論すれば、中国人文化は基本的には偽りの文化、詐欺師の文化ということになる。
私は「論語」を学び、講じているが、けっして中国文化や中国人文化を礼賛している訳では無い。「論語」に書かれている内容(章句)に、今を生きる私たちに大きな示唆を与えてくれるものが数多く鏤められているからだ。
中国共産党の現幹部たちが率先して「論語」を学び、そして中国の中で少しでも「論語」の内容が浸透すれば、世界の国々と仲良くやっていけるだろうと思うのである。
子どもたちに、「他人には本当のことを言ってはならない」とか「他人を信用してはならない」などの戯言を教えないようにしてほしいと願うのである。
(令和6年7月15日 11:45)
81年前の人種平等サミット 大東亜会議
日本の敗色がやや感じられるようになった昭和18年11月、アジア7カ国の代表が東京に集まって、史上はじめてのアジアサミットを開催した。
当時の東南アジアの人々の人種差別や欧米植民地支配への憤りを共通の課題として、その解放を目標に日本を核として大東亜戦争に勝利し、独立を果たし、共に支え合う経済圏を確立する大東亜共栄圏の確立を共にめざそうというのがこの会議の主旨だった。
欧米の植民地支配からのアジア各国の独立と共存共栄、白人による人種差別を許さないことを東京に介したアジア各国を代表する7人が集い、宣言したのである。会議の舞台は、帝国議会の議事堂、現在の国会議事堂だった。
出席した首脳たちは、
・中華民国の汪兆銘行政院長
<辛亥革命の志士で、日本は彼の政権(南京政権)に対して治外法権を撤廃し、租界を返還した>
・タイのワンワイタヤコーン殿下
<戦後、外相、副首相、国連総会議長になった>
・満洲国の張景恵国務総理
<清朝の軍人から中華民国の閣僚を経て満洲国のナンバー2になった人物である>
・フィリピンのホセ・ラウレル大統領
<戦後、上院議員として活躍した>
・ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ国家元首
<ケンブリッジ大などに留学した弁護士、哲学博士で、イギリスに抵抗する独立運動に身を投じ獄につながれた>
・日本の東条英機首相
・オブザーバー出席の自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボース
<独立運動の指導者としてガンジー、ネールとともにインドの国会議事堂に肖像画が掲げられる英雄である>
アジアを代表する錚々(そうそう)たる7名だった。
前述のとおり、昭和18年11月といえば、日本の敗色が感じられるようになった時期である。それでも命の危険を顧みずアジア7カ国の代表が東京に集まった。ちなみに、「大東亜共同宣言」を発したこの7カ国の中で、大東亜戦争開戦前の時点で独立国であったのは、日本国、中華民国(支那)、タイ王国、満州国の4カ国だけだった。
この時期の世界で、有色人種の独立国というのは、実はこの4カ国だけだったのだ。
後に、大東亜戦争の開戦により日本陸軍の南部フランス・インドの進行作戦の成功によりビルマとフィリピンが独立を果たしていることが、まさに大東亜会議によって発せられた【大東亜宣言】の実効性を裏付けるものではないだろうか。
ではこの時期アジア以外の、アフリカ、中近東、南米などの地域ではどうだったのかといえば、すべて白人たちの植民地だった。国でさえなかったのである。
胸を張って「大東亜戦争」と
植民地だったこれらのアジア各国の首脳を集めたアジアで初めての国際会議。それが大東亜会議であり、この会議をもとに各国が互いに支え合って独立を誓い合ったのである。
この大東亜における「共に支えあい共に栄えてアジアに立とう」を目指した7人の侍たちの思いを歴史に残すことは、戦勝国が戦後、再びアジアを自分たちの都合の良い経済戦略下に組み入れるためには抹消しておかないとまずいと考え、大東亜戦争の呼び名が「太平洋戦争」へと一方的に呼称、変更されたのだ。GHQ「連合国指令本部」、米国の方針であった。
現在、「大東亜戦争」と口にすると、「偏向した考えの持ち主・軍国主義者」などと思う人がいるが、とんでもない話なのである。欧米諸国からアジアの人々を解放しよう、そして「共に支えあい共に栄えよう」とした貴い考えからの呼称である。
私たちは、胸を張って「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。
改めて言って置くが、けっして戦争を賛美する立場ではない。歴史の真実を学んでほしい、知ってほしいのである。
日本は大東亜戦争でアメリカに負けた。しかし、東南アジアの人たちは、日本兵の戦いぶりを見ていた。欧米人が日本軍に蹴散らされた様子を。欧米人は、4~5百年の長きに渡り東南アジアの人々を抑圧支配してきた。東南アジアの人々は過去において幾度も反乱を試みたのだが、そのたびに失敗に終わっていた。とても欧米人にはかなわないと、独立をあきらめてきた。
しかし、その欧米の白人たちが日本軍に敗れ、逃げたり捕虜になったりしたのを目の当たりにしたのである。しかも、アジアの同じ人種日本人にたった半年で。
これは、東南アジアの人にとっては「奇跡」だったのだ。
東南アジアの人たちは日本軍の奇跡から学んだ。軍とはこのように動かすものなのか、国のために戦う精神とはこういうものなのかなど、実際に見て、目覚めたのである。
昭和20年8月15日以後、現地において敗残兵となった日本兵の中には、祖国日本への帰国を断念して東南アジアの国々の独立運動家たちの願いを受けた。再度植民地化を目論む欧米諸国との戦いに挑むために、残留義勇兵として身を捧じた。東南アジアの国々の独立のために、現地の人々と共に戦った日本人たちが少なからずいたのである。
敗戦後のインドネシアでは、再度の植民地化のために侵攻してきたオランダ軍に対して2千人以上、ベトナムではフランス軍の侵攻に対して600人以上の残留日本軍兵士が独立戦争に関わった。まさに、若き日本兵たちの戦いの胸の内は「アジアの白人支配からの同胞たちの解放への思いだったのである。東南アジアの国々は、日本の敗戦後の動揺を乗り越え、その後独立を勝ち取っていった。
東南アジアの国々が独立を果たすと、これがきっかけになって世界中の植民地が立ち上がった。自分たちもできるはずだと。そして第二次世界大戦後、次々と独立を勝ち取ったのである。
(令和6年7月15日 8:00)
日本人の成立は 斎藤成也
日本人の成立について、斎藤成也(国立遺伝学研究所 特任・名誉教授)氏が次のように述べておられる。ご紹介する。
日本人の成立には3種類の仮説があります。
1つは置換説で、縄文人と弥生人が置き換わったというもの。第1の移住者の子孫は先住民、そして系統の異なる第2の移住者の子孫が現在の日本人である。すなわち先住民は完全に死に絶えて先住民のDNAは我々には伝わっていない。置き換わった=置換説です。
かつて世界の人類学では人間が交代する、人種が交代するという置換説が当たり前の考え方でしたから、その流れの中で出てきた説ですが現在は否定されています。
次に変形説です。これは、第1の移住者の子孫が時間的に変化して現在の日本人になっていったという説です。
この変形説は時代的には一番新しく登場して、かつて私が大学生だった1970年代、あるいはその前の1960年代は一世を風靡していた説です。
東京大学人類学教室を創られた長谷部先生、その跡を継いで主任教授を務められた鈴木尚先生が支持したことで研究界に広がりました。
実際に江戸時代〜明治時代、それから現在までさらに大きく、身長がどんどん伸びており...『短頭化現象』というのですが、顔の形もそれなりに変わっています。そういう発見から、縄文時代〜弥生時代以降の人々はやはり同じ人々でいつの間にか顔が変わっていったのではないか? ということを指摘されていました。
しかし残念ながら現在では否定され....科学の点から見ても滑稽としか言えない説となっています。日本の人類学、自然人類学をずっとリードしてきた東京大学のお二人が支持していたということで、弟子たちも「なんかおかしいな」と思いながらも、それに従ったことで1960,70年代はこの説が学会全体を支配しておりました。
そして最後に混血説です。これは第の1移住者の子孫に、それ以降の移住者が混血して現在の日本人となったという説です。もっとも古く提唱されたのは、いわゆるお雇い外国人教師として帝国大学の医学部の内科を担当していたドイツ人のベルツによるものですが...現在では私の研究グループをはじめ次々に縄文人のDNAが解析され、現代の日本人と比較可能になったため科学的に証明されるようになりました。
日本人・中国や朝鮮などのアジア人そして縄文人のDNAを比較すると...はっきりと私たちとのつながり、そして他地域との関係が見えてくるのです。
彼らはいつやってきたのか? 我々にはどのくらいそのDNAが残されているのか? 骨のかたちなどではなかなか証明することは難しかったより詳細で複雑な日本人の起源史が、DNAが明らかになったことで紐解かれつつあります。
不惜身命
(ふしゃくしんみょう)
「不惜身命」とは仏教語であり、あることのために身も命も惜しまないこと、身を顧みないことをいう。
「不惜」は惜しまないこと。
出典は、『法華経ほけきょう』だ。
何かを達成するためには、身も顧みず没頭することが求められるだろう。しかしそのことを分かってはいても、私のような凡人にはなかなか出来ないことだ。
学びに、「もうこれでよし」は無い。生涯学び続けようとする気持ちを継続することが求められる。「丘の學を好むに如かざるなり」(私ほど学を好む者は居ない)と自負した孔子でさえ、「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」<あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり>と、なかなか人として歩むべき真理を見いだせず思い悩んだようだ。
そして、弟子たちにも「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」<まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし>(学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味はわからない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危うい)と、先人に学ぶことと自分で思索する必要性を説いた。
加えて、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」<ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり>(人が自分のことを知ってくれないことは憂えず、自分が人を知らないことを憂えなさい)とも。
世の中には立派な人が数多く居られる。「少しばかり学んだからといって天狗になってはならぬ」ということだろう。心したい。
「不惜身命」の気持ちで以て、死ぬまで学び続けたいものである。
(令和6年7月15日 5:03)
意気に感じる
若いときから、「意気に感じる」という言葉が好きだ。現在まで、そのような生き方を心がけてきたつもりだ。実践してきた。
「意気に感じる」は、中国の故事「人生意気に感ず 功名誰か復た論ぜん」に由来している。唐の太宗に仕えて苦労を重ねた結果、志をとげ、功労のあった魏徴が感想を歌ったものとして有名である。人生は情熱で動くもので、「功名・手柄など誰が求めるか」という意味だ。
相手の何かをしようとする心持ちに、自分も何かをしようという気になることであり、人のやる気や熱意に触発されてこちらもその気持ちや気配に同調することである。
人は、「この心意気が無くなったら終わりだ」と思っている。努力している人の姿を見て、「よし、あの人のためにも頑張ろう」という気持ちが無くなったならば、この世は終わりだくらいに思っている。それがあるから社会が上手く回っているのだと思う。
お互いの努力を認め合い、助け合うことが「意気に感じる」の言葉には含まれているような気がする。この言葉が念頭にあるとき、自分勝手な行動はとれないはずだ。その意味からもこの言葉が好きだ。
さて、出展数が減り寂しくなった町の文化祭を、「先ずは本連合会から盛り上げよう」と現在、呼びかけている。意気に感じていただけたのか、多くの方からの出展申し込みをいただいている。この勢いが続くと、三生連の出展数は昨年度の5~6倍以上になりそうだ。
意気に感じていただける方の多い『三生連』の会長を務めていることを、誇りに思う。もっともっと、『三生連』のために汗をかかなければと思うのである。会員諸氏に感謝申し上げるばかりだ。
(令和6年7月13日 21:03)
青雲の志
誰しもが若い頃、青雲の志(せいうんのこころざし)を抱く。そうでなければならないと、私は思う。4~5歳くらいから、両親を始め周りの大人が仕向ける(アドバイスする)ことが大事だろう。「意欲に火をつけてやる」ということだ。
辞書には、「青雲の志とは、徳を磨いて、立派な人物になろうとする心。 また、功名を立て立身出世をしようとする心」とある。「青雲」は雲の上の青い空を意味し、高位・高官、立身出世のことをいうとも。
今から2500年前の中国の思想家 孔子は、73歳まで生きた。現在の年齢で言えば、90歳超だろう。晩年、自らの人生を振り返り、誰もが一度は耳にしたことのあるあの有名な言葉を遺した。『吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い(したがい)、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(こえず)』。
数年前に「古希」を超え、今、自らの「青雲の志」はどうなったであろうと思い起こすとき、けっして胸を張れるほどのものでは無い。ただ完璧に『青雲の志』が達成できた(した)と言える人は稀れだろう。
会員や読者諸氏は、如何だろうか。今からやり直しは難しいが、孫や玄孫の意欲に火をつけてやることは可能だろう。
「今からやり直しは難しい」と申し上げたが、「生涯学び続けることが大事」を念頭に「今日から努める」ことは今からでも出来る。「学び」にもう遅いは無いのである。
(令和6年7月13日 7:44)
幸せは
古代中国の思想家『荘子』は、「幸せとは幸せを求めないことである」と言われた。
欲しいものがあっても、すべては手に入らない。「幸せ、幸せ」と求めず意識の面でそこから抜け出し、この世界のほとんどは「苦」だと思うようにする。
恒久的な幸せは存在しないと思えば、気持ちが楽になるだろう。そして、「仁」や「徳」をいつも念頭に誠実に生きる。
仁……思いやりの心
徳……仁・義・礼・智・信
幸福に係わる名言を紹介する。
「幸福は受け入れる人にのみ存在しうる」
ジョージ・オーウェル(英国の作家)
「人の行動は思いどおりにならないが、それに対してどう反応するかはあなた次第である」
ロバート・K・ベネット(米国の作家)
「幸福とは問題がない状態を言うのではない。問題に対処する能力をいう」
スティーブ・マラボリ()米国の作家
(令和6年7牙11日 15:58)
蚊の感知力
同じ場所に居ても、蚊に刺されやすい人と刺されにくい人がいる。その違いは何か。
蚊はニオイや色で人がいるのを感知し、狙っているようだ。
人の体温(熱)や二酸化炭素、汗などが蚊をおびき寄せると。体温が高く、たくさん汗をかく子供や吐く息が多い人は、蚊に刺されやすい傾向があるらしい。血液型がO型の人やお酒を飲んだ人が刺されやすいという調査結果もある。
私は刺されやすいが、あてはまる事が多い。血液型はO型ではない。庭いじりをするときは蚊の餌食になるので、「献血はごめん」といつも蚊取り線香をぶら下げている。忘れると、途端に……。メーカーから表彰されるのではと思うくらい、売り上げに貢献している。本来の献血では、日赤から何度も受章しているが。
蚊の存在に気付かず、かゆみを感じてからようやく刺されたことに気付く場合が多い。なぜ瞬間には気付けないのか。大きな要因として挙げられるのが、針の太さのようだ。採血の際に使用される注射針の太さは、0.7~0.9mmくらいである。チクっと痛い。
鍼灸のときによく使われるのは0.14mmからのものだ。注射針の約5分の1である。蚊の口針はさらに細く約0.08mmなので、気付けないのも無理はないのだ。
また、蚊の口針の先端はギザギザしていて摩擦が少なく、1秒間に30回ほど細かく振動させながら刺すようだ。そのため、気付かないうちに刺されているのだと。
蚊は、なんと数十メートル先から吸血のターゲットを感知するそうだ。飛ぶときのスピードは時速約8キロでそれほど速くはないが、前述のとおり、嗅覚・視覚の他、熱や二酸化炭素も感知する。いくつもの感覚機能を駆使して人間のもとへやってくるのだ。
とは言え、すべての蚊が吸血する訳ではない。オスが栄養源としているのは花の蜜や果汁で、吸血するのはメスだけである。パチンと潰して確認したときに「まだ吸われていなかった」とほっとすることもあるが、そもそもオスであった可能性も考えられる。通常はメスも花の蜜などを吸っているが、産卵に必要なタンパク質を摂取するためにメスのみが吸血する。意外と大食漢で、1回あたり自分の体重と同量くらいの血を摂取するという。
他の病気が感染するかも知れない。刺されないようにお互い注意しよう。
(令和6年6月6日 5:41)
一週間ほど前から、拙庭で「桔梗」が咲き始めた。秋の七草に数えられているが、秋の七草は万葉集に収められている山上憶良の2首の歌が始まりであり、この和歌には桔梗とは無い。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」
「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」
一つ目の歌で「秋の野に咲いている草花を指折り数えると7種類ある」とし、二つ目の歌で「それは萩の花、尾花、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花である」と。
「朝貌」については諸説あるが、現在では桔梗を指しているというのが定説だ。
桔梗は多年草であり、その形の良さから多くの武将の家紋に用いられた。中でも明智光秀の水色桔梗の家紋は有名である。
桔梗の根を乾燥させ粉末にしたものは、痰や咳の薬として用いられているようだ。
〈花言葉〉は、清楚、気品、誠実、従順、変わらぬ愛、優しい温かさ
秋どころか梅雨も明けていないが、アジサイもギボウシの花も終わり、しばらくは蓮路苑の主役となってくれる。
(令和6年7月4日 8:51)
信用・信頼
「信用・信頼される人」とは具体的にどのような人かを考えてみた人が居る。受け売りになるが、「そのとおりだ」と思うので、挙げてみる。
1 挨拶がきちんとできる
2 約束を守る
3 古いものを大事に使う
4 人の話が聴ける
5 言動に筋が通っている
6 先を読んで行動する
7 他者の身に立って考えることがで
きる
8 気持ちや考えを表現できる
9 潔さがある
10 感謝と恐れの感覚がある
目新しいものは無く、当たり前のことばかりだ。しかし、この当たり前のことがすべて当たり前に出来ているかと言えば、出来ている人はそんなに多くはないのではないか。
「他者の身に立って考えることができる」についても、あるときは出来ても、あるときは出来ていないという人も多いだろう。
孔子は、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」(おのれのほっせざるところ ひとにほどこすことなかれ)と言われた。「自分がされて嫌な事は、相手にもしてはならない」は多くの人が実行しているだろう。が、ときに忘れて、嫌な事をしてしまっていることもあるのではないか。私も、「完璧に出来ている」などと胸は張れない。
9と10とは、前の8つよりも難しいかもしれない。この2つをきちんと押さえることが出来れば、「器が大きい」と称賛されるだろう。
上記の10を、きちんと実行できれば信用・信頼を間違いなく得られるだろう。
(令和6年7月3日 20:05)
「存在感が薄い」「貢献度が低い」と思われる人は、どんな組織・団体にも居るものだ。全員が完璧に近ければ人間関係がとげとげしくなるかもしれないので、そういった人の存在価値もあながち否定は出来ないという意見もあるが、どのように思われるか。
「存在感が薄い」「貢献度が低い」といった人の特徴を4つ挙げる。
自らを振り返りあてはまるものがあれば、改善に努めることは、周りからの高い評価につながるのかも……。
1 仕事以外で努力せず、不満は言うが努力はしない
仕事のときは、それなりに働いているが、それ以外では学ぼうとしない人が居る。どのような地位にあろうと、自己研鑽は欠かせない。スキルアップを怠る人は取り残される。
愚痴ばかり零して行動しようとしない人、改善しようとしない人、努力もせずに文句ばかりの人は、そのうちに相手にされなくなるかも知れない。
2 頑張りの基準が低く、「忙しい、時間が無い」が口癖
「頑張っている」と言う人ほど、往々にしてその基準が低い。自分では頑張ったつもりでも、周りからは「それくらいは当たり前」と思われている。生きている限り、常に高みをめざす姿勢が大事だ。
本当に忙しい人は、忙しいと言わない。「忙しい」と零す人で、仕事の出来る人に出会う事は無い。「忙しい」が口癖の人は、時間の有効活用ができていない事がほとんどだ。時間管理のスキルを身につけることが求められる。
3 返信が遅い、指示された仕事しかしない
メールの返信が遅い人は、他の事でも反応が悪いことがほとんどだ。業務のスピード感に欠けていると取り残される。メールに限らず、返信の早さは業務に対する姿勢の表れとも言える。
与えられた業務しかしない人は、モチベーションに課題がある。「指示待ち」ではダメだ。自らの業務にやりがいを持ち、業務を前向きに捉えることが大事である。受け身の姿勢では、周りからの高い評価は期待できない。
4 ミスを認めない
ミスをしないように努めることは大事だが、「完璧」という事は難しい。ミスを生起させたとき、ミスを認めない人は信用・信頼を失う。素直に認め、詫びる。
ミスを繰り返さず、ミスを次に生かすことが求められる。失敗は成功の源である。隠さずミスを報告することが、評価される組織でなければならない。
冒頭で緩衝材の役割を果たすと言ったが、「評価育成システム」が組織内で有効に機能する場合は良い(バリバリ成果をあげる人が評価される)。そうでない場合は、業務の負担の偏りが組織内の不満を呼び、それが鬱積するようになることも往々にしてある。
そうなると、「引き抜き」(ヘッドハンティング)により他の組織(企業)に優秀な者が去ってしまうというような由々しき事態に陥るかも。
(令和6年7月3日 4:56)
朝、昼、夜 2
「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」の出典だが、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの哲学書『自省録』の中で、第五巻一つの箇所で「何をすべきか」という問いに対して、「朝、起きた時には自分が目的を持っていると確信し、一日を勤勉に過ごし、夜は、自分が努力をし、誰かのために尽力したことに感謝しつつ、安らかに眠るべきである」というような内容で述べられていると。
また、一説には、アメリカの実業家であるエルバート・ハバードが1904年に出版した『A Message to Garcia』という小冊子が、この言葉の元になった可能性がある、とも。
日本では、明治時代の官僚・教育者である大森房吉の『三愿堂日記』に似た言葉が見られ、この言葉が日本で広く知られるようになったとも言われている。
他にもさまざまな説がある。しかし、どれも確定的な根拠は無い。
平成29年3月15日 参議院予算委員会で、次のような質疑があった。
「人が生きる上で一番必要なものは空気だと思う。2番目は何だと思うか」
という問いに対して、当時の国務大臣(副総理) 麻生太郎が「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」と切り返した。
首相時代、漢字の読みの間違いで揶揄された麻生だが、このときは見事な「返し」だった。
ただ質問者からは、「ありがとうございます。一応通告してある質問なんでね、これもね。でも、まあ非常に詩的な表現といいますか、すてきな言葉を聞けたことに感謝いたします。」と返答している。
麻生が、咄嗟に述べた言葉ではないようだ。
「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」という言葉は、さまざまな受取り方がある。
朝、希望をもって目覚めることは、新しい一日を前向きに迎えることを意味している。新しい日には、新しい可能性や新しいチャンスがあることを期待することが大切だ。
昼は、懸命に働くことが重要だ。仕事や学業、家庭のことなどに全力で取り組むことが、充実した人生を送るために必要である。
そして夜は、感謝と共にに眠ることが大切だ。一日の終わりには、自分が達成したことや、周囲の人々が自分に提供してくれたことに感謝することが、幸福感を高めることにつながる。
つまり、この言葉は、前向きな態度を持ち、一日を有意義に過ごし、感謝の気持ちを忘れずに生きることが大切であるということを示している。
(令和6年7月1日 8:25)
県老連広報誌「大椿寿」に想う
奈良県老人クラブ連合会(以下、「県老連」)では、会員数が減り会費の減少、補助金の減額などもあり、事務局や執行部役員は連合会の運営に苦労されていることだろう。
会報「大椿寿」第186号がつい先日届き、配布中だ。5月の正副会長会議の折に聞いてはいたが、今号から編集・制作等の一切が業者に委託された。会員等からの原稿の収集は事務局がやられていると思われる。制作費用は、これまでは共同募金からの補助と広告料で賄っていたと思う。今回からは、業者が企業等から広告をたくさん集め、制作費用はそれで賄うことになる。という事は、共同募金からのお金(昨年度実績50万円)は、今年度からは他に使えるだろう。
「大椿寿」第186号は紙質が大幅に下がり、日刊紙と同等、それ以下となった。広告が多く読む会員によって印象は異なるだろうが、「品格」という点ではお世辞にも……。特に、1面は酷い。会長挨拶が無い。昨年度から発行回数が、3回から2回に減った。今年度、1回目の会報に「会長挨拶」が無いというのは理解に苦しむ。「スペースが無かった」とは思えない。何故なら、必要以上に大きくとっている記事が少なからずある。長々とした「挨拶文」は必要ないが、掲載しないというのは見識を疑ってしまう。
もう5年になると思うが、県老連は業者に委託して「ホームページ」を全く新しいものにされた。これについては、大いに拍手したものだ。それまでのホームページが、時代遅れも甚だしいものであったから。しかしながらその際も、顔とも言える「会長挨拶」が欠落しており、すぐに「改善を」と進言した。だが、「なしのつぶて」だった。いまだに、「会長挨拶」は掲載されていない。ホームページ中の「問い合わせ・意見」欄から申し上げたので、「履歴」に残っているはずだ。作り話ではない。
冒頭にも記したとおり、事務局のご苦労を理解していない訳では無い。市町村連合会の役員もどんどん高齢化し、運営を社会福祉協議会担当者に任せっきりに近かったり、反応の早くない市町村連合会も少なくないだろうから事務局も大変だ。
厳しい意見も述べたが、私も常々、もっときちんとしっかりせねばと反省している。お互い緻密な業務を心がけたいと思うのである。
(令和6年6月27日 10:08)
町文化祭に向けて
昨日(6/26)、町文化祭の実行委員会が開かれ、今年度の実施要項が決まった。10月26日(土)~27日(日)(25日<金>午後搬入)の開催だ。
昨年の終了時点から、あらゆる機会に申し上げているとおり本連合会がより多くの出展をして、寂しい状態になっているスポーツセンター内での『展示』部門を盛り上げたいと思う。
4月の支部長会でもお願いしたとおりだ。復興の「核」となれればうれしい限りだ。
近々支部への協力依頼と申込書をお届けする。ご理解を賜り、「出展者無し」といった支部が無いことを切望する。本部役員もどのような物でもよい、ぜひとも何か1点を……。
申し込み締め切りは、7月25日とする。なお、今年度は、町文化祭への出展をはじめ、総会・ハイキング・社会見学等への参加、会報への寄稿など、『本連合会への貢献』を総合的に評価し、貢献度の高い支部への「特別助成金」(仮称)の支給をしたい(2月予定)。
(令和6年6月27日 7:42)
松の話
松の手入れの話になると、10人中9人までもが「松は難しいでしょう」となる。これは、植木職人の影響が大きいと私は思う。結論から言うと、「それは嘘だ。けっして難しくない」のである。
三郷や平群には、植木業者(造園業)が多い。大阪の八尾市は造園業者が犇めく(ひしめく)。まともな業者はそんなことは無いが、そうでない植木職人は「松は難しい。素人には無理だ」と言われる。推論だが、『中途半端にさわってほしくない』『職域が侵される』といった考えからのものだろう。「素人には無理だ」の話が巷間伝り、「松は難しい」となっているのだ。
松の手入れは、理論的には単純だ。少し慣れれば易いとも言える。盆栽で言えば、松類の手入れよりも雑木の手入れの方が数段難しい。ただ理論的には単純なのだが、手入れには相当の時間がかかるのである。根気と持久力が求められるのだ。
平凡なレベルの高くない職人ほど、若い弟子に松の手入れを任せない。そのことも、「松は難しい」という嘘の流布に拍車をかけている。ひととおりハサミが使えるようになれば、弟子に教えて任せたらよいのだ。弟子も親方の話だけではなく、自ら研究する気持ちを持たなければならない。何の世界でも、研究と修養が大事だ。親方になっても同様である。
拙庭の黒松は、購入してから46年になるが、手入れで職人はもちろん他の人にさわらせたことが無い。ずっと一人で手入れして来た。5月初めの「ローソク芽(長く伸びた芽)のもぎ取り」、今の時期の「芽切り」、9月末から10月初めにかけての「芽摘み(不要の芽をかきとる)」と「古葉落とし」。それと薬剤散布と的確な水やりも。
そういった年間を通しての日々の手入れにより、樹格はどんどん上がっていく。46年前、現在地に引っ越した40年前の写真を見れば、それは歴然としている。ご近所では、職人に任せているにも拘らず、樹格が下がり続けている黒松を多く見かける中で……。
話は変わるが、そこそこの日本庭園も、子どもの代になると維持できず樹木は整理され、駐車場の拡大などへとつながってしまう。そういった例は、近所でも枚挙に暇が無い。新築の家では、駐車場ばかりが広いという事が普通になってきた。
そういった事が、今後ますます顕著になっていくだろう。拙庭でも、他人事では無い。
植木業者にとっても多難の時代である。
(令和6年6月25日 8:08)
人を知らない事を
『論語』には、512の章句が20篇にまとめられている。
その冒頭「学而第一」の最後に、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり 」(ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり)とある。
「人が自分の事を分かってくれなくても憂えるな。世の中には優れた人がたくさん居られる。人を知らない事を患えなさい。もっともっと努力を積み上げよ」
含蓄のある言葉だ。若いときは誰しもが「なぜこんなに努めているのに、人は分かってくれないのだ」と思いがちだが、「まだまだ努力が足りないことを思い知る」こと事が大事であると。
80歳になっても、90歳になっても、こういった言葉を思い起こし、さらに努力しなければと思うのである。
(令和6年6月24日 5:20)
奔放不羈(ほんぽうふき)
奔放不羈という四字熟語がある。出典は定かではないが、「なにものにもとらわれることなく、自分の思うままに振る舞う」という意味だ。「自由奔放」は、類義語である。
法律を犯すなどは論外だが、余計な気を使わず思うがままに生きて行けるならば、それに越した事は無い。
自らの人生を振り返るとき、幼少の時から現在まで、ある時期を除いてそのように生きて来たと言える。ある時期についても、家人に言わせれば「そうだったかなぁ」と。
要するに、「野に咲く花」のように生きて来られたと言える。そうできたのも、周りの支えがあったからだ。「感謝」を忘れてはならない。
残された人生は、「摩頂放踵(まちょうほうしょう)」の心で過ごさなければならない。
摩頂放踵 自分の身を犠牲にして、他人のために尽くすこと。出典 「孟子」
(令和6年6月22日 17:00)
孔 子
昨日(6/21)、孔子は晩年、「不正・不義によって得た名声や地位、財産などは、自分にとって浮雲の如し」と達観できるようになったと記した。
しかし、そのような孔子であっても、若い頃は世の中の矛盾に、不正・不義が横行する世の中に思い悩んだようだ。人としての道を真っ当に生き、誰よりも学門に励み、徳治政治(徳を基盤にした政治)を志す自分が、なぜ採用されないのか。自身の思想が、なぜ世の中に浸透しないのかと……。若い時期は誰もが、世の中の矛盾に対して「何でだ」と憤るのである。
そして、そのような「矛盾」「不合理」に対してへこたれることなく、弛まず努力を積み重ねることが大事だ。不撓不屈の精神で。
誰もが一度は耳にしたことのある『十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず』の章句は、孔子の歩んだ道筋を示している。
「四十にして惑わず」とは、あれやこれやと迷わず、「自らの信じるがままに生きよう」と40歳で決めたことを表す。
「五十にして天命を知る」とは、人がどのように生きるかは天が決めることだと50歳にして思い知ったことを。
「六十にして耳順う」は、60歳にして人の意見を素直に聴けるようになったと。
「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」とは、70歳にして赴くままに行動しても、世の中の規範を破るようなことは無くなったと。
孔子の時代、「80歳を超えて生きる」などというのはあり得なかっただろう。
現在、本連合会会員の平均年齢は82歳、私の所属する支部では86歳である。本連合会会員で90歳超の方は、80名くらいだろう。
会員諸氏が過去を振り返ったり、現在の状況を思うとき、「八十にして……」「九十にして……」「百にして……」、どのように記されるであろうか。興味深い話である。
本連合会の「論語に親しむ会」では、『論語』に鏤められた珠玉の章句を会員と共に学んでいる。第一、第三水曜日の10時から、福祉保健センターの大広間で、楽しく学んでいる。ぜひ、ご一緒に学ぼうではないか。
連絡先
恒川 敏(つねかわ さとし)0745-32-0191 080-7797-7624
西村 恒子(にしむら つねこ)080-3817-3595
(令和6年6月22日 8:43)
浮雲の如し
〚論語〛述而第七(じゅつじだいしち)に、孔子晩年の人生観が示された章句がある。
ご紹介する。
子日わく、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみも而其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。(しのたまわく、そしをくらいみずをのみ、ひじをまげてこれをまくらとす。たのしみもまたそのうちにあり。ふぎにしてとみかつたっときは、われにおいてふうんのごとし)
通 釈
孔子が仰られた。「粗末な飯に水一杯、肱枕で寝るような貧しい状況であっても、心の楽しみは尽きることがない。道に外れた方法で得た富や身分など、私にとっては空に漂う浮雲のようなものであって、実にはかないものだ」と。
解 説
孔子晩年の人生観であり、不正な手段で富裕になる出世主義者は相容れないと述べている。孔子にとって粗末な衣食住の生活をすることは苦痛でも不幸でもなく、学問と道徳の実践の中にこそ、人としての『真の楽しみ』があると考えていた。
金銭や官位を得るために他人を不正な手段で蹴落としたり、賄賂を贈って取り入ったりするような生き方を、孔子が直接的に批判していない点に注目したい。全否定はしていないが、彼らは私にとって何の意味も価値も持たない『浮雲』のようなものだと語っている。『他人は他人、自分は自分』という明瞭な区分をしており、不正や強欲などの『徳の欠如』があっても、それを非難したり否定する必要性を感じていないのだ。
どのような職場でも、客観的に見て実力・実績に乏しいのになぜか昇任していく者が居る。私も約40年務める中で、そういう方を身近に少なからず見てきた。明らかに不正・不義を働き、上に昇っていく人を見てきた。
しかし、そのような者が昇任しても、万雷の拍手を得るような業績を遺されたかは、甚だ疑問である。それどころか、力及ばず腑抜けになったり、定年を前に退職した管理職の例は、枚挙に暇がない。相撲界などでよく使われる「家賃が高かった」ということになるのである。
孔子の凄いところは、不正や強欲などの『徳の欠如』があっても、それを直接的に非難したり否定しなかったところだ。
孔子にとっては、金銭や官位を得るために他人を不正な手段で蹴落としたり、賄賂を贈って取り入ったりするような生き方は何の価値も持たない、まさに「浮雲の如し」であったのだ。
孔子は73~74歳で亡くなった。私は現役当時、不正や不義を前にとても「浮雲の如し」の心境にはなれなかった。孔子が亡くなった年齢に達したわけだが、「浮雲の如し」の心境に少しは近づけたのかなと思う。
孔子の生きた時代(約2500年前)、平均年齢は40代以下であっただろうと推測できる。当時の73~74歳は、現在の年齢で言えば90歳超だろう。ということは、孔子より若くして世の中を達観視できるようになったのかなと、阿呆なことを思っているのである。
(令和6年6月21日 17:30)
苦労はしたほうがよいのか
質の高い苦労を
「苦労」には種類がある。するべき苦労と、しなくてもいい苦労である。
仕事においてするべき苦労とは、自分の仕事や会社をより良くするためにどのようなことができるかを懸命に考え、実行し、見直すことだろう。苦労というよりは仕事の基本とも言える。このような苦労は「努力」とも言い換えられる。これは、経験すべき種類の苦労である。
反対に、しなくても良い苦労とは「気苦労」だろう。人間関係に悩んだり、人と比較して悩んだり、これらの苦労は大体「取り越し苦労」である。より質の高い苦労=「努力」をしよう。
人間関係や人との比較など、どうにもならないことに悩んで時間を使うくらいならば、自分の仕事をもっと良いものにするにはということに考えを巡らせる方が良い。仕事は地道な作業の積み重ねだが、それを面倒くさがらずにいかにやれるかが大事だ。「若い時の苦労は買ってでもせよ」は、若いうちに『面倒なことでも、嫌がらずにやり切る習慣』をつけておきたい、という意味も含んでいる。
人間関係や人と比較して悩んでいるのであれば、まずはじめに自分のことを徹底的に見直してみる必要がある。内省することで、あなたの新しい面を周囲の人たちが見直す。その結果、関係が良くなったり、そもそも人と比較するといったことに意識が向かなくなるだろう。
真剣に取り組めば壁に当たる
真剣に仕事に打ち込んでいれば、買わなくても自然とそこにも苦労は伴うものだ。苦労は一生懸命打ち込めば打ち込むほどに尽きないものだ。「若いうちの苦労は買ってでもせよ」とは、一生懸命になることをためらうな、という意味も含んでいるだろう。
若いうちに一生懸命になることから逃げてしまうと、損をすることが多い。歳を重ねてからその姿勢を身に付けようとしても難しいし、何よりその時必死にならなかった結果、手にすることができたはずのチャンスを逃している可能性が高い。ちなみに、何事も打ち込んでいる場合は、それが苦労ではなく『当たり前』に思えているものである。
振り返ってみて、「あの時あれだけ頑張ったなぁ」という気持ちになるならば、仕事に打ち込んでいた証拠だ。歳を重ねてから「努力できたなぁ」と自分の仕事を振り返れるように、若者には今を一生懸命にやり抜くことが求められる。
若いからできることがたくさん
若いときは体力もあるし、失敗に対しても周囲が比較的寛容な場合も多い。そういう時に全力でやり切らないと、後々、本当に苦労をすることになるだろう。年齢を重ねると「失敗できない……」と自分の選択肢を狭めてしまったり、視野が狭くなってしまったり、挑戦することがますます億劫になってしまったりする。
無駄に時間がかかることや、ローリスク・ハイリターンなことを敢えてしなさいということではない。効率化やより安全な方法はむしろ取るべきだ。ただ単純に、やるべきことを当たり前にやれるだろうか。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉は、そんな意味も含む。
仕事は、時に面倒なことや困難を伴う。それが仕事というものである。その困難や煩雑さに躊躇せずに立ち向かえれば、自分の自信や経験にも繋がるのである。また、「今だ」と思う逃せないチャンスがあれば、思い切って挑戦してみることを勧める。前述のとおり、若ければそれがたとえ失敗に終わっても、体力的にも時間的にも取り返しがつくのである。「買ってでも……」というのは少し大げさな表現ではあるが、そのくらい、若いうちに経験を積むのが大切というメッセージだ。
10代、20代、30代……80代、90代、人間にはそれぞれの年齢にそれぞれの良さがあるが、若さは何物にも代え難い大きな価値と言える。多少の失敗も大目に見て貰ったり、体も思うがままに動かせるというのは、人生の中でもある意味得であり有利な期間だ。若い方はもちろん、齢を重ねても、人生における貴重な期間を無駄にしないよう、苦難が伴うことでも積極的に挑戦していきたいものだ。
人生にはさまざまな苦労がついて回るが、中にはしなくてもよい苦労がある。
仕事で体を壊す
仕事はもちろん大事だが、健康あってこその人生だ。「休んでいる暇はない」と思っていると、気づかないうちに体を壊してしまうことが往々にしてある。適度な休養・休息をとることで、仕事の効率もアップするだろう。
自分を粗末にする人と付き合う
自分を大切にしてくれない相手と付き合い続けるのは、苦労の種だ。距離を置きたい。また、前向きでない発言ばかりして、周りのエネルギーを奪う人も避けたい。自分までもが暗くなる。
言葉や行動で理不尽に攻撃してくる人が居る。分かり合えない相手と同じ土俵で戦っても得るものはない。疲れるだけだ。うまくかわすことを心がけたい。無理に合わせる必要は無い。
合わない環境に居続ける
「今の環境は合っていないかも」と感じたら、我慢せず変えることも考えてみたい。環境を変えるのは勇気が必要だが、新しい環境で自分らしく輝ける可能性はある。
人生は短い。しなくてもよい苦労は避けよう。立ち止まって考えることが求められる。
(令和6年6月20日 16:40)
気持ちが楽になる考え方
『論語』には、512の章句がある。それらの中には、生きていくうえで指針となる章句が数多く鏤められている。それらの中から一つを取り挙げると、為政第二に「子曰わく、学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ば座れば則ち殆し」(しのたまわく、まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし)<孔子が仰られた。学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味は分からない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危ない>とある。
「先人の教えに学び、その教えを自らで咀嚼(そしゃく)し、深く考えなさい」ということであろう。含蓄(がんちく)のある言葉である。
辛いとき、苦しいとき、どのように考えて対処していくかを、さまざまな資料や情報を元に私なりに整理してみた。
友人は数よりも質が 自分の頑張りを褒める
友だちの数は多ければ多いほどよいが、無理して増やす必要はない。悩みを聴いてくれる、そのような友が一人でも居れば十分とも言える。
仕事でも趣味でも成果を上げることは大事だが、自分の小さな努力を認めることも大事である。自己肯定感を高めたい。
ときには他力本願も 過剰な心配は無用 居場所は必ずある
何でも抱え込むことは、極力避ける。他者に頼ることは恥ずかしいことではない。人は支え合って成長する。助けを求める勇気は大切である。
起きていない事に、余計な心配をしない。起きるかどうか分からないことに思い悩まない。
思っている以上に世の中は広い。現在の場所が合わないと感じたら、勇気をもって一歩踏み出せはよい。受け入れてくれる居場所は、必ずあるはずだ。
人は他人に興味がない 個性を前面に
思うほど、人は他人に興味が無い。誰もが自分の事で精一杯だ。細かい事を気にせず、自分らしく生きることだ。人はそれぞれに違う、それが個性だ。自分を好きになり、自分らしさをもっと出せばよい。
思い込みを捨て、こまめに不満を吐き出す
ある人に嫌われていると思い、辛くなることもある。でも、自分の思い込みかも知れない。思い込みに振り回されず、事実に基づいて考えることが大事だ。
不満を抱え込むと、いつか爆発するかも知れない。信頼できる人に相談することで、不安も和らぐ。抱え込まないようにして、こまめに吐き出すことが大事だ。
別れは次へのステップ
友人などとの別れは辛いが、別れは新しい出会いのためにあるのかも知れない。簡単ではないが、別れを前向きに捉えて進んでいく。
(令和6年6月20日 10:00)
拙宅は、ゴミの集積場所まで100㍍以上の距離がある。ふだんは苦にならないが、剪定した木屑が大量となった場合は何度も往復しなければならないので、負担は大きい。
現在、昨日抜いた草や土日に剪定した木屑で、45㍑袋が8つと貯まった。雨がわりと強く降っていたので、無理する事は無い後日にしようと思った。
ラジオ体操から帰宅後、雨降る中、燃えないゴミを出した。まだ燃えるゴミは誰も出していなかったが、木屑の入ったゴミ袋が6つも置かれていた。
帰ってから妻に、「もう木屑のゴミが置かれていたよ。恐らく、昨夜出したのだろう」と。「私も昨夜、2つを出した。先客が4つを」と妻が。「えっ」と、私が寝てから10時過ぎに出したのだろう。かなり重いのによくやったものだ。
裏の法面の雑草については、共通の悩みの種だ。私が予告なしに一人で奇麗にしたので、妻も刺激を受けたのだろう。
家事を手伝わず我が家では評価の低い私だが、昨夕は、妻からも娘からも「風呂を洗って」などの声はかからなかった。
(令和6年6月18日 8:01)
わりと強い雨が降り続いている。
日中の強い雨は、久しぶりのような気がする。
昨日は、拙宅の裏側(東側)は隣地から3.5㍍以上高く、法面になっている。ここに草が生える。作業がしにくく草が生い茂ることになり、悩みの種だ。
昨日、思い立ち3時間かけて草を抜いた。45㍑のビニール袋に4杯。前述のとおり、高低差があるので脚立を降りたり登ったりきつい作業となった。予定では本日行うはずだったが、雨とのことで繰り上げた。
膝へのダメージは小さくないが、美しくなりやれやれの気分だ。
(令和6年6月18日 5:25)
友人から、あるところに提出する原稿(2,000文字)を添削して欲しいと言われた。これまでも何度か依頼され添削してきたが、指摘した事が改善できない。何度も同じ過ちを繰り返している。依頼される側としては、「また同じような……」と辛いものだ。
『過ちて改めざる。是を過と謂う』(「論語」衛霊公第十五)
本人のためにならないと、「書いた文章を少なくともさらに10回は読み直して欲しい。そのうえで、次の5点を実行するならば引き受けてもよい」と返事した。
次の5点とは下記のとおりだ。
1 誤字・脱字は無いか、きちんと点検する。
2 語尾を統一する。「です・ます」調と「である」調が混用されていないか。
3 一文が長くなっていないか。簡潔に区切る。主語がはっきりすると、読む人が分かり易い。
4 くどくどとなっていないか。
5 適宜、段落を設け、一字下げる。
厳しいようだが、やさしくしていては彼のためにならない。
彼からは「分かった。言われた5点を必ず実行する」と。よって、添削を引き受けた。
原稿の締め切り日は7月15日だと聞く。私の所へは、「余裕をもって今月25日までに」と告げた。もちろん、Eメール添付でと念を押した。
原稿が届くのが楽しみだ。もし、1~5が不十分であれば、即、送り返したいと思っている。1~5が出来ていれば、添削の必要性は無いのだが。
(令和6年6月16日 8:35)
すきこそもののじょうずなれ
「日中、庭いじりをしていても、そんなに暑いとは思わない。暑くは感じない」と言ったら、友から「好きこそものの上手なれ」だねと言われた。
「好きこそものの上手なれ」は、日常的によく使う言葉だが、本来の意味は「好きなことは熱心に行うから、自然に工夫し勉強するようになる。だから、上達も早くなる」ことのたとえである。
人は好きな事に対してならば、興味を持って熱心に取り組める。上達するための工夫も自発的にでき、努力し続けることが苦にならないため、自然に物事の上達が早くなりやすい。拡大解釈すれば、友の表現は誤りではない。
同じような意味の語としては、「道は好む所によって易(やす)し」というものもある。対義語としては、「下手の横好き」か。
他に心を動かされずひたすら一つのことに心を集中する。いちずに、一つのことに心を注ぐ意味の語として、「一意専心」がある。
肝に銘じたい語である。
(令和6年6月15日 18:25)
昨日はマキの剪定をしたが、私の不注意からひじょうに危険な目に遭った。もしかしたら、命にかかわるような事になっていたかも知れない。と言っても、三脚から落ちたとか落ちそうになったという話ではない。
三脚を据え付け、上に乗って剪定をしていた。その場所での作業が終わったので、いったん下へ降りた。長短2本の刈り込みばさみや竹ぼうきなどを持っていたのだが、一度で用具のすべてを持てず、長い柄の刈り込みばさみを三脚の上に置いて降りた。
置いているのを忘れ、三脚を移動しようとしたときに刈り込みはさみが首筋に落ちて来た。柄の方が下の状態だったので大事に至らなかった。刃の部分を下にはさみが落ちていたら、かつ当り所が悪かったならば、出血多量であの世行きになっていたかも……。
家の者も居なかったし、道路からも陰になる所だったので、もしかしたら……。
三脚の上にはさみを置いて降りるなど、プロ(?)として失格である。大いに反省すべきである。
笑い話では済まない。
(令和6年6月13日 8:25)
不幸や辛いことが続くと「私にばかり何故だ」とつい思ってしまうが、「そのうちによいことがある」と堪えたい。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)という言葉がある。
人間の幸福と不幸は、より合わせた1本の縄の表裏のように交互に来る。災いが転じて福となり、福が転じて災いとなることがある。人の知恵で計り知ることはできないというたとえである。
由来・語源
中国の『史記・南越伝』の一節、「因禍為福、成敗之転、譬若糾纏」(=禍によりて福となす。成敗の転ずるは、たとえばあざなえる縄のごとし)を由来とした故事成語が発展した言葉である。
『禍福糾縄』(かふくきゅうぼく)の四字熟語は、『禍福は糾える縄の如し』と同様の意味だ。
『禍福は糾える縄の如し』の言い換え表現としては次のようなものがある。
人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)
「人間万事塞翁が馬」は、「不幸や幸福は予測ができない」という意味を持つ言葉で、『禍福は糾える縄の如し』の言い換えとも言える。禍福が交互にやってくる逸話を描いた中国の故事に由来しており、出自も『禍福は糾える縄の如し』と共通している。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
「川の瀬に浮き沈みがあるのよ同じように、人生にも、良いこと・悪いことどちらもある」という意味である。くよくよしている時・浮かれている時、どちらの戒めにも使える『禍福は糾える縄の如し』に比べて、こちらは「くよくよしないように」といったニュアンスが強い。
苦あれば楽あり(くあればらくあり)
『苦あれば楽あり』とは、文字どおり「苦労のあとにはきっと楽しいことがある」という意味だ。『沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり』によく似た言葉だが、「苦労は必ず報われる」といったニュアンスがより濃い。
『禍福は糾える縄の如し』は、英語では次のようにどのように言い表すことができる。
Sadness and gladness succeed each other.
「悲しみと喜びは交互にやってくる」という意味の英語表現だ。
Good luck and bad luck alternate like the strands of a rope.
「幸運と不運は、よりあわせた縄のように変わっていく」という意味。
人生、努力の先には必ず光明が……。それを信じて、不撓不屈の精神で徳を積み重ねたいものだ。
(令和6年6月12日 9:20)
「言い訳になりますが、他の市町村からも質問したい旨の話がありましたため、まとめた上で回答したいと考えて、質問到着を少し待っていたことと、事務局だけで回答できない質問(「その他」など)もあり、時間をいただいている次第です。できるだけ早く回答します。」(原文のまま)と。
(令和6年6月11日 10:47)
〇奈良県高齢者福祉施策の概要について
小林課長のご説明の中で、「平均余命」を「へいきんよみょう」と言われたように思いましたが、私の聞き違いでしょうか。「平均寿命」は「へいきんじゅみょう」ですが、「平均余命」は「へいきんよめい」です。
同じように勘違いしやすいのは、「出生率」の読み方です。「しゅっせいりつ」ではなく、正しくは「しゅっしょうりつ」です。
〇令和6年度県老連事業計画等について
丁寧に分かり易く説明されたと思います。
評議員会で、昨年度開いていただいた「会員増強に係る話し合い」について何ら触れることが無かったのは、強く疑問に思っています。もう終了なのでしょうか。
〇その他
・中村会長の挨拶の中で、県の職員に対して(県に対して)、ひじょうに厳しい、聞きようによっては辛辣な物言いがあったと私は感じました。事前折衝などで(これまでの県の対応などで)不快な事があったのでしょうか。或いは、「執行部は、県に対してなぁなぁな態度では臨んでいない」というパフォーマンスが多少なり含まれていたのでしょうか。後半のハーモニカ演奏とのギャップが大きかったです。教えていただきたいと思います。聞きようによっては、喧嘩腰に思った方も多かったのではないでしょうか。必要なときは、〚喧嘩〛もありだと思いますが。
・遠方から来られている方への配慮からだと思いますが、13時開始の14時終了でした。年に一度の正副会長会議、一堂に会して協議できるのは、この時だけです。あまりにもあっけなく思いました。小林課長も残って居られたのですから、質疑応答や日ごろの思いなどを述べ合う時間をせめて15~20分くらいでも、おとりいただきたかったです。局長は中村会長の挨拶も聞かずに帰られましたが、失礼千万だと思いました。いくらご多用とは言え、無礼の謗りを免れないでしょう。さっさと帰られるのであれば、課長のみの出席でよいと思います。そうすれば、そして14時30分の終了とすれば、協議の時間が30~40分は取れると思います。
(令和6年6月10日 20:00)
浮雲の如し
約2500年前の中国に生きた孔子と主に弟子たちとの問答を、孔子没後弟子たちが纏めたのが『論語』である。その中には、うーんと思わず唸らせられる章句が幾つも鏤められている。
「子曰わく疎食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみも亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」(述而第七)(しのたまわく、そしをくらいみずをのみ、ひじをまげてこれをまくらとす。たのしみもまたそのうちにあり。ふぎにしてとみかつたっときは、われにおいてふうんのごとし)<孔子が仰られた。粗末な食物を食べ、冷や水を飲み、肱を曲げて枕として寝るような貧乏生活の中にも楽しみはあるものだ。正しくない行いで財産や地位を得ても、自分にとっては、浮雲のようなものだ>
人を騙したり、出し抜いたり、贈賄などで地位を得たり、そういった人としての道を外れた行いで経済的に豊かになっても、それはとてもつまらないものである。取るに足らないものである。経済的に豊かでなくても、また地位に恵まれなくとも、人としての道を外さず、徳(仁・義・礼・智・信)のある生活を送っていれば心豊かであると。
まさに至言である。心したい。
(令和6年6月10日 5:35)
「子曰わく、徳の修まらざる、學の講せざる、義を聞きて徙る能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂いなり」(『論語』述而第七 しのたまわく、とくのおさまらざる、がくのこうせざる、ぎをききてうつるあたわざる、ふぜんのあらたむるあたわざる、これわがうれいなり)
通釈『孔子が仰られた。徳(仁・義・礼・知・信)が身につかないこと、学びが究められない事こと、人として正しい生き方を教えてもらっても実践できないこと、悪い行いを改めることができないこと、この四つが常に私が憂うことである』
不勉強や道徳上の間違いを非難しているのだが、これが誰に向けられているのかについては、二つの説がある。一つは、弟子たちの不品行や学習への熱意の弱さを失跡しているというもの、もう一つは老年に至ってもなお、人格や学問が完成できない自身を自己批判したというものである。
どちらにしても、私たちも心したい章句である。
2500年前の古代中国に生きた『孔子』は、今を生きる私たちが生きる指針となる言葉を多く遺している。一緒に『孔子』の遺した含蓄のある言葉を一緒に学ぼうではないか。他町の方も歓迎する。現在、大阪・藤井寺からも通われている。
毎月、第一、第三水曜日 10時~11時30分
三郷町福祉保健センター大広間
問い合わせ 恒川 敏(0745・32・0191、080・7797・7624)
(令和6年6月5日 19:25)
ある方が著書の中で、「日常の小さな習慣や行動がいつか将来の自分をつくる。先ずは小さな事から始めることが大事である」と。私も同感である。
その小さな習慣や行動は、具体に何を示すのか。私なりに考えてみた。
「真似」は、いつか「上手」に
「真似をするな」とよく言われるが、優れた人や「達人」と言われる人の真似をする事は、悪いことではない。むしろ大事なことだ。対象が身近な人であればよりよいが、そうでなくても構わない。最初はうまくいかなくても、真似し続けることによって、徐々に近づいて行けるだろう。もちろん、1ヵ月や3ヵ月の努力ではダメだ。短い期間で到達できるような技術・技能ならば、それらは大したものではないだろう。
優れた人に直接教えを請うことが出来ればこの上ないが、直接でなくとも探る機会はあるはずだ。座して、機会を得ることは出来ない。とにかく、対象となる人を見つけ、コツコツと真似し続けていくことが大事である。
「忍耐」は、いつか「得意」に
何でもそうだが、苦労せずに一流にはなれない。『達人』の域に達するには、多くのと労力が必要である。当たり前だ。一朝一夕に会得できればそれに越したことはないが、そんなに世の中、甘くはない。一流や超一流になるには、「血の滲むような努力」が求められる。そうした努力の継続の(積み重ねの)先に、明るい光が見えてくるのだろう。一流の人は、そうした努力を永年積み重ねて来たのだ。
努力を継続し、習慣づけることによって一流と呼ばれ、「達人の域」に近づけるのである。
「好き」から「楽しみ」に、それが大きな「武器」に
人から言われてやるよりも、自らがそのことを「好き」になって実践する方が、当然ながら成果は大きいだろう。誰もが分かることだ。
仕事でも趣味でも、「好き」になってやるよりもさらに上の境地がある。それは、「楽しみ」としてそれらの事に取り組めるようになるということだ。「楽しみ」として実践できれば、成果がより上がるばかりでなく、より大きな「達成感」や「成就感」、「満足感」が得られる。そのようにして得たものは、値千金の、自らの大きな「武器」となるだろう。
「努力に勝る天才無し」「オリンピックの覇者に天才無し」などの言葉が好きだ。言わずもがな、努力の大切さを示している。
(令和6年6月3日 17:00)
楽しむ者に如かず
『論語』に「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」<雍也第六>(これをしるものは、これをこのむものにしかず。これをこのむものは、これをたのしむものにしかず)とある。
「人から言われて知識としてのみ知る人は、好んでやる者には及ばない。好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない」という意味だ。
自らを振り返るとき、庭いじりなどは楽しんでやるので体はそれなりに疲れるが精神的な疲労などは無い。逆に満足感・達成感を味わえる。他の事もこうありたいと思うが、ときに追われてやっている自分がいる。そのようにならないように、早め早めに準備しなければならないと思うのである。
今日は、中之島図書館論語塾の第138回だ。10時半開始なので、間もなく出発する。
「朋遠方より来る有り。亦楽しからずや」(〚論語〛学而第一 ともえんぽうよりきたるあり。またたのしからずや)である。
(令和6年6月1日 7:20)
幼い頃からの習慣は、齢を重ねても変らないものだ。散髪の話である。
髪を刈り、洗髪して貰うと実に気持ちがよい。散髪代2,350円は、あまりにも安過ぎる。そう思うのは、私だけではないだろう。私はずっと「大衆理容」の世話になっている。
子どもの頃、母から「むさ苦しい頭はみっともない。早く床屋へ」とせかされ、自分では「まだ早いのに……」と思いながらも散髪屋に向った。父親のむさ苦しい頭も見たことがなかった。散髪して貰うと、実に「すっきりさわやか」である。
このように、今も早め早めに散髪屋に向かう。むさ苦しい頭の若者を見ると、つい「だらしないなぁ」と思ってしまうのだ。きちんと頭髪を整えて損をすることはない。
大学でも学生服と坊主頭
4年生ごろから丸坊主だった。大学2年になるまでそれが続いた。
4年間寮生活だったが、1年生は丸坊主を強制された。「丸坊主」に違和感はなかったが、大阪や京都などの自宅から大学のあった茨木市まで通っていた同級生からは、「何だお前たち、大学でも学生服に坊主頭か」と揶揄された。授業も1年生は学生服の着用を余儀なくされた。同級生からの皮肉は悔しかったが、「4年後を見ておれ」と思った。自宅から通っていた者の多くは、学業にも部活動にも熱心でなかった。何をしに大学に入ったのかと思うような学生も少なからず居た。それは、寮生においても同様だった。
初志貫徹
大学1年の終わりに母を亡くした。
他にも不幸な出来事が続き、一時、目標を失いかけた時期もあった。だが、選手になり大学のランシャツ・ランパンを身に着けて走りたいと思った(学生選手権と言われる大会しか着用できない)。何より「体育の教員になる」という初志を貫かねばならないと思い、私なりに努力した。
努力の甲斐あり、選手になって日本学生選手権や全日本大学駅伝(熱田神宮~伊勢神宮)でも活躍出来た。ご存知のとおり、全日本大学駅伝は現在でも営々と続いているが、生まれ育った「愛媛」でも第二の故郷となった「奈良」でも、この駅伝を初めて走ったのは私だと思う。区間最高記録賞(区間賞)を獲得しておれば自慢できるが、そこまでの力はなかった。
同窓同級の者で高校の教諭になって勤め上げたのは全国で6名であり、校長に昇任したのは私だけだ。後輩では、高校でも中学においても、大勢の校長が誕生した。現在、大阪府下の中学校校長を専門教科別で見ると、「保健体育」が最も多いそうだ。その中でも、同窓の後輩が最も多いのである。後輩たちが、頑張っているのだ。うれしい限りだ。
私が卒業して教諭になった頃、大阪府立高校では「保健体育」を専門とする校長は、5~6名だったのではないか。今では、「数学」と並んで最も多い。隔世の感である。
トライアスロン・ウルトラマラソン
後年、トライアスロンレースに出場した。水泳3.9㌔・自転車180㌔・ラン42.195㌔のレースを「フルトライアスロン」と呼ぶが、「愛媛」でも「奈良」でも完走したのは私が最初である。その勢いで、「神奈川」「千葉」「東京」に続いて、国内で4番目に〚奈良県トライアスロン協会〛を設立し、11年間理事長を務めた。そのときの年齢は、34歳だった。その後、国内で初めて〚奈良県ウルトラマラソン協会〛を立ち上げ、こちらの理事長も務めた。
山登りを
40歳から山に登り始めた。
最初は、家族で「富士山」に登った。それを機に、近郊の山はもちろんのこと、北アルプス・南アルプスをはじめ、北海道から屋久島まで、国内の主な山を踏破した。そして、海外にも眼を向けるようになり、「キリマンジャロ(タンザニア)」「マッターホルン(スイス)」「モンブラン(仏)」と立て続けに登頂した。
退職後は、「アコンカグア」(アルゼンチン)、「マッキンリー」(アラスカ)、そして「エレベスト」(ネパール)へと夢を描いたが、膝痛が酷くなり断念せざるを得なかった。現在は、両膝とも人工関節である。
恩返しになれば
このようにこれまで、さまざまな事に挑戦出来た。幸せな人生を歩んで来られた。
若くしてトライアスロンやウルトラマラソンの理事長を務め、全国規模の大会66の実行委員長・会長を務めた。一つの大会を運営するには、数十人のスタッフの協力を要する。こうした中、異業種の人たちとの交流から得たものは、私の血や肉となっている。
現在、縁あって本連合会の会長を担っているが、多くの仲間(先輩たち)に支えていただいている。感謝に堪えない。
本連合会も、そして支部の運営も、これまでお世話になった方々へのささやかな「恩返し」になればと思っている。
「散髪」の話から思わぬ方向に進み、人生も終わりのような話になったが、まだまだやらねばならぬ事や、やり遺している事が山のようにある。
開始から8年8カ月になろうとしている「ラジオ体操会」(一日も休み無し)は、これからも続けて行かねばならない。630回を超えた〚論語〛講義は、千回をめざす。〚中之島図書館論語塾〛の受講者数は日本一になったが、内容でもさらに磨きをかけねばならない。20冊を超えた著書も、30冊は……と思っている。
途中で止まっている〚超難関資格試験〛への挑戦も近々再開しようと思う。75歳くらいで達成したいが、そうなればもしかしたら日本記録かも。とにかく、達成せずにあの世には行けない。
最近著名な方から「谷口さんは目標があっていいですね」と言われた。目標のないところに、努力の継続は困難だ。〚飽くこと無く 可能性を求めて〛がモットーだが、死ぬまでそうありたい。そうあらねばならないと思っている。
みなさんも、ぜひ目標を持っていただきたい。意志あるところに道は開ける。
(令和6年5月28日 14:00)
郡生連の「社会見学」として、バス1台総勢41名で神戸を訪ねた。
先ず、港町・神戸の風情を最も感じることができるクルージングを楽しんだ。海上からは、六甲山を背景に東西 に広がる神戸の街並みを一望できた。
晴れた日は遠く明石海峡大橋まで眺めることができると聞くが、今日は曇り空、おまけに黄砂の影響もあり見晴らしは今一つだった。
前にも体験したが、そのときは船中でランチを楽しんだ。
その後、車で20分くらいの所にある城崎の名旅館「西村屋」が経営する割烹で、昼食をとった。ここでは、上品な日本料理に舌鼓を打った。郡生連の会計からアルコール類も提供され、左党からは思わず笑みがこぼれ、ぐいぐいと呑まれる方も多かった。酒好きの私だが、原則として昼間はアルコールを控える方なので、注いで貰ったグラスのビールにも手をつけなかった。
昼食後は、伊丹市の荒牧バラ公園を訪ねた。ピーク時には、世界のバラ約250種1万本が南欧風のおしゃれな園内一帯に咲き乱れるそうだが、少しピークを過ぎていたように思った。それでも、我々の眼を十分に楽しませてくれた。入園料が無料なのは、有難かった。
その後帰路に着き、私は16時50分に帰宅、開催中の大相撲夏場所幕内後半戦にも間に合った。
他町の方々とも親しく歓談でき、有意義な一日となった。
(令和6年5月24日 19:10)
とある人曰く、「人生で得をする人の特徴には、三つがある」と。なるほどと思いながらも、自らの行動を損得で考えるべきではないとも思った。
その方が挙げた三つとは、「声が大きい」「返信・返答が早い」「先ず動く」である。
私なりに咀嚼し、まとめてみた。
声が大きい
声は大きい方がよい。小さい声では、相手に真意が伝わらないことも多いだろう。しかし、適正音量というものがあり、ただ大きければよいというものではない。
時と場所、目的によって適正音量は変わる。喫茶店やレストランなとでの大きい声は、他の人の迷惑になる。相手からも、「あの人に深い話は……」となってしまう。
使い分けることが必要だ。リーダーとして指示・連絡をする場合、「ボソボソ……」では失格だ。
カラオケ歌唱でも、上手な方はサビの部分では強く、他では語りかけるように唄っている。
返信・返答が早い
連絡を貰ったら、できるだけ早く返答することが求められる。もちろん、電話やメールを貰っても気が付かない場合がある。そのような時、気付いた段階で、すぐに返信する。それがマナーであり、人としての誠意というものだ。返信が極端に遅かったり、返信が無かったりすると、段々と「あの人に連絡しても……」となり疎遠になるだろう。関心が無いと判断されるのだ。「相手になりたくない」と思っている場合は別だ。
拙速はダメだが、遅いのは話にならない。
先ず動く
何か事が生起したとき、「どう対処すればよいか、ああしようか、こうしようか」と思い悩む人が少なくない。
あれこれと迷ううちに、事態がますます深刻になることも多い。先ずは行動を起こし、動きながら考え修正すればよい。拙速は戒めなければならないが、行動が遅いのは最低だ。
危機管理の重要性が常に叫ばれるが、危機管理は日ごろからの備えが出来ているかどうかにかかっていると言っても過言ではない。「備え」の元になるのが、自らが心身ともに健康であることだろう。
事態が収束すれば、きちんと反省・総括をして、それを次に生かすことが求められる。
まとめ
煎じ詰めれば、やはり『論語』の次の章句に辿り着く。
〇己の欲せざる所、人に施すことなかれ
〇己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す
〇生を求めて以て仁を害する事無く、身を殺して以て仁を成すこと有り
(令和6年5月18日 8:35)
周章狼狽(しゅうしょうろうばい)は、「泰然自若」の対義語だ。予期しないことに出合って、ひどくあわてふためくことを言う。うろたえ騒ぐことだ。「周章」と「狼狽」は、どちらもあわてうろたえるという意味である。
「狽」は伝説上の獣で、前足が極端に短くて後足が長い。狽が狼の後ろに乗るようにして二頭は常に一緒に行動するとされる。離れると動けず倒れてしまうことから、うまくいかない意、あわてふためく意に用いる。「周章」に「狼狽」を添えて意味を強調している。
「右往左往」も、同義語である。
現役の頃の話だが、学校には保護者や地域住民、議員なとが抗議や、ときには難癖と思われるような事をもって乗り込んで来られることがある。
とある校長は、ふだんは教職員に対して偉そうにしているのに、そんなとき自らは対応せず、「不在と告げなさい」と言って校内を逃げ回ることがほとんどだったと……。
周章狼狽、右往左往せず、そのような時こそきちんと対応をして収めるというのが長としての務めである。逃げては、教職員との信頼関係は醸成されない。保護者や地域住民からの協力を得ることも出来ない。
日ごろから、何が起ころうと周章狼狽しないように心身を鍛え胆力を養い、準備を怠らず、天災・人災に備えることが求められる。そうすれば、「泰然自若」の境地に近づくことになるであろう。
私は、保護者や地域住民、また議員などからの訴え・申し出については、三つに分類して即決即応に努めた。
一つは、負担が大きくなっても学校独自でやれることについては「今日からやります」と、二つ目は「学校だけの力では無理です。保護者・地域の支援・協力を得て時間をかけて努めます。協力をお願いします。時間をください」である。三つ目は、「国や都道府県、市町村など行政で対応していただく案件です。学校としては、教育委員会に働きかけます。みなさんからも行政に訴えてください」と。とにかく、抗議、訴えには傾聴し、回答をすぐに返すことが求められる。聞くだけに終わっては、不信感が増幅する。
抗議・訴えに訪れる人は、基本的に学校に関心のある人だ。チャンスと捉え即決即応に努めることによって、逆に「応援団」になっていただける。これは、民間企業においても同様だ。
「意志あるところに道は開ける」、とにかく逃げないことが大事だ。
(令和6年5月17日 9:20)
自分の庭を持って約47年になる。26歳で建売の家(三郷町三室)を購入し約7年住んだ。そこも64坪あり一から庭づくりを楽しんだが、もちろん和風庭園だった。
サツキに興味を持ち、盆栽のまねごとを始めた。「蓮路苑」(れんじえん)と呼ぶ現在の庭は、サツキの刈り込み物を主体としているが、それらはこの時代に月刊誌を読み気に入ったポット苗を購入し育てたものばかりである。「筒井」駅近くの国道沿いに、サツキの専門店があった。ゆえに、赤一色では無い。現在大木となったハクモクレンやモミジ、椿なども、苗木から育てたものだ。購入した成木は、黒松と槙だけである。盆栽のまねごとと言ったが、東京での盆栽展にも夜行バスで通うなど、知識や技術の習得には貪欲であった。
東信貴ケ丘へ
現在の家は40年になるが、東信貴ケ丘で更地を購入して思いどおりの家を建てた。私の設計だ。妻もフルタイムで働いていたから出来た事である。三室の家から樹木も石も運んだ。これには事情があるが、話をすると長くなるのでここでは触れないで置く。
家を建てたとき移した樹木や石に加え、石を新しくかなりの数入れた。すべて生駒石だ。経費が嵩んだ事は言うまでも無い。多額のローンを組んだが、我ながら大胆な事をしたと思う。ある程度の信用があれば、銀行はそれなりの額を貸してくれる時代だった。妻の両親を始め、身内の者は、さぞかし心配しただろう。
庭の細部までとことん自らが設計した。景石の配置なども、一切妥協しなかった。それなりに勉強していたから出来たのだ。参考にしたのは、大和郡山の慈光院の庭園だ。何度も訪ねた。「大刈り物」に憧れをもった。
ご存知のとおり、いい加減なところも多い性格だが賭け事は一切しない。当たり前だが、仕事も真面目にやってきた。運も味方したのだろう、50歳までにローンの支払いは終えた。妻の尽力に負うところが大きかったことは言うまでもない。
足立美術館庭園
さて、足立美術館庭園の事を知ったのは遅く、20年くらい前である。ただ実際に見学・鑑賞したのは10年くらい前だ。赤松とサツキの刈り込み物が印象的だった。私は手入れで植木業者の手を煩わせたことは現在まで一度も無く、コツコツと日本庭園としての格を上げてきた。黒松の手入れも盆栽で磨いたので本物である。
足立美術館庭園の事を知ってすぐ頃に、主庭の大改造をした。苗木から育てて来たサツキを生かした庭にしていこうと考えたのだ。主庭からは、背の高い樹は取り除いた。尤も、大木に成長したモミジが道路側から大きく伸びて来ていい風情を醸し出しているが。
7~8年でサツキの刈り込み物がいい感じになってくれることを想い描いたが、思ったより早く5~6年で想定に近いものになった。
足立美術館庭園のサツキの刈り込み物を常に意識して来た。人には「足立美術館庭園に負けない庭を」と嘯いて来た。「何を阿呆なことを……」と笑われる方も少なく無い。もちろん、規模に天と地ほどの差があり、赤松も伊予の青石のひとつも無い。だが、手入れだけは負けたくないの思いで手入れをして来た。
自慢の手入れ
自慢できるのは、花が終わった後に刈り込はさみを使って刈り込むが、その後は大久保はさみなどの手はさみで徒長した芽を摘む。7月から10月末まで、そして春になって開花寸前までそれを繰り返す。7月末から8月中旬にかけてできる花芽を摘まないようにして、樹形を維持する。花芽ができてから後に、刈り込みはさみは使わないことを徹底するのだ。そして、2月中旬から10月末にかけて、8~9回の害虫予防のための薬剤散布を行う。そして、夏場はもちろん、冬場でも5日も晴天が続くならば、水やりを欠かさない。47年の経験から言うと、「花木は冬場の水やりが大事である」と思っている。
聞くところによると、足立美術館庭園では、秋にも3月にも全体を軽く刈り込むと。年中、大勢の人が鑑賞に訪れる。「少しでも崩れた樹姿をお見せすることは出来ない」という方針からだ。樹形を重視するのだ。刈り込み物の名庭園と呼ばれる所は、同様である。ゆえに、花どきに2~3割しか花をつけない。
蓮路苑では、姿や形も美しく、びっしりと花をつける。これは、他のツツジ(ヒラド、キリシマ、クルメ)も同様である。「足立美術館庭園に負けない庭を」が実践出来ているのだ。
20代で庭いじりを始めたときから、それなりにずっと学び続けて来た。樹木について、庭づくについて。何の資格も持たないが、手入れに関しては並みの庭師よりは数ランク上の自負がある。
サツキは見ごろに
いよいよ今年もサツキの見ごろが近づいて来た。15日頃からが見ごろだが、赤一色では無いので見ごろは25日頃まで続く。お近くにお越しの節はお寄りいただければと思う。千客万来だ。なお、「蓮路苑」の由来だが、蓮路は私の号である。私のペンネームは、伊豫於 蓮路(いよお れんじ)だ。
(令和6年5月11日 4:30)
5年ぶりに総会を開催
令和6年度がスタートした。
4月23日に主賓として木谷 慎一郎 新町長をお迎えし、5年ぶりに「総会」を開催した。「生駒郡生き生きクラブ連合会」松井会長のご出席も賜った。多数の会員にご出席いただいた中、初めての試みとして、酒井 久夫 (毅朴会会長)氏による『講演』の時間もとった。『楽しく生きるヒント』をテーマに、示唆に富んだお話であった。
さて、早いもので会長として6年目に入った。「光陰箭の如し」である。惰性に流れることなく誠心誠意努める覚悟に、揺るぎは無い。「三生連」の結束をさらに図り、飛躍の年にする。
会員の皆様には、これまでにも増してご協力を賜りたい。よろしくお願い申し上げる。
第1回支部長会
4月5日に、本連合会の最高議決機関である『支部長会』の今年度第一回を開き、別掲のとおり、決算・予算等が承認された。
コロナ禍は完全に一掃されたわけではないが、マスク着用の義務がごく一部を除いて無くなったことはうれしい限りだ。何かと活動しやすくなった。
支部長の皆様には、いつも何かとお世話をお掛けしているが、なお一層のご支援とご協力を仰ぎたい。
会員数は725名
3月末日をもって、「サンクラブ」(会員8名)と勢野第一(19名)の両支部が解散となった。大きな痛手だ。「支部長の後継者が居ない」ということが主な理由である。他支部との合併も模索したが叶わなかった。一部の会員は、直属会員となられた。他の方もぜひそのようにと願う。
4月1日現在の本連合会の会員数は、725名(男316名 女409名)となった。昨年比68名の減である。減少数は、生駒郡4町で最も大きかった(安堵町44名・平群町53名・斑鳩町44名)。会員減は、甚だ残念なことだ。なお、支部別の会員数は別掲のとおりだ。
会 旗
総会では、壇上背景に国旗・町旗と並べて2年前に制作した会旗を掲げた。これまで支部長会や「友愛のつどい」の折には披露してきたが、総会では初めてだった。どの市町村連合会も「会旗くらいは……」と思うが、県老連も持たないようだ。見たことがない。
覚えておいでだろうか9年前までは、総会時に国旗を掲揚していなかった。国歌斉唱もなかった。私は支部長として出席したが、大勢が出席しているのに「締まりのない総会」というのが印象だった。
顧問の片岡 雅基 氏退任
片岡 顧問が3月末をもって退任された。副会長1年・会長4年・顧問11年の計16年の永きに亘って、本連合会の発展に尽力された。まだまだご健勝なので慰留に努めたが、90歳を節目としたいということだった
総会において、感謝状と功労金を授与した。なお、カラオケ同好会「さけび」の代表は今後も続けられる。よって、郡生連のカラオケ大会等ではあの美声を引き続きお聞かせいただける。氏のますますのご活躍を祈りたい。
支部長交代
三室支部で、支部長の交代があった。
三室支部
中尾 謹三
↓
山口 明
(敬称略)
退任された中尾氏には、これまでのご尽力に対し心からの慰労と御礼を申し上げる。「もっともっと引き続き支部長を」と思ったが、三室寿クラブの会則が許さなかったのだろう。
そのような中、5日の支部長会で山口新支部長から会則の改定が為されたことをお聞きした。中尾前支部長のご英断に拍手する。これで意欲のある人は継続できるようになった。中尾氏の見事な置き土産である。総会時にお会いできたが、私がバタバタしていたので挨拶を交わすのみだった。
「本部直属会員制度」
先にも触れたが、住んでいる地域に支部が無い方などの受け皿として、令和4年度から「本部直属会員制度」を設けた。希望者は年会費千円を納めて、三生連本部に直属会員として登録していただく。会員としての権利をすべて有するが、「支部長会」には出席できない。なお、在住地区の支部を退会して直属会員になろうとする場合は、本部「役員会」の承認を必要とする。
新規に三人の方が直属会員となられた(4/1現在)。今後増えるだろう。
『矍鑠』の名称は定着
本会報の名称は、第2号から『矍鑠』とした。当時副会長で2代目編集長となった私が提案した。パッと見て聞いて、三生連(当時は三老連)の会報とすぐに分かるインパクトのあるものがよいと考えた。
『矍鑠』の語源・由来は、意味・歳をとっても丈夫で元気のよいさま。
出典・後漢書(ごかんじょ)の馬援伝
古代中国において、62歳という当時としては高齢(現在で言えば、80歳代か)の馬援が敵陣に立とうと光武帝に申し出たが、帝は老齢を気遣い許さなかった。元気だった馬援は甲冑をつけて馬に乗り、威勢を誇示したところ、光武帝は「矍鑠たるかなこの翁は」と感嘆したという故事から来ている。
矍は、眼をきょろきょろさせ、素早く反応するさま。鑠は、輝くさま、あるいは、生き生きして元気がよいさまである。
改称に当たって、一部の方が反対された。「難し過ぎる」「馴染まない」「ひらがな、あるいはカタカナがよい」などと言われたが、納得できる合理的な理由では無かった。私は「…だより」とか「…ニュース」とか、「安易で芸の無いもの」は好まなかった。『矍鑠』は最初は馴染まなくとも、一年、二年と経つうちに必ず馴染んでくるとの確信があった。であるから、反対意見をある種強引に押し切った。今号で27号となったが、結果は言わずもがなである。
現在、郡内、県内はもとより、県外の方からも、「『矍鑠』とは大したネーミングだ」との声を多く耳にする。月日を経るごとに馴染み、確実に定着したと思われる。当時反対された方は、今どのようにお思いだろうか。
さて、私はしばらく編集から離れていたが、お気づきのとおり、今号から再登板した。これまでご尽力をいただいた大浦 幹文編集長(副会長)には、心からご慰労申し上げる。
今後も「よりよき」をめざして努める。会員諸氏の積極的な寄稿に期待する、
会報のカラー刷りは
より鮮やかに、会員の皆様がより読みやすいようにと、今号からカラー刷りにしようと模索した。結論から申し上げると、残念であるが断念せざるを得なかった。経費の問題である。
会報『矍鑠』は、第2号から町文化センター印刷室の輪転機を使わせて貰っている。とても有り難いことだ。昨年度までは、使用料はセンターのご好意で無料だ。町内の高齢者のためにボランティアとして努めていることを評価していただいているのだろう。カラー刷りに当たっては、インク代をお支払いしようと町社会福祉協議会の事務局長補佐に試算して貰ったが、枚数が多いだけに、予想以上の金額となった。とてもお支払いできるような額では無かった。おうちでプリンターを使用されている方はご存知のとおり、インクはとても高価である。業務用輪転機の場合は、想像以上となる。
会員の皆様に今号からカラー刷りの「矍鑠」をお読みいただければと考えたが、叶わなかった。残念だが仕方がない。
今までどおり白黒だが、編集子をはじめ役員は「よりよき会報」をめざしてこれまで以上に汗をかくつもりである。会員のご協力を得て、他に誇れる、羨ましがられる会報にしていく。なお、今年度、『矍鑠』は年4回の発行とする。どしどし、寄稿願いたい。今号は、お陰様で20頁となった。
春のハイキング
12月5日に「社会見学」と合併して実施した昨年度の「秋のハイキング」は、とても好評だった。今年度も秋は、あのような形で実施できればと考えている。
春のハイキングは開催日が迫っているが(5月13日・参加申込者29名)、『山の辺の道』を歩く、参加者全員の協力で以て楽しい行事にしたい。好天になることを祈る。
三生連のホームページ
三生連のホームページを立ち上げて5年になる。多くの方がスマホをお持ちであるのに、まだ一度も、「三生連のホームページ」をのぞいたことがないという会員が多いのは残念だ。『会長から』などを、できるだけ更新するように努めている。ぜひお訪ねいただきたい。初めてだという方向けに訪ね方を説明する。
➀ 音声入力で「三郷町生き生きクラブ連合会」と検索する。もちろん、文字入力でもよい。
➁ 「三郷町生き生きクラブ連合会」と出てきたら、それをクリ
ックする。
➂ 三生連の説明をずっと下げていくと、「News」や「会長挨拶」「事業方針」などが出て来る。
➃ 今度は、一番上まで戻る。
➄ 左の上の方に「Menu」が出ているので、これをクリックする。
➅ すると、縦にメニューが出て来る。ここで興味のあるものを見ていただく。ほぼ毎日更新しているのは「会長から」である。
➆ この要領で、「Menu」からお好きなものを選んでいただく。
わりと簡単である。時間のあるときに、ご覧いただきたい。今回の説明を見ても分からないという方は、分かる方にお聞きするのが早い。尋ねられた方は、面倒臭がらずにご教授を……。
町文化祭に多数の出展を
前号でもお願いしたが、毎年、秋に開催される「町の文化祭」に一人でも多くの方の出展を強く希望する。衰退しつつあるとも言える「町の文化祭」を、『三生連』が核となって昔のような賑わいを取り戻す。
協力の度合いが特に顕著な支部には、何らかの形で厚遇したいと考えている。総会出席者の会員比割合の高かった支部にに対しても同様だ。
文化祭への出展については、今現在すでに前向きで建設的な意見・要望をいただいている。有難いことだ。
新町長を表敬訪問
4月2日午後、木谷 慎一郎 新町長の就任お祝いのご挨拶のため、恒川副会長とともに町長室にお訪ねした。
先ずは、当選お祝いを申し上げた後、本連合会の現況をご説明した。その後、幾つか要望をお伝えした。
新町長には、前町長以上に、「高齢者福祉の充実」に努めていただけるだろうと期待している。とても有意義な訪問になったと思う。
(5/10発行 会報「矍鑠」第27号 巻頭言から)
現在、小雨が。予想していなかった。早い時間に止むのだろうか。
今日は午後から、会報「矍鑠」第27号の印刷をする。
スムーズに進むことを願う。
(令和6年5月7日 5:20)
近鉄奈良駅から東大寺方面にかけての人込みは尋常では無かった。8割は外国人のような気がした。白人が多い。昨今の来日客の特徴は、白人が多いことだ。「戎橋筋」や「心斎橋筋」でも同様だ。
秋の『正倉院展』では1時間くらい並ぶのは普通であり、「今日も40分くらいは……」と覚悟したが、意外にも10分程度で入場できた。館内は、かなりの人だったが。
他の事と同様、空海(774~835年)についても私は勉強不足で、これまで人並みにしか知らなかった。『遣唐使の一員として中国で仏教を学び、それを持ち帰って真言宗の祖として仏教を広めた。高野山も開いた。能筆家としての名声も高く、「三筆」として現代でも称えられている。最澄に宛てた手紙として遺る国宝『風信帖』(ふうしんじょう)は、中学校の教科書にも出てきた。後世の人が弘法大師と呼んだ』といった程度だった。
本展のホームページには、
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」(『性霊集』巻第八)(この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)
「衆生救済を願った空海が人々を救うためにたどり着いたのは密教だった。空海は中国・唐にわたり、師匠の恵果(けいか)から密教のすべてを受け継いだと言われる。密教がシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った伝来の軌跡をたどることにより、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かす。また、多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現するとともに、各地で守り伝えられてきたゆかりの至宝を一堂に展示し、空海と真言密教の魅力を紹介する」と。
ウィキペディアには、『天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が今日称される奈良仏教から平安仏教へと転換していく流れの先頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に「三筆」のひとりに数えられている。仏教において、北伝仏教の大潮流である大乗仏教の中で、ヒンドゥー教の影響も取り込む形で誕生・発展した密教がシルクロードを経て中国に伝わった後、中国で伝授を受けた奥義や経典・曼荼羅などを、体系立てた形で日本に伝来させた人物でもある』と。
空海は、香川県で生まれたという説が有力で、14歳のときに平城京に上り、論語・孝経などを学んだ。その後の修行についてはさまざまな説があるが。31歳のときに遣唐使の一員として入唐した。その直前に得度したという説が有力である。このときの遣唐使の一行には、この時期すでに当時の仏教界に確固たる地位を築いていた最澄もいたが、空海はまったく無名であった。
本日は、約90分をかけて鑑賞見学した。最近何かと忘れっぽくなり、家人から「お父さん、大丈夫」と『認知症』を疑われている。そのような私の大脳では、なかなか「眼からうろこ」のようには深くは理解できない。だが、最近何かで知ったが、2~3ヵ月に一度は美術館や博物館、コンサートなどに出掛けることがボケの進行に多少なりブレーキをかけることになると……。「庭いじり」や「菜園づくり」も有効だろうが、これに加えて文化的な刺激も大事であることに疑いの余地はないだろう。電車に乗って出かけるのは億劫だが、たまには出かけて行かねばと思うのである。
記している最中、妻から声がかかった、「くうかい」と。夕食の位置に着けと言う合図だろうが、自らが出展した美術展に行かず「空海展」に赴いた皮肉だろう。
(令和6年5月5日 18:45)
本日は「昭和の日」だ。
昭和の前半は「天長節」(昭和2年〜22年)、その後は「天皇誕生日」(昭和23年〜63年)、昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(平成元年〜平成17年)になり、さらに「昭和の日」(平成19年〜)と変わった。
「天長節」と呼ばれた天皇誕生日
昭和前半まで天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた。「天は長く地は久し」(老子)からとった言葉で、天地が永久であるように天皇の治世も続くようにという意味が込められている。天皇誕生日を天長節として祝う慣習は8世紀から続く伝統だった。そのため天長節は、明治天皇の誕生日(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)、そして昭和天皇の誕生日(4月29日)という具合に天皇が代替わりすると日付が変わった。
自然の恩恵に感謝する日
昭和23年に国民の祝日に関する法律が制定されると、それまで「天長節」と呼ばれた日が「天皇誕生日」に改められた。
昭和天皇が崩御されると、天皇誕生日は明仁上皇の誕生日(12月23日)に移動した。それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日になった。祝日法に「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」と定められた。
昭和の時代を顧み、将来に思いをいたす
「みどりの日」は、平成17年の祝日法改正で「昭和の日」に改められ、平成19年から施行された。
「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と祝日法に定められている。戦前の「天長節」から数えると3回目の名称変更である。
玉突きで押し出された「みどりの日」
18年間続いた「みどりの日」は、玉突きで押し出されたかっこうで5月4日に移動した。 中国の古典『中庸』では、人はうまれついた能力によって修養に「生知安行」「学知利行」「困知勉行」の三段階があるとされる。
この三つは道が違うのみで結果は同じであるから、才能の劣った者でも大いに努力すべきであるとも言われる。
素質に恵まれているのは幸いなことだが、生まれてから後に如何に「努力」を積み上げていくかが人生において、より大事であると考える。
素質に恵まれていてもそれに安住して努力を怠ったり、それを他者のために生かさない人が多いのではないか。
「生知安行」「学知利行」「困知勉行」、三つそれぞれについて記す。
生知安行(せいちあんこう)
生まれながらにして、人の履み行うべき道を熟知し、心安んじてそれを行うこと。
「生知」は、生まれつき仁道を理解していること。「安行」は、心安んじて行うこと。また何の努力もせずに道を行う意。
学知利行(がくちりこう)
人が履み行うべき道を、生まれてから後に学んで理解し、そのよさを認め、意識的に仁道を実践すること。
「学知」は道を学び習って知ること。「利行」は役に立つと認めて実行する意。
困知勉行(こんちべんこう)
苦しんで学び、努力して物事を実行すること。
「困知」は、「苦しみて知る」意で、才能が聡明でないために心を苦しめて悩み抜いたあげくにやっと知ることができること。
「勉行」は、ひたすらに努力を重ねて実践すること。
何れも『中庸』から
物事がうまく行かなくとも、挫けず諦めることなく、不撓不屈の精神で努力し続けることが大事だ。
「困知勉行」の姿勢を忘れず、保ち続ける。そうありたい。
(令和6年4月26日 18:45)
庭いじりなどをしない人は、「盆栽と鉢植えの違いについて説明を」と言われても難しいだろう。
盆栽も鉢植えも、「植物を鉢に入れて鑑賞する」という点では同じだ。では、その違いとは何か。
鉢植えは、草花、樹木、全てに適用し、あくまでも「植物」が主役となる。 それに対して「盆栽」は、鉢を含めた全ての景色を大自然として投影し、景色そのものを楽しむものである。自然というものは、必ずしも美しく綺麗なものとは限らない。時に枯れた枝があり、造形的に美しくない場合も少なからずある。そこに存在するのは、確実に木々が経てきた「時間」そのものでもある。
盆栽は、「植物と鉢を含めた景色をデザインすること」とも言える。盆栽の要件は、樹木を鉢に植えて自然の景色を表現するために美しく仕立てることだろう。
樹木をただ鉢に植えただけだと「鉢植え」だが、そこから手を加え、形を整えて、大きな自然を小さな鉢の中に再現していく作品が「盆栽」である。
初めから「盆栽」としてスタートする樹は、ごく稀だ。最初は鉢植えとして出発し、人が丁寧に手を入れていくことにより、徐々に盆栽としての要件を満たしていく。盆栽においては、まったく同じ親から生まれた植物でも、手入れをする人によって、その姿は大きく変貌していく。大きく奔放に育てる人もいれば、小さく切り戻して作っていく人もいる。そこが一つの面白さであり、盆栽はその人を表すと言われる所以だ。
そして、大切に育てて貰うことができれば、200年300年先まで生き続けるのだ。盆栽ならではの表現として「席(せき)」と呼ばれる空間の単位がある。盆栽自体だけでなく、その空間のどこにどうやって配置するかを考えることで、そこにないものまで想像させるという点が重要なポイントとなる。
鉢植えでは、植物の生長に合わせて鉢の大きさを一回り大きくしていくが、盆栽では明確に目指す樹形があるため、鉢は植木よりも小さい傾向にある。また大きさのみならず、形や色合いについてもその樹に合ったものを選ぶことも醍醐味のひとつである。
とにかく、盆栽は奥が深いと言える。
(令和6年4月24日 18:55)
ご出席ありがとうございます。
木谷三郷町長と生駒郡連合会の松井会長を来賓にお迎えし、五年ぶりに総会が開催出来ました事は大きな慶びです。
お二人には、ご多用のところご臨席を賜りまして、まことにありがとうございます。心から感謝を申し上げます。
さて、コロナ禍は完全に一掃されたわけではありませんが、ほぼ元の生活に戻られたでしょう。体調の事とかさまざまな阻害要因もおありでしょうが、百花繚乱の清々しい季節、おうちに閉じこもらず可能な限り外へ出ていただきたいと思います。
地元の支部におかれましても、今年度はいろいろな行事を企画しているでしょう。本連合会でもさまざまな取り組みをしていきます。会員のみなさんの積極的なご参加を望みます。
みなさんにとりまして、また三生連にとって、令和六年度も輝かしい一年にしていきましょう。
甚だ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。
(令和6年4月24日 12:35)
一つの行事を企画・運営するのには、大きな労力を要する。
現在、萬治 仙明理事が中心となって、「春のハイキング」の企画をしている。町図書館に通ってガイドブック等を何冊も読まれたり、2回にわたる下見など、奮闘されている。念には念を入れるため、30・31の土日には、3回目の下見も予定されている。
ぜひ一人でも多くの方のご参加を賜りたい。
(令和6年3月28日 7:45)
「和た与」のういろ餅
近江八幡を生まれ故郷とされる友人から、老舗菓子輔『和た与』の「ういろ餅」を土産に貰った。これまで何度もいただいている。とても味わいのある餅菓子だ。
友人の話では、名古屋の「ういろう」が有名だが、近江八幡が本家本元であると……。
「ういろ餅」は、米どころ近江の美味しいお米だけを使い、柔らかな食感が身上である。職人の技術で米粉に空気を含ませ、セイロで1時間蒸し上げることで、噛むほどに味わえるもっちりとした味わいを作り出すという。
香り高い宇治抹茶と白、そして、黒糖の中でも最上級と言われる沖縄波照間島産の黒糖をふんだんに使用した「黒ういろ餅」がある。今回いただいたものは、宇治茶と白だった。
蒸しあげたものを冷ましてからは、三味線の糸を使い手作業で切り分けていると。季節やその日の天気に応じて、材料のさじ加減を微妙に調整して作られる。ざらめを熱して溶かした蜜を冷ましながら、米粉を入れるタイミングが難しく、その日の気温や湿度によって時間や火加減も微妙に変えながら、一つひとつ手作業で作り上げると聞く。
今朝、ほうじ茶を飲みながら食したが、もっちりとした味わいで至福のときを過ごした。
『和た与』の商品としては、「でっち羊羹」が「ういろ餅」と並んで二枚看板である。「わた与」では、文久三年の創業以来、「でっち羊羹」発祥の店として、変わらぬ工程を守り続けていると聞く。
海のない近江では手に入りにくかった寒天のかわりに、小麦粉をつなぎに使用した羊羹である。十勝産小豆のこし餡と、砂糖、小麦粉を練り合わせ、上質の竹皮で手包みしたのちにじっくりと蒸し上げている。以前、一度食したが、その竹皮の香りをまとった上品な餡は、小豆の味を引き出すあっさりとした味わいであり、懐かしさを感じる素朴な甘さだった。
日々一定ではない気温や湿度、竹皮の厚みなどにより、練り加減や蒸し加減、包み加減を、職人の手によって微調整しているらしい。天然の竹皮を使っているため、一つひとつの包装も同じものが無い。これらが一体となって、銘菓を形造っているのだろう。
読者諸氏も、ぜひ一度『和た与』の「ういろ餅」と「でっち羊羹」をご賞味あれ。
(令和6年3月19日 8:15)
不撓不屈(ふとうふくつ)
どんな困難やしょうがいをも乗り越える強い意志をもっているさま。
「撓」は、木の枝などがたわむ。転じて、くじける。「屈」は、主義主張などをむりに押さえ込む。「不屈不撓」ともいう。
出典は、『漢書かんじょ』
漢書の「叙伝第七十下」の中に登場する、楽昌侯となった王商という人物の、しっかりとしたどんなことがあっても揺るがない人柄をあらわすのに、不撓不屈は使われている。
類語 「独立不撓」「百折不撓」
「不撓不屈」という言葉が広く知られるようになったのは、平成の大横綱と言われた貴乃花が大関昇進の際に「不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」と口上を述べた時からとも言える。このころ相撲界では大関や横綱への昇進の時に、少し難解な四字熟語を使った 口上を述べることが流行っていた。
貴乃花は、口上の言葉に恥じない相撲ぶりで、ファンを魅了したものだ。
横綱昇進時には、「今後も不撓(ふとう)不屈の精神で、力士として不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫く所存でございます」と。
不惜身命 仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。
私の贔屓力士 貴景勝の大関昇進時の口上は、「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」であった。
貴景勝の「景勝」は、戦国の武将『上杉景勝』からとった。
参考 グー辞書 マイナビニュース
(令和6年3月17日 13:30)
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
将来の成功を期して苦労に堪えること。薪の上に寝て苦いきもをなめる意から。
「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。もとは敗戦の恥をすすぎ仇を討とうと、労苦を自身に課して苦労を 重ねること。
誰もがよく知る故事成語である。
紀元前5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来する。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王勾践世家であるが、「臥薪嘗胆」と揃った形では蘇軾(1037年 - 1101年)の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以来、臥薪嘗胆』(11世紀後半に成立)に求められる。
明治時代の日本において、三国干渉が発生した時に、ロシア帝国に復讐するために耐えようという機運を表すスローガンとして広く使われた。
日清戦争の講和条約である下関条約では、一旦清国から日本への遼東半島の割譲が決まったが、ロシア・ドイツ・フランスの三国は、日本は清国に遼東半島を返還するようにと要求した。これを三国干渉(さんごくかんしょう)という。
この三国干渉に日本政府はやむなく従い、日本は清国に遼東半島を返還した。多くの日本国民は三国干渉に反発し、国民たちの間に「臥薪嘗胆」の言葉が流行して、特にロシアへの反発心が強まった。
中国『十八史略』によると、紀元前6世紀末、呉王は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。呉王は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。
夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪(たきぎ)の上に臥(ふ)すことの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在しない)。
間もなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねた。許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。
その間、強大化したことに奢った呉王 夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた。また、先代以来尽くしてきた重臣を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍は大破した。夫差は降伏しようとしたが、条件とした王への復帰を勾践が認めなかったために自殺した。
私の母校愛媛県立宇和島東高校のボート部は、これまでインターハイや国体などで何度も優勝している。そのボート部の応援歌「思えば過ぎし」にも、『臥薪嘗胆』の故事成語が使われている。ボート部のみならず、全校の応援歌となっている。当然、甲子園でも歌われる。
「臥薪嘗胆」の類語
辛酸をなめる
「辛酸をなめる」の「辛酸(しんさん)」には、つらく苦しい思いという意味がある。その「辛酸」をなめることから、つらく苦しい思いを味わう、経験するという意味になる。
捲土重来を期す(けんどちょうらい)
「捲土重来」とは、一度失敗してもすごい勢いで盛り返すことを示す言葉である。「けんどじゅうらい」と読まれることもある。「捲土重来を期す」は、再起を期待するときに使うのが一般的だ。
漆身呑炭(しっしんどんたん)
「漆身呑炭」とは、仇を討つことや、復讐するためには苦しみや苦労をいとわないという意味を持つ。「臥薪嘗胆」と意味が重なるため、単純に置き換えて使うことも可能である。
堅忍不抜(けんにんふばつ)
「堅忍不抜」とは、何があっても動じずじっと我慢し、堪え忍ぶこと。
「臥薪嘗胆」の対義語
再起不能(さいきふのう)
「再起不能」は、病気が治る見込みがないという意味。転じて、失敗や挫折から立ち直れない状態の表現として使われることもある。
一蹶不振(いっけつふしん)
「一蹶不振」は、失敗や挫折をして再起できないという意味。「蹶」はつまずく、「不振」は勢いがなくなる様子を表す。
参考 ウィキペディア、コトバンク他
(令和6年3月17日 4:40)
新入幕の尊富士(たけるふじ)が、ただ一人7連勝の勝ちっ放しだ。立ち合いにスピードがあり、相撲に勢いがある。上背はそれほどでもないが筋骨隆々、発達した肩の僧帽筋は隆の里(元横綱・故人)を彷彿とさせる。千代の富士が苦手とした、あの隆の里だ。
明後日9日目あたりから前頭上位との対戦となるだろう。楽しみだ。早い時期に、大の里との対戦が組まれるかも……。
霧島の今日の相手は苦手とする隆の勝だったが(今日の一番を含め、1勝10敗)、為す術も無く5敗目を喫した。明日から休場の可能性も高い。気力の充実しないあまりにもみっともない相撲は、ファンに対して失礼である。
(令和6年3月16日 18:50)
子曰く、先ず行う、其の言は而る後に之に従う。 (爲政第二)
(しのたまわく、まずおこなう、そのことばはしかるのちにこれにしたがう)
通 釈
孔子が仰った。「実行が先である、言葉は後でよい。これが君子というものだ」と。
解 説
子貢は利発で弁舌が爽やか、弟子の中で最も議論に強かったと言われる。この子貢に欠けている部分を、孔子がそれとなく指摘したのである。
政治に携わる君子の在り方を問う子貢に対して、孔子は初めから知識に頼った主張を行うのではなく、まず自分が その主張に見合った行動をしてから、その後に思想や理論の主張をすることが求められると説いた。つまり、言葉だけで有能さを示すような「弁舌の徒」では、社会からの信用や支持が得られ難い。
自分自身が民衆に期待することを率先垂範して行う。「有言実行」が必要だと言ったのである。
現代では、「有言実行」という言葉がよく遣われているが、これは「不言実行」から来ている。どちらにしても、行動が伴わなければ他者からの信頼は得られない。
衆議院議員選挙の真っ最中だが、投票率の低さは「選挙のときだけ耳障りのよい事を言っている」と思われていることも要因のひとつだろう。関心の低さにつながっているとも言える。
政治家のみなさんに「先ず行え、そしてブレるな」と言いたいのは、私だけではないだろう。
27日は町の文化祭、本日は「期日前投票」をする予定だ。
(令和6年10月24日 4:16)